義家族と絶縁するまで -32ページ目

義家族と絶縁するまで

遺産相続で主人の姉兄弟達と絶縁。。
結婚から30年足らず。
その経緯を綴り、自分の記録としたい。

義姉は、以前(義母が施設に入所する20年以上前)から、

義姉自身の言動を認めない私達夫婦に対して怒りを持っていた。

それが、私達夫婦を疎外するという態度に出た。

そして、そんな主人(義母にとっては次男)を何かと気遣う義母…

(義母が特に主人を気にかけていることを態度に示しはじめたのは晩年であり、

殊更顕著になったのは、義母自身が施設に入所させられてから)

そんな義母に対しても、義姉は怒りを持っていた。

そんな怒りが、義母が施設に入所する前に作ろうとした遺言書をストップさせた。

その遺言書は、既に主人が4代目として家業を営んでいる店舗を

主人に残すという内容のものだった。

しかし、義母が元気な頃には、

義母は義姉に依存し、義姉は義母に密着していたので、

義姉を避けている私達夫婦は、義母とも距離を置いていた。

そんなことで、義母が主人の為に遺言書を作ろうとしていたこと、

それを義姉が握り潰したこと、そんなことを知ったのは、

義母が施設に入所した後だった。

義姉が入所した義母を姉兄弟家族でお世話をすることに決め、

義姉がそのローテーションに、突然私達夫婦を入れたので、

思いがけず、義母と主人の距離が縮まり、いろいろなことを知ることになった。

これらは今までの記事の内容であり、1つ前の記事のとおり、

いろいろな経緯の後、義母は望み通りの公正証書遺言書を作ることができた。

義母が施設に入り、現金も通帳も実印も保険証も義姉に取り上げられ、

自分では何も出来なくなってから「これをやり残した!」と、焦って訴えたのは、

この遺言書の他に、もう1つあった。

それは「○○(私の主人)にお金を返さなくてはならない」というものだ。

その《お金》とは…

それは、私達夫婦が結婚する前から、私達夫婦に長女が生まれた頃まで、

日本は今では想像できないような景気の良い時代だった。

長女が生まれて数年でバブルが弾けた。

義母は昔々、家業の業績が思わしくない時期に自分で始めた商売があった。

主人は大学を卒業してから、自分も義母の始めた商売を義母とは別に営んでいた。

その、世の中が景気の良い頃に義母と主人は共に稼ぎ、主人と私が知り合う前に

義母と主人は共同で、ワンルームマンションを購入していた。

投資なのか、税金対策なのか、聞いたような気がするが忘れてしまった。

そのワンルームマンションを購入した時、主人は500万円を渡したらしい。

私が結婚した時には売却した後で、儲かったのかどうかも知らないが、

とにかく主人は500万円を義母に預けたままだった。

それは私も聞いていた。

義母は元本を増やそうとしていたのだろうと推察されるが、

儲かったとか、儲からないとか、経緯を実の息子である主人に伝えるでもなかった。

実の親子でありながら、義母が4人の子どもの誰とも、

本当の意味での堅い信頼関係が築けなかった理由がこういうところに見え隠れする。

苦労した人生だったからかも知れないが、お金に執着しているところがある。

それは義姉も同じで、母娘の共通項だ。

ところが、義母は人生の終盤で、その500万円を

「主人に返さなくてはならない!」と、騒ぎだした。

現金も通帳も自分の思いのままにならなくなってからだ。

施設に訪ねてくる義姉に、再三、自分の口座から500万円を主人に渡すように

言ってくれていたらしい。しかし…

渡さない義姉!

一度、義姉自身が主人の店に来て「振り込みと現金とどちらがいいか」と

聞きに来たので「現金で」と主人は言ったらしい。しかし…

渡さない義姉!

実のところ、主人はこのお金に関しては諦めていたと思う。

只、自分の実の母親は、自分の子どもさえ信用できない人間だ、

という確信と引き換えにである。

私の主人は偏った人格ではあるが、物事に執着しないところもあるのだ。

但し、遺言書の件も初めて知り、義姉への不信感を強めたこのタイミングでは

何としても、この500万円を義姉のものにしてなるものか、

という気持ちになっていた。

また、義母は遺言書にも取り組みつつ、

義姉に500万円を返すように要求する日々だった。

今から思えば、義母は衰えいく知性と戦っていたように思う。

自分が何も分からなくなる前にしておかなくては、という思いだったかも知れない。

この500万円の件は、遺言書とは違って義姉が動かない限りどうにもならないので、

遺言書よりももっと時間がかかり、義母と主人は解決策の選択肢に

警察に行くことを決断するところまで長引いた。















遺言書の作成をすすめる上で、弁護士さんから

「この長女さん(義姉)なら、遺言書作ってること知られたら、

また潰されるかも知れませんね」というアドバイスもあり、

義母と主人は、義姉をはじめ他の兄弟にも絶対に知られないように作成しようと、

お世話のローテーションの時のみ、それにかかっていたので結構大変だった。

義母のお世話は《週末の土曜日か日曜日》という決まりがあり、

平日に連れ出すと「何してる?」ということになるので、

1ヶ月に1回の土曜日か日曜日に動けるだけだった。

お役所というのは土日祝はお休みなので、

土日しか動けないというのもネックだった。

しかし《弁護士》というのはスゴいなと思った。

そんな<お役所は土日祝はお休み>というような

《素人ならばどうにもならない》と思えることも、

何とか出来る権限とかノウハウがあるのだな、と感心もした。

動ける日が限られているので日数は掛かったように記憶しているが

公証役場 で公証人によって《公正証書遺言書》は出来上がった。

その過程で《義母と主人が実の親子であると証明出来る》証人、

というのが必要となった。

それは主人と義母をよく知る、主人の幼なじみがなってくれた。

現金も保険証も実印も通帳も全てを …

一番依存していた長女(義姉)にとりあげられていた義母だが

《公正証書遺言書》なるものを作成することが出きた。

義姉が「認知症!認知症!」と、殊更に強調していた義母。

義姉や義兄が「そこまで言うか」と辟易するくらい、

義姉や義兄夫婦に暴言を吐いていたという義母。

この時、主人の心配はそんな義母がうっかり「○○(主人)と遺言書作りましたから」

などと、暴言の流れで言ってしまわないか、ということだった。

しかし、義母はしっかりしていた。
その後も、主人が施設に訪ねた時には、

作成した遺言書について、いろいろ話しをするのに、

他の義姉兄弟達には一切、そのことについて口を滑らせなかった。

しかし、それは義母が亡くなってから確信が持てたのであって、

その当時は、義母が口を滑らせていても、

義兄や義姉が、或いは義母が、私達夫婦に言わなければ分からないので、

主人は気を揉んだりもしていたが、確かめようもなかった。

なので、ハッキリと義母が何も言わないでいてくれたんだ、と分かったのは

義母が亡くなった後、主人が公開した遺言書に義姉兄弟が驚いた時だった。

《義母の告白》として、義兄のことから義姉のことに順をおって書いてるが、

実際は、このように順をおってるのではなく、

遺言書のことで動いている時に、移動の車の中で

義兄がマンションを購入する為、お金をむしんするとか、

義兄の長男の大学退学の経緯や、借金の肩代わりをさせられたなどの、

話しを義母から聞くことになり、全ては重複して起きていた。

主人にとっては義兄のことは、ただ軽蔑に値するというだけのことで、

ほとんど自分とは関係ない、ことだったのだが、

義姉が義母が作ろうとしていた遺言書をストップさせたというのは

許せないことだったのだ。

そして、やはりいろいろなことと平行して起こっていることで、

義母と主人が許せない義姉の行動があった。
思いがけず主人の店に来店した主人の旧友、数年振りであった。

それも、大手建設会社勤務から、

その会社の傘下である高齢者施設の施設長になっていた。

もちろん、そういうことも知らなかった訳だから、

日頃から連絡を取り合うような親しい間柄だった訳でもない。

勤務している施設の仕事を依頼しに来てくれたのだ。

もし、その仕事が大手建設会社の依頼なら、仕事の話しだけで終っただろう。

しかし、旧友が《高齢者施設の施設長》になっていたので、

主人は相談を持ち掛けたのだ。

《弁護士》などという人達に全く無縁の人生を送ってきた主人に

いとも簡単に、旧友が勤める高齢者施設の顧問弁護士を紹介してくれた。

この旧友が、このタイミングで来店されたこと、

これは神様が仕向けたようでもあり、悪魔が仕向けたようでもあるが、

只の現実である。

☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆

弁護士事務所で、義母はそれは雄弁にこれまでの経緯を語った。

話しを聞き終わり、弁護士さんは「遺言書は作成出来る」と言う。

主人は<しかし義母は実印、通帳、身分を保証できる保険証などの全てを

義姉に取り上げあれ管理されているので手元に何もない>という不安を口にした。

それでも弁護士さんは「出来る」と言う。

更に主人は<義姉がことあるごとに義母が認知症であると主張しているが

そのような状況で作成した遺言書に効力かあるのか>という疑問も口にした。

弁護士さんは語気を強め「お母さん、しっかりしてはるじゃないですか!

もし、お母さんが認知症なら、長女さん(義姉)一人が財産管理してることが

犯/罪ですよ!」と少々怒りを顕にして言った。

まぁ、遺言書を作成したいのならば、義姉の言葉ではなく、今の義母を信じて、

肝を据えなければならないということだろう。

「そらそうやわな」と義母は主人とはうって変わって落ち着いていた。

義母の「そらそうやわな」は、

義姉一人が義母の財産を抱え込んでいるのは犯/罪だ、

という弁護士さんの言葉に対して発っせられたものだ。

そして遺言書作成にかかっていくのだが、
もちろん、そんなに簡単なことではなく、

義母のお世話のローテーションの時に、何回か弁護士事務所に通ったし、

その頃の義母は車椅子であったので、

義母自身が大変な思いをしているのではないか、と心配したが、

義母は本当に何かにとりつかれているようだった。