義家族と絶縁するまで -31ページ目

義家族と絶縁するまで

遺産相続で主人の姉兄弟達と絶縁。。
結婚から30年足らず。
その経緯を綴り、自分の記録としたい。

義母が入所してから、それぞれの家庭にいろいろなことがあった。

わが家にもいろいろなことがあった。

まず、私にとって大きな出来事は実父が吐血し、癌と診断されたことだ。

肺癌でも手術を施せない小細胞癌という癌だった。

手術を受けることが出来ないので完治することはないが、

初めての抗がん剤治療はとても効果があり、その後、退院することが出来た。

退院した時には父の大好きな人達…

…それは父にとって甥や姪にあたる人達で私の従弟妹達だ…

…を招いて、退院祝いをした。
総勢20~30人くらいだったと思う。

そこで父はお礼の挨拶をしたのだが、その最後に

「私は、自分が癌だと知った時<あ、死ぬかも知れへん>と思いましたが、

そんなに恐怖はありませんでした。私は遣りたいこと全部してきたので

何の悔いもありません。それと、死ぬことがこわくないのは、

それは私が充分に長生きしてきたからです。

もし、これが若かったらどんだけ怖いか分からへんところです。

それは恐ろしいと思います。だから、皆さんも明日から美味しいもん食べて、

ストレス溜めんようにして、充分に長生きしてくださいな。

今日は私の為に集まってもろうて、ありがとうございました。

ホンマ、ありがとうな。」と言った。綺麗な言葉を使える人ではなかったが、

これは本当に娘の私もジンとした。

健康に気をつけ、充分に長生きする…そしたら、死ぬことに恐怖がない。

これには説得力があった。

確かに、私の実父は若い頃から「遣りたいことやってるから、

いつ死んでも悔いはない。」と言っていた。

それでも、死に直面すれば又、別の話しだろうと、話し半分に聞いていた。

しかし、本当に死に直面しても父の姿勢は一貫していた。

本当に実父は自分のしたいように生きた。

私の身近にいた人達…親類も含めて…に、父は本当に評判がよくなかった。

好きなことをとことんする、嫌いなことはしない。

自分勝手な父、我慢強い働き者の母、というのが世間から見た私の両親だ。

確かにそれは、ある意味当たっていたし、私もそう思っていた。

しかし、父はその自分の生き方を隠そうともしなかった。

本当の姿を隠して、自分を良く見せようという姑息な考えは一切なかった、

絶対に自分を正当化しなかったのだ。

自分への世間の評価は低くなる、そういうリスクを背負って好きに生きていたのだ。

それでも、腹が立つと烈火のごとく怒り、暴れる父の気性には悩まされた。

私は恐怖に支配されて成長した面がある。

そして《可愛そうな母》をお守りする使命があった。

そんなことで、父には大きな罪もあると思う。

しかし、世間はもちろん、娘の私さえも気付いていなかったが、

実父には人間味や大きな徳が あったように思う。

言い変えれば、心の純粋さみたいなものだ。

「私はこんなに頑張ってるから、皆感謝するべき、敬意を持ってもらいたい」

というような、当て付けがましいところが一切なかった。

こういう美徳は分かりにくいものだ。

特に父のような激しい気性の人はその蔭にすっかり潜んでしまっていた。

しかし、今思い返せば、義母や義姉や義兄のような、

立派な振りをしている人間との違いを強く感じる。

それを実父が生きている間に伝えてあげれなかったのが、私の未熟さであり、

人間の悲しさかと思う。

ともかく、実父はその後、脳に転移し、再入院して、

始めに癌と診断されてから、ちょうど1年後になくなった。

そんなことで、実父は義母より約一回り若い年齢でありながら、

又、義姉が義母のことを「おばあちゃんは痴呆、おばあちゃんは痴呆!」

と騒いで、義母が施設に入った頃には

元気に一日中ゲートボールをしていた実父が、義母より先に亡くなった。

人生って、やはり予想どおりにはいかないものだ。
義母に預けていた500万円が返され、

義母が気にかけてくれていた遺言(主人が家業を営んでいる店舗を

義母が亡くなった後、主人の名義になるように)も、

正式な遺言書として作成された。

その約1年間、それまで義母と距離のあった主人が急速に義母と接近し、

義姉や義兄に寄り添っていると思い込んでいた義母が、

決して心から義姉や義兄を信頼していなかった…というより寧ろ、

心から軽蔑したり不信感を持っていることを知った。

義母は義姉の支配に不満を蓄積していた。義姉の意志に添った結果、

次男(主人)をないがしろにすることになってしまった

これまでの言動のあれやこれやを後悔し、告白した。

また、校長になった長男をさぞかし誇りに思っているのだろう、と推察していたが、

実は校長になって世間体をよくしてくれた部分以外は、

その①義母にとって反りが合わない義兄嫁をコントロールできない、

その②息子(義兄長男)をまともに育てられない(あくまでも義母の感覚)、

その③金遣いが荒く、親のお金を当てにする…などなど、

義兄に対しては不満の宝庫だった。

主人は昔から、実の母親や姉兄弟と全く付き合うことがなくなったとしても

「全然!淋しくない、寧ろせいせいする」とハッキリ言っていた。

しかし、それは義母と義姉・義兄の関係が円滑で、自分がそこから外れている、

義母の気持ちは義姉・義兄に寄り添っていると考えていたからだろう。

主人は<そうではなかった>と分かったこともあり、情が深い一面もあるので、

(因みに義母は義兄のことを執拗に「あの子は情が薄い!」といい続けていた)

本当に義母のことを自宅に引き取りたいと考えるようになった。

施設に訪ねる度に「家に帰りたい、ここは嫌」と訴える義母が

本当に可愛そうになったのだ。

勿論、今まで距離があったので、義母の抱える不満に免疫がなかったとも言える。

主人は義母が本当に何もかも分からなくなるまで、

普通の家族のように<子ども家族と同居>して過ごさせてあげたいと、

涙ながらに話した。そして、本当の意味で家族のことも分からなくなったら、

施設に預ければいいのではないか、と考え、

高齢者施設の所長をしている旧友(遺言書作成時に弁護士を紹介してもらった)に、

自分達の手に負えなくなった時に、優先的に預かってもらうという約束まで

取り付けた。

私は「そうしてもいいか?」と主人に尋ねられたので「いいよ」と返事した。

勿論、不安だったし<そうでない方が>気楽に決まっているのだが、

主人の申し出を断ることは人の道に外れるような気がしたからだ。

主人の肉親に対する突き上げるような愛情のように、

自分も、義母に対する心からの愛情があるからだ、なんて言うつもりはない。

そこで主人は義母に「そんなに嫌ならうちに来るか?」と話した。

そして正直に、他の姉兄弟はスゴく怒るだろうから逢えなくなるかも知れない、

ということも伝えた。

義母は考えこんでいたが「あんたのとこには小さい子もいる迷惑や」と、

首を縦には振らなかった。

しかし、義母は義姉には「○○(主人)がこんなとこから助け出してくれる」とか、

「○○(主人)が優しく言ってくれたけど小さい子がいるから我慢するだけや」

などとも言い、いろいろ義姉を責める手だてにしていたようだ。

そんな折り、何か親族が集まる機会があった。

義姉と義兄嫁、義弟嫁、私達夫婦だけが同じ部屋にいたタイミングで、

…開け放しの隣の部屋には義兄や義弟、義姉夫などが居るという具合だ…

義姉が鬼のような顔をし押し殺した声で(隣の部屋には聞こえないように)、

主人に向かって、

「貴方ね、母に自分の家に引き取ってあげるとか、いい加減なこと言ったでしょ!

いい加減なことばかり言ってね、私達がどんだけ辛い思いしてると思ってるの!」

と、言いだし、義兄嫁は直ぐに席を外した。

「ね、○○さん!」と義姉が義弟嫁の方を見ると、義弟嫁はウンウンと頷いていた。

…これは義弟嫁のいつもの態度、自分のポジションに満足している感じだ…

義姉は最後に「謝ってもらいたいぃ!」と主人に唸るように言った。

主人は何も言わなかった。
もちろん謝らないし、抗議もしなかった。

正直なところ、義母が遺言書のことまで話して、

面倒なことにならないか、という自分の都合と背中合わせの部分もあったと思う。

しかし、義姉が唸った主人への恨み節の中に、

「貴方ねっ、お嫁さんの意見も聞かずにいい加減なこと言って!」

というのがあった。

それは、嫁の私の意見も聞かずにいい加減なこと言って!という意味だ。

嫁の私が「うん」と言うはずもないのに、というニュアンスが含まれている。

そこは「私はお義母さんと○○さん(主人)が良ければそれで良い、と了解しました!」

と言わせてもらった。

そしたら義姉が「へぇぇぇ~!?」と言った。

気持ち悪っ!!

嫌みな物言いをさせたら、義姉の右に出る人はいないが、

一言にして人をこの上なく不愉快にさせる技は健在だった。

この義姉の言動を境に、主人は、義母が正常な言動が出来る間、

二度と義母に逢いに行くことはなかった。

確かに主人の行動も極端だが、いつも義姉は主人のツボを押さえて、

傷つけ、殻に閉じこめさせて義母から遠ざける。

義母が自宅にいる時もそうだったし、

そして義母の人生が終わりにさしかかっているこの時もそうだった。

義姉のすることは本当に罪深いと思う。これより酷い仕打ちもないだろう。

どうして、主人を義母から遠ざけるか、それは主人が義姉の支配に従わないから。

主人が義姉の本当の姿に気付いていることを隠さないからだろう。

そして、義母の施設での生活は思うよりも長くなるのだが、

また、それぞれの家族にもそれぞれの人生の節目が訪れる。

義姉が主人の店に、500万円の支払い方法について、

「振り込みと現金、どちらがいいか?」と尋ねに来て、

主人が「現金で」と答えてから、

約1年間、義姉は500万円の支払いに訪れなかった。

その間、義母は義姉に500万円を支払うように言い続けてくれた訳で、

それでも絶対に支払おうとしない義姉に対して、時にはキツい言葉になり、

時には暴言も吐いたのではないかと推察される。

何故なら、その頃、義姉と義兄夫婦が義母の暴言にホトホト参る、

というようなことを言っていたのをよく耳にしたからだ。

義姉は義母が本当の意味で呆けてしまうのを待っていたのだろうか。

<本当の意味で>というのは、この頃の義母は、

今まで義姉の支配に従って、次男(私の主人)に距離をとり、伝えずにいたことを

人生の終盤で「全て伝えなくては…」という思いからか、

至極真っ当な辻褄の遭うことを話していた。

それは明らかに殆んどが、義姉には都合の悪いことばかりだった。

だからこそ義母は義姉に依存し、支配下に居たときには

義姉が疎外している主人には絶対に言わなかったのだ。

一方、義姉はこの頃の義母のことを「おばちゃんは痴呆、おばちゃんは痴呆」と、

身内だけではなく、赤の他人にまで殊更に口に出し、強調していた。

なので<本当の意味で>義母が呆けてしまって、

500万円を主人に渡すように言わなくなるのを待っていたのかな、

と想像してしまうのだ。

借用書なんてないのだから、義母が主張しなくなったらそれで終わりだ。

受け取りは現金で、と主人が答えてから約1年…

ある日、出勤前、施設に義母を訪れた主人は義母から、

「もう、私から説得できひん(500万円支払うこと)から警察行こう」

と言われたらしい。

義母を連れていくのは忍びないから、自分一人で店を閉めてから警察に行く、

と、主人から私にTELがあった。

私の人生でも、指折り数えられる本当に気の重い出来事だった。

ところが、その日の夕方、義姉が500万円を店に届けにきた。

エエ加減にして!!