義家族と絶縁するまで -30ページ目

義家族と絶縁するまで

遺産相続で主人の姉兄弟達と絶縁。。
結婚から30年足らず。
その経緯を綴り、自分の記録としたい。

時系列的に、義母の入所の前後どちらだったか、記憶が曖昧だが、

義姉の長男がこの頃に、再婚していた。

この甥っ子は義親族の中で、主人が唯一好きな人物だ。

義親族と絶縁している現在も、彼とだけは交流がある。

甥っ子の再婚のお相手に初めてあった時、スマートで綺麗な人だな~と思った。

話していても、とても感じいい。

この甥っ子の1回目の結婚のお相手は、太っていて態度も大きく、

(というか、堂々としていたのだと思うが)

主人は「あの娘のどこがいいのか分からない」とよく言っていた。

ずーっと後で、主人が甥っ子から聞いたところによると、

甥っ子が、1回目のお相手のお家に伺った時、

お母様がとてもフレンドリーな素敵な方で、

こんな家庭を作りたい、と強く思い結婚したのだそうだ。

しかし、結果は離婚することになってしまった。

とにかく、甥っ子の1回目の結婚は何かと不自然な感じがしたが、

この再婚のお相手とはお似合いだったし、何かと自然な感じがした。

だが、義兄嫁によると、母親である義姉はこの結婚に反対だったらしい。

甥っ子は1回目の結婚で、男の子を一人、授かっていた。

しかし、離婚の時、母親が引き取った。

その子(義姉にとっては孫)を、義姉はとても可愛がっていたらしいが、

その孫が、夢の中に出てくるのだそうな。

そんな子がいるのに、再婚する息子に腹を立てていたそうだ。

そして、義母によると、この再婚のお相手は妊娠ができないのだそうだ。

この時、私たち夫婦は義母から聞いただけで理由は知らなかった。

でも、甥っ子は彼女の人生ひっくるめて受け入れたのだろうと思う。

こういうところ、いい子だなと思う。

彼女にそういう妊娠できないという事情がなく、名家のお嬢様であっても、

義姉は再婚に反対だったのだろうか、などと想像してしまう。

ともかく、甥っ子は再婚した。

………☆………☆………☆………☆………☆…

義母が入所したので、義母宅にあるお仏壇を義兄宅に移す為、

義親族が集まり、ご住職さんも来られてお経をあげてもらうことがあった。

義姉がご住職さんにまで「母が痴呆で…」「母が痴呆で…」と

連呼するので、とても違和感を感じたものだ。

記憶が曖昧だが、確かこの時だったと思う。

間違えているとしても、この頃に義親族が集まった時のことだ。

まるで、一大イベントのように、義姉の長男も長女も夫婦で来ていた。

義兄の長女も夫婦できていた。

義兄の長男はもうこの頃には《いない》のが定番になっていた。

義姉という人は、自分達(義姉自身と主人以外の義兄弟)の、

子どもが小さかった時期には、子ども中心に義家族が集まり、

子どもがいなかった私たち夫婦(主人の結婚が遅かったので)が、

それに合わせるのはごく当然としていた。

そして、自分達の子どもが成長し、義兄の長男が大学を退学になって、

私たち夫婦に、その情報を与えたくないと思った時期には、

私たち夫婦が、小学校の低学年と幼稚園に行くか行かないかの

幼い子どもを抱えているにも関わらず、

平気で《子ども抜きで》という条件をつけて、

親族の集まりを計画した。

自分達の子どもが小さかった頃に、私たち夫婦に配慮して1回でも

そんな企画をしたことはない。

そして又、自身の長男が、自分が気に入った

《出身校や家庭の経済力の良い》お嫁さんと

結婚した後は、また《みんなで~》の集まりを計画した。

自身の孫が出来た時には旅行まで実施した。

本当に《自己に執着》している人間の見本のような行動をする。

そんなことで、このお仏壇を移す為の集まりの時は、

義姉が《みんなで~》集まりたい時なんだな、と冷めた気持ちで見ていた。

余程、娘婿が気に入ってるのだろう。

こういうところも、長男の1回目の結婚の時と、とても似ている。

この時、初めて私たち夫婦は義姉の娘婿に対面したのだ。

男性陣が固まって座っていたので、私は初めの挨拶しかしていない。

しかし、傍で話しているのを見ていた主人は帰宅してから、

「気持ち悪い男やで~」と言った。

主人は義姉(主人にとっては実姉)のことが嫌いだが、好青年だと感じたなら、

「よく、あんないい人と結婚できたな」くらいの皮肉は言うかも知れないが、

「気持ち悪い…」はないと思う。

それでも、この頃の義姉への感情は最悪の時だったので、

穿った見方しかできないのかも、と思っていた。

それに、義姉の長女本人を始め、兄である甥っ子、

そして何より両親である義姉夫婦が、

本当に《気持ち悪い人》を肌で感じられない程に目が曇っているとは信じられない。

自分の葛藤に囚われている人というのは、本当に人を見る目がないものだが…。

義姉の長女が結婚した。

30台半ばまで待って良かったね、というよう感じの結婚だったようだ。

…だったようだ、というのは、私たち夫婦は義姉から距離を置いているので

結婚のお相手と直接逢ったことなどもちろんないし、

直接義姉家族の誰かから聞いた訳でもない。

只、何かの折りに義兄嫁から聞いたところによると、

たしか製薬会社だったように記憶しているが、

誰もが知っているような大きな会社にお勤めだった。

家柄も学歴も人柄も良いそうで、義姉も大層、気に入っているらしい。

家柄て!(笑)

挙式はハワイで挙げたので、私たち家族は参列していない。

もちろん、呼ばれてもいない。

結婚式の写真を添えた葉書が送られてきたが、

確かに身長が180㎝からあるような押しだしの立派な人だった。

確かに待っただけのことはあって、素敵な人に巡りあえたように見える。

しかし、何か似ている…

そう、やはり義姉の子どもである長男の最初の結婚と似ているのだ。

あくまでも義姉の基準だが、家柄がよく、学歴がよく、勤務先がよい。

そして、ハワイで結婚式を挙げることも、

そして何より、義姉のお気に入りのお相手だというところも似ている。

私から見れば半端なく虚栄心の強い義姉、もちろん劣等感と背中合せだ。

そうして、一見、世間体の良い人間を良し!として、

その規準に当てはまらない自分の劣等感を益々強くする。

そして劣等感を癒す為に、高級住宅地にそこそこの家を建て、中古のベンツに乗り、

鎧で武装するが、いつ本当の自分を見抜かれないかと、また、不安は増す……

私からはそんな生き方に見える人だ。

前の記事に載せた、義親族の話し合いの時、義姉は義兄嫁に向かって

「もう、精一杯介護して、いっぱいいっぱいになって、

ちょっと息抜きに出掛けてきたら、ホッとすんねんなぁ、私!」

と相づちを求めていた。

義姉は時々、海外旅行に出掛けていたので、

そのことの正当性を私たちに聞かせているのだ。

それを聞いた時、気の毒なくらい幼稚な人だな、と思った。

義母が施設で過ごし、介護をしている時に海外旅行に出掛けるのが、

不謹慎だと思うならば行かなければよい。

(たとえ。友人知人に見栄を張れなくても!)

一生懸命介護して、自分にも息抜きが必要と感じたならば、

海外でもどこへでも出掛ければよい。

(人になんと思われようとも!)

義姉という人は生き方に、そんな《覚悟》とか《潔さ》みたいなものがない。

誠心誠意を尽くして介護したいのではなく、

誠心誠意を尽くして介護していると、人に認めさせたいのだ。

話しが横道にそれたが、

私は「自分!自分!」と、自分の心の葛藤にいっぱいいっぱいの

義姉のような人は、全く人を見る目がないと思っているので、

義姉が気に入っているというだけで「?」と思い信用できない。

しかし、いくらなんでも義姉家族も学習しているだろうし、

はっきり言って、義姉の長女の結婚は、私たち家族からは遠い出来事だった。

義姉の長男は数年前に離婚して、丁度この頃に再婚していた。
義母が入所して、約1年後に実父が癌だと分かり、

実父は、その約1年後に満77歳で亡くなったのだが、

実父が癌だと分かった頃、義親族で集まることがあった。

週末に姉兄弟家族で、義母を外に連れ出してあげる、

というローテーションを実行していた頃であり、

その打ち合わせだったかと記憶している。

その場で主人は、私の実父が癌になり闘病することになったので、

そちらの援助があり(私は一人っ子なので)、

今後は義母のお世話のローテーションから外れる旨、伝えた。

実のところは、月に一度義母のお世話をすることくらい出来たと思う。

しかし、主人はこの義親族達から切実に距離をおきたいと思うようになったのだ。

理由はいろいろ絡み合っていると思うが、大きく二つ言えるだろう。

一つは、前々回の記事に載せたが、主人は義姉から鬼のような顔で

「自分の家に引き取る、というようないい加減なこと言うな!」

と激怒されたこと。

二つ目は義母の本音を聞く機会を得て、今までよりは深く義母の心情や、

義母が入所するまでの、義母と義姉兄との関係が決して円滑なものではなかった、

と理解出来るようになったものの、

依然として義母は義姉の支配下にある、ということ。

そして、この主人の反応は、義姉の思惑どおりの展開だろう。

そこから、義母が亡くなるまで、私たち夫婦は二度と、

義母のお世話に参加しなかったからだ。

自分の思いどおりにならない…

つまり、自分の矛盾した行動に目を瞑らない次男(主人)と義母を、

何とか引き離そうとあの手この手を駆使してきた義姉が、

義母の入所を機に、自分から義母と主人を近づけたものの、

義姉が思っているほどに義母は耄碌しておらず、自分の思惑とは違う展開になり、

慌てて、また、義母と主人を引き離した。

しかし、それは、義姉一人のせいではない。

それに、まんまとハマってしまう主人の未熟さのせいでもある。

また、大きな縁があって義理の母娘となった義母と

疎遠な人生を歩むことになった私も、

しっかり地に足つけて、自分自身を生きてこなかった私自身の人生の《つけ》を

払うことになったのだろう。

自分自身のことが抽象的な表現になって心苦しいが、

詳しく説明すると非常に横道に逸れるし、

過去の記事では説明したこともあるので、よしとして頂こう。

義姉は、再び義母と主人を引き離したお陰で、

自分自身が怒ったり、不憫な振りをすれば思いどおりになる

長男・三男の弟たち家族と、

義母のお金の管理を含めて、自分の思いどおりに、最後まで義母と関わった。

私たち夫婦に、水戸黄門の印籠のように「介護もしなかったくせに!」

と事あるごとに嫌みを言えるもおまけも、義姉には付いてきた。

そして………

私の実父が亡くなる前の1月に私たち夫婦の長女が成人式を迎えた。

振り袖をきた晴れ姿を、施設に居る義母にも、闘病中の実父にも見てもらえた。

私の両親からは、沢山お祝いも贈られ、娘も晴れやかな1日となった。

義母が入所している施設にも、振り袖姿で訪ね、

義母は他の入所者の方に誇らしいようで、私たちも嬉しかった。

でも義母は「お祝いあげれなくて悪いな、ごめんね。」を繰り返した。

後日には「○子(義姉)が出さへんからな」と何度も言った。

お義母さん、お義姉さんが私たち夫婦の娘へのお祝いでお義母さんのお金減らすはずないって、よーく分かってます!

私たち夫婦は「気にしないでください」と、何度も伝えた。

そして義母は「○○ちゃん(私たちの娘)にお祝いは出さへんけど、

○子(義姉の長女)の結婚祝いは出すから、言うてたわ。

そう、義姉の娘の結婚が決まっていたのである。

義姉の娘さんは36歳になる年だったと思う。