義母が入所してから、義弟の長男が結婚した。
私たち夫婦は揃って参列させてもらった。
主人は姉兄弟の中で結婚が 一番遅かったので、私が嫁いだ時には
義姉兄弟達は皆、結婚した後だった。
よって、私にとっては義兄の長女以来、義親族の結婚式に参列するのは二度目だった。
義姉の長男も長女もハワイでの挙式だったので参列していない。
その長男はその後、離婚し再婚したが、挙式はしなかった。
義兄の長男は結婚したのかしていないのか不明だ。
義弟の長男の結婚式は、とても良い結婚式だった。
最近は結婚式を挙げない人達も増えているらしいが、
日本人らしい《けじめ》がつけられていいな、と思える結婚式だった。
なんと言うか、好感の持てる身の丈にあった結婚式、という感じなのだ。
それで自分たちの結婚式を思いだした。
主人は交際中から「自分にお金もないのに、親にお金を出してもらって
ホテルで結婚式挙げて恥ずかしないねんな」と義兄のことを軽蔑していた。
義姉兄弟たちは皆、地域にあるホテルで結婚式を挙げていたのだ。
そして自分は「結婚式などしないか、市民会館でしかしない」と言っていた。
そんな主人の考え方は、実際に私たちに結婚の話しが持ち上がってからは
少なからず私を悩ませた。
私の両親は兄弟姉妹が多く、沢山いる従兄弟達は皆、きっちり結婚式を挙げていた。
そういう時代でもあり《結婚式を挙げない》なんてことは特殊だった。
なので、一人っ子の私が結婚式を挙げないという選択肢はなかった。
また、市民会館の結婚式場も《安かろう悪かろう》を絵に書いたようなところで、
そこで式を挙げる人はほとんどないような寂れた感じだった。
景気もよく、世間一般が派手な時代でもあった。
一生に一度の結婚式を市民会館というのも悲しい気がして、
私は公共ではあるけれど、ホテル形式の綺麗な式場を探しだした。
主人も納得してくれて、そこで結婚式を挙げた。
今から思えば何故あんなに拘ったのか滑稽な気もするが…。
ともかく、主人は1円も親からお金をだしてもらわずに、結婚式を挙げた。
随分と話しが横道に逸れてしまったが、とにかく、
義弟の長男の結婚式は世間に対して見栄を張ったようなところがなく感じが良かったのだ。
さて、その座席は円卓に主人を含めた義姉兄弟4人が各夫婦で8人着席していた。
新郎の両親である義弟夫婦のテーブルである。
そこそこ大きなテーブルの、私のほぼ正面に義姉が座っていた。
まあまあの距離です。
そこで義姉が、離れている私にまでハッキリ聞こえる声で言いました。
「お母さん(私にとって義母)、もう逢うたんび(度)にお肉ーお肉ー
言いはんねん!痴呆が進んでんねんやろね!」
まだ言うか、痴呆アピール!
こんなお目出度い席でそんなこと言うかな?
この時ばかりは流石に皆、うつむいて黙ってましたね。
この頃、私たち夫婦は義姉を中心とした介護のローテーションに一切入ってなかった。
もちろん、介護が嫌なのでも義母が嫌いなのでもない。
義姉のすること為すことに違和感を感じるからだ。
そして、そんな義姉に義母は抱え込まれてしまっているからだ。
この時の義姉の発言に呆れ果てもしたが、
義姉は精神的にかなり追い詰められているな、
とも感じた。
抱え込んでいるものを、執着していることを、手放せば楽になるのに、
かっつりとしがみつき、悶えていた。
そんな義姉に何も言わない義姉の夫、義兄。
この二人がもっとしっかりしていたなら、健全な意見を義姉に言ったり、
叱ったり出来る男たちならば、
義姉は、その時は不愉快でも長い目でみて楽だったのではないだろうか。
心に葛藤がある人は自分の思いにいっぱいいっぱいで、人を見る目がないものだが、
義姉はいつもいつも庇っている義兄が
本当に義姉の幸福を願っているのか考えたことはあるのだろうか。
義兄の長女が妊娠した頃、世間では毎日のように、
教職につく人たちの不正がニュースで流されていた。
親が教育委員会などにコネがある場合、その子ども達が有利に教職につけ、
コネのない人は涙を飲んでいる、という出来事が社会問題になった。
質が悪いのは、コネの人たちよりコネのない人の方が優秀で、
真正面から臨めば、絶対に教職につけない人が、
コネで教職に就いているということである。
コネなしでチャレンジしている人が被害を被っているということに加えて、
教育を受ける子ども達にも多大な損失を与えているということだ。
1つの不正が明るみに出ると、
芋づる式に全国から似たような事が発覚し、問題になっていた。
結構、世間を賑わし、連日ワイドショーなどのトップで報道されていた。
発覚を恐れて、問題になる前に退職する人が多くいることも報道された。
わが家では当然、義兄の長女のことが話題になった。
義兄の長女は短大の《幼児教育》系の学部を卒業し、
保育所や幼稚園に勤務していたが、ふと気づけば小学校の先生になっていた。
主人は絶対に父親である義兄のコネなしで、
義兄の長女が教職につけるはずがない、と言い切っていた。
でも、不正なことはしてはいけないが、コネがあるなら、
コネにすがるのは普通の人間だろう。
「もし、自分にコネがあっても絶対にそれで、就職はしません」
と、言い切る自信は私にもない。
因みに、私の娘は「私は絶対にコネで教職になんかつかない」と、言い切っていた。
別に道徳的にどうとか言うのではなく、ひたすら生徒に申し訳ないのだそうだ。
それはともかく、私たちは義兄の長女が短大の幼児教育課程を卒業しただけと
思い込んでいるが、ちゃんと小学校の教員になるべく
《正統》な資格を取得したのかも知れないし、
幼児課程を卒業して、小学校の先生になるという
《正統》な道があるのかも知れない。
コネさえ、全く使っていないのかも知れない。
《先生》と言っても、正式な教諭からパート的な講師までいろいろあるのだから。
真逆に《不正》という範疇に入る手段で娘を教職につけたのかも知れない。
しかし、私はそこが気になるのではない。
寧ろ、どうでも良い。
気になるのは…
そんなことが世間を賑わしている時に親族がたまたま集まったのだが、
やはり、義兄の長女は仕事を辞めていた。
誰も、何もそんな話しに触れてないのに言いました。
義姉が、
「○○(義兄の長女)ちゃん、妊娠したから仕事辞めたもんなぁ」
その頃の世間の風評から、誤解を受けないように庇っているのか、
嘘をついているのか、それは分からない。
しかし、義姉にとっては、自分の家族と義兄の家族は
《完璧》でなくてはならないのだ。
それも、完璧に近くなるよう一緒に努力しよう、というのではなく、
《完璧》に見えるよう辻褄を合わせることに必死なのだ。
私はそのままの義兄家族で充分、身内として仲良くできる。
好きになれる。
しかし度々、義姉が必死になって義兄を庇い持ち上げ、
悪いことや、弱い部分は全てなかったことにする度に、
そして義兄がそれを訂正するでもなく、
甘んじて持ち上げてもらっている姿を見る度に、
義兄を小さな人間だなぁと、評価が下がっていく。
ともかく、義兄宅では、長女が妊娠し、仕事を辞め、
初孫を迎えることになったのだ。
教職につく人たちの不正がニュースで流されていた。
親が教育委員会などにコネがある場合、その子ども達が有利に教職につけ、
コネのない人は涙を飲んでいる、という出来事が社会問題になった。
質が悪いのは、コネの人たちよりコネのない人の方が優秀で、
真正面から臨めば、絶対に教職につけない人が、
コネで教職に就いているということである。
コネなしでチャレンジしている人が被害を被っているということに加えて、
教育を受ける子ども達にも多大な損失を与えているということだ。
1つの不正が明るみに出ると、
芋づる式に全国から似たような事が発覚し、問題になっていた。
結構、世間を賑わし、連日ワイドショーなどのトップで報道されていた。
発覚を恐れて、問題になる前に退職する人が多くいることも報道された。
わが家では当然、義兄の長女のことが話題になった。
義兄の長女は短大の《幼児教育》系の学部を卒業し、
保育所や幼稚園に勤務していたが、ふと気づけば小学校の先生になっていた。
主人は絶対に父親である義兄のコネなしで、
義兄の長女が教職につけるはずがない、と言い切っていた。
でも、不正なことはしてはいけないが、コネがあるなら、
コネにすがるのは普通の人間だろう。
「もし、自分にコネがあっても絶対にそれで、就職はしません」
と、言い切る自信は私にもない。
因みに、私の娘は「私は絶対にコネで教職になんかつかない」と、言い切っていた。
別に道徳的にどうとか言うのではなく、ひたすら生徒に申し訳ないのだそうだ。
それはともかく、私たちは義兄の長女が短大の幼児教育課程を卒業しただけと
思い込んでいるが、ちゃんと小学校の教員になるべく
《正統》な資格を取得したのかも知れないし、
幼児課程を卒業して、小学校の先生になるという
《正統》な道があるのかも知れない。
コネさえ、全く使っていないのかも知れない。
《先生》と言っても、正式な教諭からパート的な講師までいろいろあるのだから。
真逆に《不正》という範疇に入る手段で娘を教職につけたのかも知れない。
しかし、私はそこが気になるのではない。
寧ろ、どうでも良い。
気になるのは…
そんなことが世間を賑わしている時に親族がたまたま集まったのだが、
やはり、義兄の長女は仕事を辞めていた。
誰も、何もそんな話しに触れてないのに言いました。
義姉が、
「○○(義兄の長女)ちゃん、妊娠したから仕事辞めたもんなぁ」
その頃の世間の風評から、誤解を受けないように庇っているのか、
嘘をついているのか、それは分からない。
しかし、義姉にとっては、自分の家族と義兄の家族は
《完璧》でなくてはならないのだ。
それも、完璧に近くなるよう一緒に努力しよう、というのではなく、
《完璧》に見えるよう辻褄を合わせることに必死なのだ。
私はそのままの義兄家族で充分、身内として仲良くできる。
好きになれる。
しかし度々、義姉が必死になって義兄を庇い持ち上げ、
悪いことや、弱い部分は全てなかったことにする度に、
そして義兄がそれを訂正するでもなく、
甘んじて持ち上げてもらっている姿を見る度に、
義兄を小さな人間だなぁと、評価が下がっていく。
ともかく、義兄宅では、長女が妊娠し、仕事を辞め、
初孫を迎えることになったのだ。
義兄の長女がこの頃に妊娠して初めての子どもを出産した。
女の子だった。
義兄夫婦にとっては初孫だ。
義母にとっては曾孫だが、施設にお見舞いに行って話していると、
その曾孫に逢いたい、というよりは、その子の名前を大層気にしていた。
義母は字画を調べて、それぞれの孫達の名前を付けていたようだ。
私はそんなことを知らなかったし、主人も全く気にしないので、
わが家の子ども達の名前は私たち夫婦で付けた。
義母は「自分らで付けはるみたいやな(曾孫の名前を)」と言って不服そうだった。
私たち夫婦は字画なんて気にしない。字画で幸・不幸が決まるなら世話ないわ。
でも確かに、人に良いイメージを与えるような《感じの良い名前》や、
自分のモチベーションが上がるような《気に入った名前》なら、
その人の人生に良い影響を与えたりするかも知れない。
それにしても、母性愛を兼ね備えた母親で、仲の良い両親に愛されて育ったなら、
字画がどうあれ幸福な人生になるだろう。
名前も両親が子どもの幸福を願って名付けるのが良いと思う。
話しが横道に逸れました。
どこの家庭でも《初孫誕生》はおめでたいニュースだが、
義兄夫婦にとっては長男と疎遠になったままのようだし、
殊更に明るいニュースだったのではないかと推察される。
実際、生まれてからも共働きの娘夫婦を助けて、
お孫さんもとても可愛がっていたようだ。
私の主人は「もうちょっと早く、自分の子どもも可愛いがったれば良かったのにな」
と、言っていた。
何故なら、義兄の子ども達が幼い頃に、
例えば、義兄が自分の子どもの喜ぶところに旅行に連れていってあげるとか、
何か、子どもが可愛くてたまらない、という様子を感じたことがないと言うのだ。
愛情深く子育てしていれば、
義兄の長男はもっと生きやすい人生を歩んでいたのではないかと考えるのだ。
私も同意見だ。
その頃の義親族での集まりで、冒頭に義兄が、
「この間、わしと○○(義弟、義兄には末弟)大喧嘩してんわ。」と切り出した。
「○○(義弟)がな、△△(義兄の長男)のこと『霧みたいやな』言うからな…」
霧、て!
出ました、義弟の
時々、勇者!
義弟はちょくちょく、物凄く余計なことを言ったりする。
でも、悪気がないというか、私の主人もあまり気にしないし、
義母からも、どんなに認知症が進行しようと、
義弟を悪く言うところを聞いたことがない。
話しを元に戻すと、義兄曰く、
「…『霧みたいやな』言うからな、カーっとしてな、大喧嘩したんや。
△△(義兄の長男)が皆に不義理してることは、わしもようく分かっとんねん。」
(いえ、不義理なんてされてません。不義理してる相手が居るとしたら、
借金を返済してくれた義母でしようね。すごく怒ってはりますから。)
「…それにしても、よりによって、霧て言うからな。」
すると、
殆ど額を畳に付けるようにして「すみませんでした。」と謝る義弟夫婦。
「心配してくれてはんねんやん…」ヨヨヨ…と涙ぐむ義兄嫁。
そして義姉は「○○(義弟、義姉にとっては末弟)さん、
時々いらんこと言いはるかならぁ、ホホホ…」と、義弟=悪者で終わろうとする。
すると、義弟がムカッとしたのか「いや、私は兄貴(義兄)の金のこと、
全部おばあちゃん(義母)に聞いて知ってますから!」
来たーーー!!
やっぱり、義弟も義母から私たち夫婦が聞いた義兄のお金の件…
…マンションを買う時、義母にお金をむしんした、
息子である長男が借金を作った時も、親である自分が返済してあげずに
義母に返済してもらったetc…
などを聞いていたということだ。
すると義姉が「へぇ~~?!何やろぉ~?聞きたいわぁ~」と。
気持ち悪っ!!
すかさず義兄が「まぁ、まぁ、まぁ、エエやん。」と言って、
その話しは終わった。
義兄は具体的に《お金》の話が進展するのは困るだろう。
その話し合いの時、以前の記事に載せたように、私の実父の癌治療を支える為、
こちらの介護のローテーションから抜ける旨、主人が伝えたのだ。
その後、主人以外の義姉と義兄、義弟は、
この件について何らかの話しをしたのだろう。
そして、義弟は上手く言いくるめられたか、
色々なことをのみ込んで納得するとか、したのだろう。
それにしても、今振り返っても、義姉という人は必死で義兄を庇う。
そらも、義母にお金をむしんした義兄を「それが何なの、母が納得して
渡したお金なんだから問題ないでしょう。それ以上に介護を助けてくれてる
長男夫婦を私は高く評価するわ。」というような、
義兄そのままを愛している言葉は聞いたことがない。
立派な長男、あっぱれな長男、と抽象的な言葉で持ち上げ、
義兄の弱い部分はひた隠し、無かったことにし、
立派な人物にしようとする。
それは、本当の義兄を愛しているのではない証拠ではないか。
義兄は立派な人でなければならない、だから必死でそのようにしてあげてる自分。
そういう関係って、必ず恩着せがましい雰囲気があるだろう。
何か重苦しい空気になるだろう。
一緒にいれば楽しい、楽しいこと悲しいことを共有したくなる関係ではないだろう。
それでも、離れられない、執着してしまう関係…
…それは共依存だと思う。
女の子だった。
義兄夫婦にとっては初孫だ。
義母にとっては曾孫だが、施設にお見舞いに行って話していると、
その曾孫に逢いたい、というよりは、その子の名前を大層気にしていた。
義母は字画を調べて、それぞれの孫達の名前を付けていたようだ。
私はそんなことを知らなかったし、主人も全く気にしないので、
わが家の子ども達の名前は私たち夫婦で付けた。
義母は「自分らで付けはるみたいやな(曾孫の名前を)」と言って不服そうだった。
私たち夫婦は字画なんて気にしない。字画で幸・不幸が決まるなら世話ないわ。
でも確かに、人に良いイメージを与えるような《感じの良い名前》や、
自分のモチベーションが上がるような《気に入った名前》なら、
その人の人生に良い影響を与えたりするかも知れない。
それにしても、母性愛を兼ね備えた母親で、仲の良い両親に愛されて育ったなら、
字画がどうあれ幸福な人生になるだろう。
名前も両親が子どもの幸福を願って名付けるのが良いと思う。
話しが横道に逸れました。
どこの家庭でも《初孫誕生》はおめでたいニュースだが、
義兄夫婦にとっては長男と疎遠になったままのようだし、
殊更に明るいニュースだったのではないかと推察される。
実際、生まれてからも共働きの娘夫婦を助けて、
お孫さんもとても可愛がっていたようだ。
私の主人は「もうちょっと早く、自分の子どもも可愛いがったれば良かったのにな」
と、言っていた。
何故なら、義兄の子ども達が幼い頃に、
例えば、義兄が自分の子どもの喜ぶところに旅行に連れていってあげるとか、
何か、子どもが可愛くてたまらない、という様子を感じたことがないと言うのだ。
愛情深く子育てしていれば、
義兄の長男はもっと生きやすい人生を歩んでいたのではないかと考えるのだ。
私も同意見だ。
その頃の義親族での集まりで、冒頭に義兄が、
「この間、わしと○○(義弟、義兄には末弟)大喧嘩してんわ。」と切り出した。
「○○(義弟)がな、△△(義兄の長男)のこと『霧みたいやな』言うからな…」
霧、て!
出ました、義弟の
時々、勇者!
義弟はちょくちょく、物凄く余計なことを言ったりする。
でも、悪気がないというか、私の主人もあまり気にしないし、
義母からも、どんなに認知症が進行しようと、
義弟を悪く言うところを聞いたことがない。
話しを元に戻すと、義兄曰く、
「…『霧みたいやな』言うからな、カーっとしてな、大喧嘩したんや。
△△(義兄の長男)が皆に不義理してることは、わしもようく分かっとんねん。」
(いえ、不義理なんてされてません。不義理してる相手が居るとしたら、
借金を返済してくれた義母でしようね。すごく怒ってはりますから。)
「…それにしても、よりによって、霧て言うからな。」
すると、
殆ど額を畳に付けるようにして「すみませんでした。」と謝る義弟夫婦。
「心配してくれてはんねんやん…」ヨヨヨ…と涙ぐむ義兄嫁。
そして義姉は「○○(義弟、義姉にとっては末弟)さん、
時々いらんこと言いはるかならぁ、ホホホ…」と、義弟=悪者で終わろうとする。
すると、義弟がムカッとしたのか「いや、私は兄貴(義兄)の金のこと、
全部おばあちゃん(義母)に聞いて知ってますから!」
来たーーー!!
やっぱり、義弟も義母から私たち夫婦が聞いた義兄のお金の件…
…マンションを買う時、義母にお金をむしんした、
息子である長男が借金を作った時も、親である自分が返済してあげずに
義母に返済してもらったetc…
などを聞いていたということだ。
すると義姉が「へぇ~~?!何やろぉ~?聞きたいわぁ~」と。
気持ち悪っ!!
すかさず義兄が「まぁ、まぁ、まぁ、エエやん。」と言って、
その話しは終わった。
義兄は具体的に《お金》の話が進展するのは困るだろう。
その話し合いの時、以前の記事に載せたように、私の実父の癌治療を支える為、
こちらの介護のローテーションから抜ける旨、主人が伝えたのだ。
その後、主人以外の義姉と義兄、義弟は、
この件について何らかの話しをしたのだろう。
そして、義弟は上手く言いくるめられたか、
色々なことをのみ込んで納得するとか、したのだろう。
それにしても、今振り返っても、義姉という人は必死で義兄を庇う。
そらも、義母にお金をむしんした義兄を「それが何なの、母が納得して
渡したお金なんだから問題ないでしょう。それ以上に介護を助けてくれてる
長男夫婦を私は高く評価するわ。」というような、
義兄そのままを愛している言葉は聞いたことがない。
立派な長男、あっぱれな長男、と抽象的な言葉で持ち上げ、
義兄の弱い部分はひた隠し、無かったことにし、
立派な人物にしようとする。
それは、本当の義兄を愛しているのではない証拠ではないか。
義兄は立派な人でなければならない、だから必死でそのようにしてあげてる自分。
そういう関係って、必ず恩着せがましい雰囲気があるだろう。
何か重苦しい空気になるだろう。
一緒にいれば楽しい、楽しいこと悲しいことを共有したくなる関係ではないだろう。
それでも、離れられない、執着してしまう関係…
…それは共依存だと思う。