2つ目の不愉快な出来事は帰途についてから発覚した。
まるで何かのセレモニーに参加したような親族の集まりから帰途につき、
私達家族4人は、車に乗っていた。
まだ、夕方も早い時間だったので、娘が「セールに行ってきたい」と言い出した。
お正月ということで、デパートもショッピングモールもセールが始まっていた。
それに、子ども達は親族それぞれからお年玉を貰っていたので、懐も暖かかった。
娘が「おばあちゃま(義母)からのお年玉だけ、今日遣っちゃってもいい?」と聞くので、
主人が「パパのも持っていき❗ママも一緒にいっといで」と言った。
そう、前回の記事にしたとおり、今日の集まりでは、
例年にはない親族全員にお年玉が配られるということが、
義姉によって、義母のお金で執り行われたのだ。
そんなことで、わが家族はお行儀の悪いことだが、帰りの車中で早速、
義母からのお年玉を開封してみた。
すると❗❗❗❗❗
私のだけ空だった!
そこまでするか⁉
もう、不愉快で頭がカーッとして、思考力が無くなる感じだった。
こんなに不愉快な気持ちになるなんて、義姉の思惑どおりだ、と思い、
平常心になろうとしても、この時は無理だった。
主人が気を遣って「じゃ、ママは俺の使ったらいいから」と言ってくれかのだが…
主人は別に悪い訳ではないが、私は何かもう、主人にも腹が立っていた。
貴方の、身内にこんな仕打ちされました❗という気持ちだった。
一方、主人も、全く信頼もしておらず、断絶状態の義姉なのだが、
自分の身内が私にしたことで、決まり悪く居心地の悪い感じだった。
私は、主人は悪くないと理屈では分かっていても
「意地でもそんな物は貰わない❗」という主張を変えなかったので、
主人のお年玉は長い期間、わが家の棚に放置してあった。
でも、考えてみれば、主人のお年玉にはちゃんと1万円が入っていて良かった。
これで、義姉が誰が一番憎いのか、ハッキリした。
私の中で、何かがプツッと切れた一瞬でもあった。
今までは《自分にも悪いところがある》と思っていたし、
何かしら誤解もあるのではないか、という懸念も心の隅の隅の隅に少し抱えていた。
しかし、義姉という人は私が感じていたとおりの意地悪な人で、
そして、それを実行出来る冷たい人であることがハッキリした。
《入れ忘れたのでは?》という選択肢が残っているが、
私は今までされてきたことや、言われてきた数々の侮辱があるので、
とうとう決定的なことをしたな、という感じで《入れ忘れた》なんてことは
考えられなかった。
1つ、いいことがあったとすれば、私自身から罪悪感みたいな物が綺麗さっぱり
なくなったことだ。
主人に駅まで送ってもらい、娘と私は繁華街に出掛けたが、
全く気分は晴れなかった。
お正月に親族で集まる旨、連絡があった。
義母も施設から帰宅し、義姉兄弟が皆、夫婦揃っていた。
義兄家族は、いつものように長男は不在だが、長女が夫婦揃っていた。
(この時、義兄の長女が大きなお腹だったのか、幼い子どもが生まれていたのか、
どうしても思い出せないが、そのどちらかだ)
義弟家族は、長男が夫婦揃っており、次男もいた。
義姉家族は、長男も長女もそれぞれ夫婦揃っていた。
私達家族も二人の子どもがいた。
この時期は、義姉が皆で集まりたい時期だった。
義姉の長男は離婚したが、そんなゴタゴタもほとぼりが冷め、再婚して落ち着いていたし、
何といっても30代半ばまで独身だった長女が、義姉お気に入りの男性…
つまり、義姉が満足できる社会的地位や家柄の男性と結婚していた。
そんなことで、義姉としては娘婿をお披露目したいタイミングだったのだろう。
過去の記事に書いたと思うので、詳しい経緯は省くが、
義姉は自分達の子どもが小さな頃には、
子どものない私達夫婦が、子どもありきの集まりに参加するのを当然としていたが、
自分達の子どもが成長し、自分や義兄の子どもに触れられたくない事情がある時には、
私達に幼い子どもが居ることなどおかまいなしに、
親族の集まりに《子ども抜きで》という条件を平気でつけるような人だ。
ある時から、そういう義姉の《心》の都合で、
子どもを含めた家族皆で集まることになったり、
子ども抜きになったりすることに、気付いていた。
親戚が集まるのに、いちいち《子ども抜き》などのメンバー統一するのも、
いかにも女性が仕切っている親族っぽい。
だから、仰々しい顔ぶれを見た瞬間に、
このお正月は義姉にとって、家族の状況が大変好ましいのだな、と感じた。
この日、台所で女性陣が話している時に、義姉が
「⚪⚪(義姉の長女)にも早く赤ちゃんが出来てほしいねんけどね」
などと、嬉しそうに言っていた。
義母はその頃には、人の介助がなければ歩けなかった。
耳も遠くなっているので、回りで話していることも理解していなかったし、
何より自分の子ども達や孫が集まり、自分も自宅に戻っているというのに、
全く喜びが感じられなかった。何にも興味がないという感じだった。
義母は、新しい薄緑の洋服を着せてもらって、皆の前に現れた時に、
皆が「綺麗な色」とか「よく似合ってはる」とか口々に褒めた時だけ
「こんな色、あんまり好き違いますねんけどな」と言われた。
クスクス笑いが起こったが、
義姉だけは「腹立つわ~どんだけ苦労して探してると思ってるんやろ」と怒っていた。
そこは実の母娘ならではの遣り取りだろう。
この日、私が聞いた義母の自発的な言葉はこれだけだった。
この集まりでも非情に不愉快な出来事が2つあった。
1つは、介助の必要な義母がトイレに行った時、
義姉が介助していたのだが、どういうタイミングでか、
介助の助っ人が必要となった。
義母を抱えないといけない状況だったので、できれば男手が良かった。
その時、すぐ側にいたのは私達夫婦だった。
主人が手を貸そうとすると、義姉は、主人には決して手出しをさせまいとするかのように、
「⚪⚪さーん(義兄)!⚪⚪さーん(義弟)!」と、
離れた部屋に居る義兄や義弟に聞こえるまで
狂ったように叫び続けた。
あまりの悲愴感に、義兄嫁も「お父さーん、お父さーん(義兄)」と叫んだ。
私は主人が気の毒で見ていられなかった。
手を差し出して拒否されて、他の兄弟を叫ぶように呼ばれて、
恥ずかしくもあり、居場所もない気持ちだっただろう。
義姉という人は自分が不愉快な思いをした時には、傷付いただの辛かっただの、
騒ぎ立てるのに、人を傷つけることには本当に無頓着だ。
もう、本当に関わらずに生きていきたい❗と思った。
そして、可笑しな作業もあった。
それは、集まった親族の全員にお年玉を配るというものだ。
このような習慣がある家庭もある。
私の伯父家族もそのような習慣があった。
実父の7人兄弟の長男、実父よりも24歳も歳上の伯父だ。
伯父は自分の孫だけでなく、親となった子ども達にも、私のような甥姪にも、
私の両親のような、自分自身の兄弟姉妹やその伴侶にも、とにかく何歳の人であろうと、
年賀に来た人には全員に一万円のお年玉を渡す、という習慣だ。
そして、伯父が亡くなった後は、同居して伯父を看取った跡取り息子夫妻が
その習慣を受け継いでいる。
しかし、義実家にはそんな習慣はなかった。
亡くなった義父からも、義母からも、お年玉を貰うのは孫だけだった。
そして、もちろん、そのことに不満を持ったことなどない。
私の実家だってそうだ。
でも、このお正月はまるで毎年の恒例のように、
小さな和菓子とお年玉が、全員に配られた。
義母は、只、持たされたお年玉を手渡すだけだ。
はい、義姉の虚栄心を満たすセレモニー
始まりました。
過去の記事にも載せたが、義姉の長男が最初の結婚をした時にも、
エステのできるお洒落なホテルに親族一同で泊まりに行ったことがある。
エステを受けられる人数が親族の女性の数より1人少なくて、
私が受けなくていいと言うと、すんなり私が受けないことになり、
義姉はとても満足そうだったのを覚えている。
今回のは、娘婿に見せるセレモニーだろう。まるで恒例行事のように。
義母は、嬉しそうにも幸せそうにも見えなかった。
きょとんとしていた。
全て、義姉が考えて義母のお金でしていることだ。
そんなこんながありながら、お正月の集まりはお開きとなった。
先に《不愉快な出来事が2つあった》と書いたが、
トイレの件とは別の、もう1つの不愉快な出来事は、帰途についてから発覚した。
義母も施設から帰宅し、義姉兄弟が皆、夫婦揃っていた。
義兄家族は、いつものように長男は不在だが、長女が夫婦揃っていた。
(この時、義兄の長女が大きなお腹だったのか、幼い子どもが生まれていたのか、
どうしても思い出せないが、そのどちらかだ)
義弟家族は、長男が夫婦揃っており、次男もいた。
義姉家族は、長男も長女もそれぞれ夫婦揃っていた。
私達家族も二人の子どもがいた。
この時期は、義姉が皆で集まりたい時期だった。
義姉の長男は離婚したが、そんなゴタゴタもほとぼりが冷め、再婚して落ち着いていたし、
何といっても30代半ばまで独身だった長女が、義姉お気に入りの男性…
つまり、義姉が満足できる社会的地位や家柄の男性と結婚していた。
そんなことで、義姉としては娘婿をお披露目したいタイミングだったのだろう。
過去の記事に書いたと思うので、詳しい経緯は省くが、
義姉は自分達の子どもが小さな頃には、
子どものない私達夫婦が、子どもありきの集まりに参加するのを当然としていたが、
自分達の子どもが成長し、自分や義兄の子どもに触れられたくない事情がある時には、
私達に幼い子どもが居ることなどおかまいなしに、
親族の集まりに《子ども抜きで》という条件を平気でつけるような人だ。
ある時から、そういう義姉の《心》の都合で、
子どもを含めた家族皆で集まることになったり、
子ども抜きになったりすることに、気付いていた。
親戚が集まるのに、いちいち《子ども抜き》などのメンバー統一するのも、
いかにも女性が仕切っている親族っぽい。
だから、仰々しい顔ぶれを見た瞬間に、
このお正月は義姉にとって、家族の状況が大変好ましいのだな、と感じた。
この日、台所で女性陣が話している時に、義姉が
「⚪⚪(義姉の長女)にも早く赤ちゃんが出来てほしいねんけどね」
などと、嬉しそうに言っていた。
義母はその頃には、人の介助がなければ歩けなかった。
耳も遠くなっているので、回りで話していることも理解していなかったし、
何より自分の子ども達や孫が集まり、自分も自宅に戻っているというのに、
全く喜びが感じられなかった。何にも興味がないという感じだった。
義母は、新しい薄緑の洋服を着せてもらって、皆の前に現れた時に、
皆が「綺麗な色」とか「よく似合ってはる」とか口々に褒めた時だけ
「こんな色、あんまり好き違いますねんけどな」と言われた。
クスクス笑いが起こったが、
義姉だけは「腹立つわ~どんだけ苦労して探してると思ってるんやろ」と怒っていた。
そこは実の母娘ならではの遣り取りだろう。
この日、私が聞いた義母の自発的な言葉はこれだけだった。
この集まりでも非情に不愉快な出来事が2つあった。
1つは、介助の必要な義母がトイレに行った時、
義姉が介助していたのだが、どういうタイミングでか、
介助の助っ人が必要となった。
義母を抱えないといけない状況だったので、できれば男手が良かった。
その時、すぐ側にいたのは私達夫婦だった。
主人が手を貸そうとすると、義姉は、主人には決して手出しをさせまいとするかのように、
「⚪⚪さーん(義兄)!⚪⚪さーん(義弟)!」と、
離れた部屋に居る義兄や義弟に聞こえるまで
狂ったように叫び続けた。
あまりの悲愴感に、義兄嫁も「お父さーん、お父さーん(義兄)」と叫んだ。
私は主人が気の毒で見ていられなかった。
手を差し出して拒否されて、他の兄弟を叫ぶように呼ばれて、
恥ずかしくもあり、居場所もない気持ちだっただろう。
義姉という人は自分が不愉快な思いをした時には、傷付いただの辛かっただの、
騒ぎ立てるのに、人を傷つけることには本当に無頓着だ。
もう、本当に関わらずに生きていきたい❗と思った。
そして、可笑しな作業もあった。
それは、集まった親族の全員にお年玉を配るというものだ。
このような習慣がある家庭もある。
私の伯父家族もそのような習慣があった。
実父の7人兄弟の長男、実父よりも24歳も歳上の伯父だ。
伯父は自分の孫だけでなく、親となった子ども達にも、私のような甥姪にも、
私の両親のような、自分自身の兄弟姉妹やその伴侶にも、とにかく何歳の人であろうと、
年賀に来た人には全員に一万円のお年玉を渡す、という習慣だ。
そして、伯父が亡くなった後は、同居して伯父を看取った跡取り息子夫妻が
その習慣を受け継いでいる。
しかし、義実家にはそんな習慣はなかった。
亡くなった義父からも、義母からも、お年玉を貰うのは孫だけだった。
そして、もちろん、そのことに不満を持ったことなどない。
私の実家だってそうだ。
でも、このお正月はまるで毎年の恒例のように、
小さな和菓子とお年玉が、全員に配られた。
義母は、只、持たされたお年玉を手渡すだけだ。
はい、義姉の虚栄心を満たすセレモニー
始まりました。
過去の記事にも載せたが、義姉の長男が最初の結婚をした時にも、
エステのできるお洒落なホテルに親族一同で泊まりに行ったことがある。
エステを受けられる人数が親族の女性の数より1人少なくて、
私が受けなくていいと言うと、すんなり私が受けないことになり、
義姉はとても満足そうだったのを覚えている。
今回のは、娘婿に見せるセレモニーだろう。まるで恒例行事のように。
義母は、嬉しそうにも幸せそうにも見えなかった。
きょとんとしていた。
全て、義姉が考えて義母のお金でしていることだ。
そんなこんながありながら、お正月の集まりはお開きとなった。
先に《不愉快な出来事が2つあった》と書いたが、
トイレの件とは別の、もう1つの不愉快な出来事は、帰途についてから発覚した。
義母は1度、施設を移転した。
その時、義姉は「施設を移転しますから」と、義母を連れて主人の店まで来たものの、
主人が移転先を尋ねても「電話してきなさい!」の一辺倒で、
移転先を絶対に言わなかったらしい。
もう、末期症状ですね❗
こうなってもまだ、自分に電話してこいと!
目の前で会話しているのに、自分に電話してこいと!
どうしても、主人から自分に電話してこさせたいのですね!
この支配欲は何なのでしようか?
キーパーソンだから?
主人から呆れたように、困ったように、この件を報告されて、
私は「私が⚪⚪おねえ(義兄嫁)さんに聞いてみるわ」と言った。
主人は「多分、言わへんやろ!」と期待していなかったようだが、私は電話してみた。
私は、義兄嫁に「お義母さんが、施設を移転されたそうなのですが、
お義姉さんが、絶対に移転先を教えてくれないらしくて…スミマセンが、
移転先を教えてもらえますか?」と尋ねた。
義兄嫁は思いの外、直ぐに移転先を教えてくれた。
私は義姉のやり方に、かなり腹がたっていたので、
私が義姉から嫌われていることは重々承知している旨、義兄嫁に伝えた。
まず、かなり以前から、顔を合わせば「⚪⚪はやっしぃ、やっさしぃ」と、
当て擦りを言われること。←これは以前の記事にも書いているが、
「やっさしぃ!」は優しいを嫌味に言った最上級だ。
実家にばかり行ってるお嫁さんに何も言わない優しい男、の意味であることは
前後の会話で明白だ。
私の実家に頻繁に出掛けるのは、私が家計を助ける為に仕事をしていたので、
子どもを度々、実家の両親に見てもらっていたからだ。
なので、義姉が「貴方達、お嫁さんの実家にばかり行かないで、
こちらの母にもよくしてあげなさい」と、ハッキリ叱る人ならば、
その事情を伝えただろう。そして、義姉が密着しているから、
私達夫婦は義母を訪ねられないことも伝えただろう。
もちろん、それで喧嘩になったかも知れないが、ここまで拗れているのだから、
喧嘩が必要なのでは?!
義兄嫁との電話の内容に話しを戻すと、そのように義姉から当て擦りを言われること、
加えて、義母が、かつて県立病院に入院していた時には、
第三者である、お見舞いに来られた中年女性からも、
「次男さん(主人)のお嫁さんですか?⚪⚪さん(義姉)がいつも、
次男さんがやっさしぃ、やっさしぃって、言ってはりますよ」と言われた。
そして、今だに当て擦りは続いている。
ひょっとして、お義姉さんは、主人がお義母さんの施設には行かずに、
私の実父の病院ばかり見舞っているとでも思っているのではないか。
しかし、主人は病院や施設そのものが苦手で、私の実父の病院にも、
ほとんど見舞っていないと、あくまで主人は平等だと、伝えた。
これは本当のことで、主人は軽いパニック障害の傾向があって、
《病室》のような閉鎖された空間が苦手なのだ。施設の個室も同じだ。
只、義姉には伝える気がないので、パニック障害の件は義兄嫁にも話していない。
そのような状況であるのに、私の実家にばかり行ってると腹を立て、
私に当て擦りを言うのはともかく、主人も義母の子どもであるのだから、
移転先の施設を教えない、というのはあんまりではないか!
と、初めて、私はそこそこ本音…つまり怒りを義兄嫁に伝えた。
それに対して義兄嫁は、お義姉さんからは、お義母さんの移転先を、
次男夫婦には絶対にこちらから
知らせたらアカンて言われてて、
(やっぱりね!)
キツイこと言いはんな、と私も思ったけど……お義姉さんは、
自分がものすごいお義母さんの面倒みてんのに、お義母さんは逆に、
ものすごい⚪⚪さん(主人)のことを気にかけはんねん。それが悔しいんやわ。
お義母さんは、やっぱり⚪⚪さん(主人)と一番長いこと一緒に住んではったから、
ものすごい気にしてはんねん、お義姉さんはそれが辛いんやわ。
でも、お義姉さんは話して分からへん人違うで。
それから、⚪⚪さん(主人)と仲良くせんとアカンで。
最後の「⚪⚪さん(主人)と仲良くせんとアカンで」は、
私が、主人が私の実父の病院にもほとんど来ない、と言ったのを
私が主人に対して不満を持っていると感じたのだろう。
パニック障害の件も話していないので、そこは仕方ないかもしれない。
もちろん、私が主人に対して全く不満がない訳ではないが、
まぁ、そこは私達夫婦がお互いに折り合いを見つけていたと思う。
それにしても、私は初めて、義兄弟夫婦の誰かと本音で話した気がした。
まぁ、これが最初で最後になるのだが。
分かっていたことだが、義姉はやはり他の兄弟に対して
私達夫婦にはこのように接するように、仕切っていたのだ。
それに全く逆らわない義兄弟夫婦達。
只、ハッキリ分かったことは、
やはり義兄嫁も、義姉が主人に対して決して普通ではないことを、分かっているのだ。
義兄嫁の解釈は、その理由が《義母が世話をしてくれる義姉よりも、主人を気にかけるから》
ということで、それが正解なのか、或いはそれだけが正解なのか、それは置いておいても、
義姉が主人に対して決して普通ではないことは分かっているのだ。
義姉がいつも主張する、主人が義姉を誤解して勝手にひねくれているという主張は、
根の正直な義兄嫁が否定してくれた。
その時、義姉は「施設を移転しますから」と、義母を連れて主人の店まで来たものの、
主人が移転先を尋ねても「電話してきなさい!」の一辺倒で、
移転先を絶対に言わなかったらしい。
もう、末期症状ですね❗
こうなってもまだ、自分に電話してこいと!
目の前で会話しているのに、自分に電話してこいと!
どうしても、主人から自分に電話してこさせたいのですね!
この支配欲は何なのでしようか?
キーパーソンだから?
主人から呆れたように、困ったように、この件を報告されて、
私は「私が⚪⚪おねえ(義兄嫁)さんに聞いてみるわ」と言った。
主人は「多分、言わへんやろ!」と期待していなかったようだが、私は電話してみた。
私は、義兄嫁に「お義母さんが、施設を移転されたそうなのですが、
お義姉さんが、絶対に移転先を教えてくれないらしくて…スミマセンが、
移転先を教えてもらえますか?」と尋ねた。
義兄嫁は思いの外、直ぐに移転先を教えてくれた。
私は義姉のやり方に、かなり腹がたっていたので、
私が義姉から嫌われていることは重々承知している旨、義兄嫁に伝えた。
まず、かなり以前から、顔を合わせば「⚪⚪はやっしぃ、やっさしぃ」と、
当て擦りを言われること。←これは以前の記事にも書いているが、
「やっさしぃ!」は優しいを嫌味に言った最上級だ。
実家にばかり行ってるお嫁さんに何も言わない優しい男、の意味であることは
前後の会話で明白だ。
私の実家に頻繁に出掛けるのは、私が家計を助ける為に仕事をしていたので、
子どもを度々、実家の両親に見てもらっていたからだ。
なので、義姉が「貴方達、お嫁さんの実家にばかり行かないで、
こちらの母にもよくしてあげなさい」と、ハッキリ叱る人ならば、
その事情を伝えただろう。そして、義姉が密着しているから、
私達夫婦は義母を訪ねられないことも伝えただろう。
もちろん、それで喧嘩になったかも知れないが、ここまで拗れているのだから、
喧嘩が必要なのでは?!
義兄嫁との電話の内容に話しを戻すと、そのように義姉から当て擦りを言われること、
加えて、義母が、かつて県立病院に入院していた時には、
第三者である、お見舞いに来られた中年女性からも、
「次男さん(主人)のお嫁さんですか?⚪⚪さん(義姉)がいつも、
次男さんがやっさしぃ、やっさしぃって、言ってはりますよ」と言われた。
そして、今だに当て擦りは続いている。
ひょっとして、お義姉さんは、主人がお義母さんの施設には行かずに、
私の実父の病院ばかり見舞っているとでも思っているのではないか。
しかし、主人は病院や施設そのものが苦手で、私の実父の病院にも、
ほとんど見舞っていないと、あくまで主人は平等だと、伝えた。
これは本当のことで、主人は軽いパニック障害の傾向があって、
《病室》のような閉鎖された空間が苦手なのだ。施設の個室も同じだ。
只、義姉には伝える気がないので、パニック障害の件は義兄嫁にも話していない。
そのような状況であるのに、私の実家にばかり行ってると腹を立て、
私に当て擦りを言うのはともかく、主人も義母の子どもであるのだから、
移転先の施設を教えない、というのはあんまりではないか!
と、初めて、私はそこそこ本音…つまり怒りを義兄嫁に伝えた。
それに対して義兄嫁は、お義姉さんからは、お義母さんの移転先を、
次男夫婦には絶対にこちらから
知らせたらアカンて言われてて、
(やっぱりね!)
キツイこと言いはんな、と私も思ったけど……お義姉さんは、
自分がものすごいお義母さんの面倒みてんのに、お義母さんは逆に、
ものすごい⚪⚪さん(主人)のことを気にかけはんねん。それが悔しいんやわ。
お義母さんは、やっぱり⚪⚪さん(主人)と一番長いこと一緒に住んではったから、
ものすごい気にしてはんねん、お義姉さんはそれが辛いんやわ。
でも、お義姉さんは話して分からへん人違うで。
それから、⚪⚪さん(主人)と仲良くせんとアカンで。
最後の「⚪⚪さん(主人)と仲良くせんとアカンで」は、
私が、主人が私の実父の病院にもほとんど来ない、と言ったのを
私が主人に対して不満を持っていると感じたのだろう。
パニック障害の件も話していないので、そこは仕方ないかもしれない。
もちろん、私が主人に対して全く不満がない訳ではないが、
まぁ、そこは私達夫婦がお互いに折り合いを見つけていたと思う。
それにしても、私は初めて、義兄弟夫婦の誰かと本音で話した気がした。
まぁ、これが最初で最後になるのだが。
分かっていたことだが、義姉はやはり他の兄弟に対して
私達夫婦にはこのように接するように、仕切っていたのだ。
それに全く逆らわない義兄弟夫婦達。
只、ハッキリ分かったことは、
やはり義兄嫁も、義姉が主人に対して決して普通ではないことを、分かっているのだ。
義兄嫁の解釈は、その理由が《義母が世話をしてくれる義姉よりも、主人を気にかけるから》
ということで、それが正解なのか、或いはそれだけが正解なのか、それは置いておいても、
義姉が主人に対して決して普通ではないことは分かっているのだ。
義姉がいつも主張する、主人が義姉を誤解して勝手にひねくれているという主張は、
根の正直な義兄嫁が否定してくれた。