お通夜の夜は、一晩中灯りを落とさぬように誰かが番をするのが一般的だと思うが、
義家族では、それを義姉の長男(ここではI君とする)夫婦が引き受けることとなった。
翌日には葬儀があり、一旦帰るには義姉の長男の家は遠方だったこともある。。
一方、義姉兄弟は義弟こそ隣県に住んでおり、車で1時間程の距離だったが、
充分に2日間通える距離だったし、
残りの3家族はだいたい、わが家5分、義兄宅10分、義姉宅15分という車での移動距離で、
皆、葬儀会場に程近いところに住んでいた。
そこで、一晩中ご遺体の番をしたI君夫婦が、翌朝、
どこかの家で、お風呂に入るなどの小休憩をとらなければならない…という話しになった。
もちろん自然なのはI君の実家である義姉宅であり、
義姉が「お風呂焚いとくけど何時頃に交代する?」と言った。
I君は自分の嫁を見て「どうする?」と聞くが、お嫁さんは「どうしようかな~」と
ハッキリしない。
I君嫁が、義母である義姉のことを敬遠していると、I君から聞いている私の主人はすかさず
「うちが近いからうちへ来たら?」と助け船を出した。
(過去の記事にも載せているが、主人は義親族の中でこの甥っ子とのみ
過去~現在とおして付き合いがある)
I君嫁は「じゃ、○○さん(私の主人)とこへ行かせてもらおうっかな~」と即答した。
その時の義姉は苦虫を潰したような顔でノーコメントだった。
度々私が主張することだが、義姉は、私達夫婦には「連絡をして来ない」「感謝を示さない」
「常識がない」「報連相がない❗」
と、頭ごなしに怒るのに、自分のこういう態度には疑問を感じないようだ。
「息子夫婦がお世話になるけどヨロシク」「ゴメンね」「ありがとう」などの
礼があるのが常識だろう。
普段から常識ある付き合いをしていないのだから、
ここで「礼」の言葉が出ないことに、私はとやかく言うつもりはない。
理解できないのは、自分はそうでありながら、なんの疑問も持たずに
私達夫婦には「常識がない❗」と責め立てることだ。
いつも結局はこの思いに行きついてしまう。
《お互いさま》の部分を一切認めず、《自分は正しい》と主張する限り、
この拗れた関係は改善しないだろう。
それにしても義姉という人は……
実の息子夫婦ともこんな感じであり、
義姉夫側の親族の、義姉夫のたった一人の妹で、
義姉と同い年の義妹家族とも遺産相続で絶縁しており、
義姉の実の弟である私の主人とも対立している訳だ。
どんなに誠実に生きていても、どうしようもない人と関わり、
拗れた人間関係を抱える場合はあるだろう。
しかし義姉、ごく身近で、私の知るだけで3つも葛藤のある関係を抱えているならば、
「私の考え方や行動にも問題があるのでは?」と、
生き方を見直す気持ちになっても良いのではないか?
自分を取り巻いている人達、自分が積極的に関わろうとしている人達は、
本当に心の温かい人達なのか、立ち止まって考えるべき状況だと思う。
しかし、義姉は自分を正当化することに全てのエネルギーを注いでいる。
親族でありながらお客さまのような私は、ひたすら人間観察にひたるお通夜であった。
お通夜もお葬式も、私達夫婦は息子や嫁というよりお客さまのように振る舞っていた。
もちろん義姉や義兄嫁や義弟嫁が、私を義姉妹のように扱うことはなかった。
充分疎外感を感じるように振る舞ってくれた。
しかし、それはお互い様であり、元々、一般常識から外れた兄弟関係であったのだから
仕方のないことだと思う。
そういう元々ギクシャクした関係であるにも関わらず、
義姉のように、一方的に相手側が常識ないと言うつもりはない。
人間観察よろしく見ていたら、義姉が、コソコソと分かりやすく義兄嫁に白い包みを渡し、
それを義兄嫁が、コソコソと分かりやすく<葬儀屋さんのおばさん>に渡す。
<葬儀屋さんのおばさん>はもう、そんな~と分かりやすく受けとる。
お世話になるので心付けをお渡ししたのだろう。
それにしても、本当にこっそり渡したいのなら、
いくらでも誰の目にも触れずに渡すことが出来るだろう。
この<葬儀屋さんのおばさん>もあちら側の分りやすい人で、
心付けを受け取った途端に「奥様ぁ~」と分かりやすく媚びていた。
義姉はこういう<物事の遣り方が分かっている>…というような行動が好きだ。
そして決してさりげなくはない…《遣り方が分かっている自分》アピールの行動だから。
そして<他人に心付けを渡す役>に満更でもない義兄嫁。
心付けを戴いて媚びを売るおばさん。
人間ってつくづく類は友を呼ぶんだな、と3人を見ていた。
もし義姉が、心から、<葬儀屋さんのおばさん>に感謝して…
或いは、心から、お通夜に集まってくれた親族に気持ちよく過ごしてもらいたい為に…
或いは、単純に「そうするものだから」と思って…
それらの理由で心付けを渡すのならば、
本当に誰も見ていないところで自分のお金をこっそり渡すだろう。
動機が純粋なものならば、こんなつまらないことで
長男の嫁を立てています❗的な行動は必要ないからだ。
実は成熟できていない人間でありながら、立派な人間として振る舞う人の典型的な行動だ。
又、義兄嫁も成熟した人ならば、自分のお金でもない、自分の発想でもないことで、
長男の嫁として立ててもらうことに気恥ずかしさを感じるだろう。
おばさんも然り…
成熟した大人ならば心付けを貰っても貰わなくても、
同じ態度で自分の仕事を全うするだろう。
そして、人前で金銭を受け取ることに抵抗があるだろう。
もし……、義兄嫁がおばさんに心付けを渡すことを辞退したとしたら、
もし……、おばさんが心付けを貰っても、媚びを売らず誰にも公平な態度だとしたら、
義姉はそれを不満に思うだろう。
義姉の行動の動機となる、物事への感じ方の特徴的なもので、
義姉はそういう公平な態度の人を<物事の遣り方を分かっていない>と感じたり、
「私の思い遣りがわからない<冷たい人>」と感じたりするのだ。
義姉にとってはラッキーなことに、
義兄嫁も<葬儀屋さんのおばさん>もそういう人ではなかった。
成熟した公平な態度をとれる人ばかりが評価される訳ではないのは
この3人を見ていればよく分かる。
このような、一時的な関係ならそんなに問題はないが、
義姉のようなタイプが部活の先輩であったり、或いは先生であったり、
仕事の上司であったなら、要らぬ苦労をするだろう。
或いは成熟した上司にこの3人のようなタイプが部下ならぱ、
冷たい上司……と、勝手に傷付いたり悩んだりするかも知れない。
人間って複雑なものだと思う。
しかし、義兄嫁は義姉と一時的な関係ではないのだから、しんどくないのだろうか?
というのは、義姉➡義兄嫁➡<葬儀屋さんのおばさん>と同列に並べたが、
義姉と<葬儀屋さんのおばさん>に比べて、義兄嫁は<自分>というものがないようにも感じる。
“確信犯”ではないというか、流されているとも感じる。
“自分がない”というのも、時には自分を追い込んだり、人を傷つけたりするのではないか。
人間関係は複雑だが、成熟した公平な人が損ばかりする訳ではない。
所詮、この3人のような関係は共依存であり、脆いものだ。
瞬く間に密接に仲良くなったかと思ったら、次には口もきかないほど仲が悪くなった…
という人間関係を、誰でも身近で見たことがあるのではないか?
いずれにしても、私達夫婦が義姉と親密になれないのは<必然>だな~
などと、私は人間観察していた。
この記事は私の独断的な思いである。
もちろん義姉や義兄嫁や義弟嫁が、私を義姉妹のように扱うことはなかった。
充分疎外感を感じるように振る舞ってくれた。
しかし、それはお互い様であり、元々、一般常識から外れた兄弟関係であったのだから
仕方のないことだと思う。
そういう元々ギクシャクした関係であるにも関わらず、
義姉のように、一方的に相手側が常識ないと言うつもりはない。
人間観察よろしく見ていたら、義姉が、コソコソと分かりやすく義兄嫁に白い包みを渡し、
それを義兄嫁が、コソコソと分かりやすく<葬儀屋さんのおばさん>に渡す。
<葬儀屋さんのおばさん>はもう、そんな~と分かりやすく受けとる。
お世話になるので心付けをお渡ししたのだろう。
それにしても、本当にこっそり渡したいのなら、
いくらでも誰の目にも触れずに渡すことが出来るだろう。
この<葬儀屋さんのおばさん>もあちら側の分りやすい人で、
心付けを受け取った途端に「奥様ぁ~」と分かりやすく媚びていた。
義姉はこういう<物事の遣り方が分かっている>…というような行動が好きだ。
そして決してさりげなくはない…《遣り方が分かっている自分》アピールの行動だから。
そして<他人に心付けを渡す役>に満更でもない義兄嫁。
心付けを戴いて媚びを売るおばさん。
人間ってつくづく類は友を呼ぶんだな、と3人を見ていた。
もし義姉が、心から、<葬儀屋さんのおばさん>に感謝して…
或いは、心から、お通夜に集まってくれた親族に気持ちよく過ごしてもらいたい為に…
或いは、単純に「そうするものだから」と思って…
それらの理由で心付けを渡すのならば、
本当に誰も見ていないところで自分のお金をこっそり渡すだろう。
動機が純粋なものならば、こんなつまらないことで
長男の嫁を立てています❗的な行動は必要ないからだ。
実は成熟できていない人間でありながら、立派な人間として振る舞う人の典型的な行動だ。
又、義兄嫁も成熟した人ならば、自分のお金でもない、自分の発想でもないことで、
長男の嫁として立ててもらうことに気恥ずかしさを感じるだろう。
おばさんも然り…
成熟した大人ならば心付けを貰っても貰わなくても、
同じ態度で自分の仕事を全うするだろう。
そして、人前で金銭を受け取ることに抵抗があるだろう。
もし……、義兄嫁がおばさんに心付けを渡すことを辞退したとしたら、
もし……、おばさんが心付けを貰っても、媚びを売らず誰にも公平な態度だとしたら、
義姉はそれを不満に思うだろう。
義姉の行動の動機となる、物事への感じ方の特徴的なもので、
義姉はそういう公平な態度の人を<物事の遣り方を分かっていない>と感じたり、
「私の思い遣りがわからない<冷たい人>」と感じたりするのだ。
義姉にとってはラッキーなことに、
義兄嫁も<葬儀屋さんのおばさん>もそういう人ではなかった。
成熟した公平な態度をとれる人ばかりが評価される訳ではないのは
この3人を見ていればよく分かる。
このような、一時的な関係ならそんなに問題はないが、
義姉のようなタイプが部活の先輩であったり、或いは先生であったり、
仕事の上司であったなら、要らぬ苦労をするだろう。
或いは成熟した上司にこの3人のようなタイプが部下ならぱ、
冷たい上司……と、勝手に傷付いたり悩んだりするかも知れない。
人間って複雑なものだと思う。
しかし、義兄嫁は義姉と一時的な関係ではないのだから、しんどくないのだろうか?
というのは、義姉➡義兄嫁➡<葬儀屋さんのおばさん>と同列に並べたが、
義姉と<葬儀屋さんのおばさん>に比べて、義兄嫁は<自分>というものがないようにも感じる。
“確信犯”ではないというか、流されているとも感じる。
“自分がない”というのも、時には自分を追い込んだり、人を傷つけたりするのではないか。
人間関係は複雑だが、成熟した公平な人が損ばかりする訳ではない。
所詮、この3人のような関係は共依存であり、脆いものだ。
瞬く間に密接に仲良くなったかと思ったら、次には口もきかないほど仲が悪くなった…
という人間関係を、誰でも身近で見たことがあるのではないか?
いずれにしても、私達夫婦が義姉と親密になれないのは<必然>だな~
などと、私は人間観察していた。
この記事は私の独断的な思いである。
義姉兄弟とその家族、加えて私達家族だけでお通夜は執り行われた。
昼間に葬儀会場に行ったが、前の記事のとおり、
義姉から帰るように言われたので、お通夜の時間に間に合うよう家族で出掛けた。
いつものように、居心地悪い中で私達家族は過ごした。
お通夜では義兄の長男(ここではH君とする)と久しぶりに逢った。
H君は、ある時から急に親族の集まりに顔を出さなくなり、
大人になった彼とは数える程しか逢ったことがない。
義姉から招集がかかった時の食事会くらいにしか、
義家族の集まりに顔を出さなくなった私達家族は、
そこにさえ来ないH君には数年は逢わない訳だ。
前回に逢ったのは数年前、H君の妹(義兄の長女)の結婚式だったと思う。
何故、彼が顔を出さなくなったのか、始めは誰もその理由を私達夫婦には話さなかったが、
後に義母が話してくれた。
それによると、 H君はスポーツ推薦で大学に行っていたが、
女子禁制の寮に女の子を入室させ、2度目に退学になったという。
それも私達夫婦は、義母が誰かから教えられたことを、義母から聞いたにすぎないので、
果たして義母が真実を聞かされていたのか、真相は分からない。
仮に真実だとして、
大学が退学になったからと言って、何故こんなに親族と疎遠になるのか?
後の生き方によっては、男の子の退学なんて勲章みたいになることもある。
つまり、只、大学が退学になっただけではなく、
親との関係も悪くなったということだ。
親とH君の間を長女(H君の妹)が取り持っているとも聞いたことがある。
H君と関係が悪くなったのが義兄だけなのか、義兄夫婦共になのかは分からない。
大学が退学になったくらい、多少はカッコ悪いかも知れないが、
そのままの自分を親が受け入れてくれていたなら、
H君が義親族の集まりに来なくなることはないだろう。
親も退学になったわが子のそのままの価値を認めていたなら、
親族の集まりに来るよう言うだろう。
自分の顔に泥を塗った…というような世間体とわが子を天秤にかけたのなら、
何という愚かなことをしたのだろう。
それが真実ならば、義兄と私の主人は根本的に価値観が違うということだ。
因みに義姉もH君が退学になった頃から《子ども抜きの集まり》なるものを画策しだした。
親や、親と殊更に仲の良い伯母がそのような価値観なら、
H君も義親族の集まりに顔を出すのは気が重くなって当然だ。
或いは、私達夫婦が義母から聞いたこと以外にも何かあって、
義兄親子は関係が悪くなったのかも知れないが、
もし、子どもが大学を退学になったことだけで我が息子を愛せなくなったのだとしたら、
何て残念なのだろう。
そんな夫と共に暮らすことを選択したのならば、
義兄嫁も息子より世間体……私には理解できない発想だ。
話しが横道に逸れてしまったが、そんなH君と、義母のお通夜で久々に顔を合わせた。
そして、お経の終わった後の食事では同じテーブルを囲むことになった。
いくつかのテーブルに別れて座るのだが、義姉を絶対的に避けている私達家族は
必然的に甥や姪達とテーブルを囲むことになった。
義兄の長女とその伴侶、そしてH君は、わが家の息子と同じ部活動の出身だ。
そのスポーツの話しになると、やはりH君はスポーツ推薦で高校~大学と行ったこともあり、
素晴らしいベストタイムを持っており、わが家の息子も感心していた。
「すごいなぁ」と皆で感心していたのだが、H君はこう言った。
「俺ら(強豪校の選手達)な、勉強もせんと只練習してばっかりやったからな、
少々速くて当たり前やねん。別にどうってことないねん。
○○君(わが家の息子)みたいに勉強と両方しとく方がエエねんで。」
という類いのことを言った。
ここで、いくらでもいい格好が出来るのに、わが家の息子にいくらでも上から話せるのに、
こう言い放ったH君に私は心底感心した。
家に帰ってから「H君ってスゴいな」と感心する息子に、
私は「タイムも素晴らしいけど、あの時、全然威張らずに、
勉強とバランスよくやってる○○君みたいなんがエエねんで、って言ったところが
H君の本当に立派なところだと思うよ。○○もそこを見習わないとね。」と、話した。
息子も「ホンマやな」と頷いていた。
H君は本当に道理の分かっている子だと思う。
もし、大学退学後に彼が投げやりな人生を歩んだとしたら、
義兄夫婦にも大きな責任があると思う。
しかし、あの日から数えただけでも、もう数年経ち、
彼の人生もかれこれ中年という域にきているだろう。
そうそう自分の人生を親のせいにばかりは出来ない。
(彼が親のせいにしているかは分からないが…)
親のせいにばかりは出来ないが、
成長過程では、自分は身近に居る大人の影響を避けることは出来なかったこと。
未熟な自分であったのは、自分だけの責任ではないことを知っていてほしい。
そしてそこから、自分自身への反省に繋がっていればいいなと思う。
彼が幸福な人生を切り開いていることを願う。
さて、数年前のお通夜~葬儀は続いていく。
昼間に葬儀会場に行ったが、前の記事のとおり、
義姉から帰るように言われたので、お通夜の時間に間に合うよう家族で出掛けた。
いつものように、居心地悪い中で私達家族は過ごした。
お通夜では義兄の長男(ここではH君とする)と久しぶりに逢った。
H君は、ある時から急に親族の集まりに顔を出さなくなり、
大人になった彼とは数える程しか逢ったことがない。
義姉から招集がかかった時の食事会くらいにしか、
義家族の集まりに顔を出さなくなった私達家族は、
そこにさえ来ないH君には数年は逢わない訳だ。
前回に逢ったのは数年前、H君の妹(義兄の長女)の結婚式だったと思う。
何故、彼が顔を出さなくなったのか、始めは誰もその理由を私達夫婦には話さなかったが、
後に義母が話してくれた。
それによると、 H君はスポーツ推薦で大学に行っていたが、
女子禁制の寮に女の子を入室させ、2度目に退学になったという。
それも私達夫婦は、義母が誰かから教えられたことを、義母から聞いたにすぎないので、
果たして義母が真実を聞かされていたのか、真相は分からない。
仮に真実だとして、
大学が退学になったからと言って、何故こんなに親族と疎遠になるのか?
後の生き方によっては、男の子の退学なんて勲章みたいになることもある。
つまり、只、大学が退学になっただけではなく、
親との関係も悪くなったということだ。
親とH君の間を長女(H君の妹)が取り持っているとも聞いたことがある。
H君と関係が悪くなったのが義兄だけなのか、義兄夫婦共になのかは分からない。
大学が退学になったくらい、多少はカッコ悪いかも知れないが、
そのままの自分を親が受け入れてくれていたなら、
H君が義親族の集まりに来なくなることはないだろう。
親も退学になったわが子のそのままの価値を認めていたなら、
親族の集まりに来るよう言うだろう。
自分の顔に泥を塗った…というような世間体とわが子を天秤にかけたのなら、
何という愚かなことをしたのだろう。
それが真実ならば、義兄と私の主人は根本的に価値観が違うということだ。
因みに義姉もH君が退学になった頃から《子ども抜きの集まり》なるものを画策しだした。
親や、親と殊更に仲の良い伯母がそのような価値観なら、
H君も義親族の集まりに顔を出すのは気が重くなって当然だ。
或いは、私達夫婦が義母から聞いたこと以外にも何かあって、
義兄親子は関係が悪くなったのかも知れないが、
もし、子どもが大学を退学になったことだけで我が息子を愛せなくなったのだとしたら、
何て残念なのだろう。
そんな夫と共に暮らすことを選択したのならば、
義兄嫁も息子より世間体……私には理解できない発想だ。
話しが横道に逸れてしまったが、そんなH君と、義母のお通夜で久々に顔を合わせた。
そして、お経の終わった後の食事では同じテーブルを囲むことになった。
いくつかのテーブルに別れて座るのだが、義姉を絶対的に避けている私達家族は
必然的に甥や姪達とテーブルを囲むことになった。
義兄の長女とその伴侶、そしてH君は、わが家の息子と同じ部活動の出身だ。
そのスポーツの話しになると、やはりH君はスポーツ推薦で高校~大学と行ったこともあり、
素晴らしいベストタイムを持っており、わが家の息子も感心していた。
「すごいなぁ」と皆で感心していたのだが、H君はこう言った。
「俺ら(強豪校の選手達)な、勉強もせんと只練習してばっかりやったからな、
少々速くて当たり前やねん。別にどうってことないねん。
○○君(わが家の息子)みたいに勉強と両方しとく方がエエねんで。」
という類いのことを言った。
ここで、いくらでもいい格好が出来るのに、わが家の息子にいくらでも上から話せるのに、
こう言い放ったH君に私は心底感心した。
家に帰ってから「H君ってスゴいな」と感心する息子に、
私は「タイムも素晴らしいけど、あの時、全然威張らずに、
勉強とバランスよくやってる○○君みたいなんがエエねんで、って言ったところが
H君の本当に立派なところだと思うよ。○○もそこを見習わないとね。」と、話した。
息子も「ホンマやな」と頷いていた。
H君は本当に道理の分かっている子だと思う。
もし、大学退学後に彼が投げやりな人生を歩んだとしたら、
義兄夫婦にも大きな責任があると思う。
しかし、あの日から数えただけでも、もう数年経ち、
彼の人生もかれこれ中年という域にきているだろう。
そうそう自分の人生を親のせいにばかりは出来ない。
(彼が親のせいにしているかは分からないが…)
親のせいにばかりは出来ないが、
成長過程では、自分は身近に居る大人の影響を避けることは出来なかったこと。
未熟な自分であったのは、自分だけの責任ではないことを知っていてほしい。
そしてそこから、自分自身への反省に繋がっていればいいなと思う。
彼が幸福な人生を切り開いていることを願う。
さて、数年前のお通夜~葬儀は続いていく。