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義家族と絶縁するまで

遺産相続で主人の姉兄弟達と絶縁。。
結婚から30年足らず。
その経緯を綴り、自分の記録としたい。

私の娘は国立大に合格することが出来た。
息子は今、地方の公立大に行っている。

でも、不合格で滑り止めの大学に行っていたかもしれない。

受験は誰にも紙一重の側面があると思っているし、

合格したと言っても東大でもなければ京大でも阪大でもない。

「上には上がいる」と言うのも気恥ずかしい。

とにかく《普通》の子たちだ。

たまたま、義家族の中では……義父母、義姉兄弟とその伴侶、その子ども達の中で、

我が家の子たちだけが国公立に進学した。

「頑張ったね」ですむように思うが、

義姉からわが家の子ども達に対して「頑張ったね」という言葉をかけてもらったことはない。

もちろん、そういう間柄だったのだから

「頑張ってね」の言葉をかけてもらわなくて構わない。

何の問題もない。

只、いつもここに行き着くのだが、

義姉はそういう自分の態度は棚に上げて、私達夫婦に「常識がない」「配慮がない」と騒ぐ。

自分に常識も配慮も優しさもないことには気づかない。

自分の葛藤でいっぱいいっぱい…

自分が賢く優しく出来た人間として扱われなければ傷つき、

論点をずらしては、人を責めて自分を正当化する。

私は義姉をアダルトチルドレンだと思っている。

いつか読んだ大好きな加藤諦三さんの本に《間違いは誤った自己栄光化から始まる》

というような内容の一文があった。

義姉に当てはまると思う。

義姉は私達夫婦に対していつからか攻撃的な態度をとりはじめた。

その要因にはいろいろなことが重なっているが、

絶対的に上に立たなくては精神が不安定になる義姉にとって

わが家の娘が目の上のたんこぶになったのが一因だろう。

《公立高校の校長》になった義兄(長男)が大好きだった義姉。

自分の夫が一流商社から出向させられてからは、特に義兄の肩書きが好きだった。

ゆえに義兄を褒めちぎり絶賛し、次男である私の主人を悉く貶めた。

大好きな長男ではなく、

軽く扱っていた次男の娘が自分より優秀人が思うということが義姉には堪えがたく、

わが家の娘に絡んでくるのだと考えられた。

もちろん、こんなことを本人に言えば全身全霊で否定するだろう。

全くもって貴方達は私を誤解している…自分はいつも貴方達に胸を痛めてきた…

ってことになるのだ。

とにもかくにも《断絶》というテーマまで書き進んできた義家族との確執も、

義母が亡くなり、いよいよ絶縁への道を突き進む。









前回と前々回の記事に載せたように、この頃の義姉は、

私ではなく、私の娘を強く意識していた。

その理由は簡単だ。

私の娘が義姉の劣等感を刺激するから。

今までの記事に時系列を追って記載してきたつもりなので重複するかと思うが、

私は結婚する前に主人から「義姉という人はよく勉強が出来た」と聞いていた。

結婚してからは、義母が「義姉が勉強出来た」とアピールするのを聞いていた。

おそらく、小中高と地域の公立校でトップクラスだったのだろう。

しかし残念なことに、義姉は大学に行かなかった(義父の方針だったそう)。

卒業した大学を言えば、人から「スゴい」と思ってもらえるのとは違い、

高校まで地域の公立でトップクラスだった自分は、

《そこらの大学に行った人達より優秀》なんだと、アピールしなければならないのだ。

《高校までよく勉強出来たが大学へ行かなかった》という

《単なる過去の出来事》とはならない。

主人は「勉強は出来たが、それは地域の公立校の中でのことであるのに、

誰よりも自分が賢いと思っている残念な人」と、義姉を分析していた。

でも、それは義姉だけではなく、義母も自分のことを《賢い》と思っている節があった。

義父が存命の頃には、義父を見下げている雰囲気があった。

義母や義姉にとって、義姉が学生時代に勉強が出来たことは、

知人から「よくお勉強できてスゴいですね」と褒めてもらえた〈輝かしい思い出〉であり

誇らしいことだったのだろう。

そこのところを、主人が分析しているように「地域の公立校では出来る方だった」とか

「姉弟の中では出来る方だった」というような言い回しでは二人は不満だった。

何故なら《それではダメ》だからだ。
それでは価値がないのだ。

何故そんな思考になったのか?

世の中には優秀な人がいる…所詮自分は《普通の人》。

世間の圧倒的な人がこれに当てはまる。

でも、そんな《普通の自分》を心から愛してくれる人がいれば、

それがラッキーなことに《母親》であれば、

人は《普通の自分》に心から満足して生きていけるだろう。

自分より優秀な人に出逢った時「スゴい」と感心できたり、

「自分も頑張らなくては」と反省してみたり、

逆に気にもならなかったり、そのような素直な反応になるだろう。

自分より優秀な人に出逢っても傷つかないからだ。

他人が、自分より他の人を評価した時、

そのタイミングで不愉快な思いをすることはあっても、

深いところで傷ついたりしないからだ。

私は義母によくしてもらったが、義母は母性愛を持ち合わせていなかったと思う。

義母は義姉を三人の嫁たちよりも《賢い娘》として扱い、

義姉も自分は《賢い人》として義家族の中で君臨していた。

二人にとっては、それでなければ自分達に価値を見いだせないのだろう。

しかし、そこには愛情に溢れた母娘の雰囲気は感じられず、

義母にとって義姉は《賢い娘》でなければ意味がなかったであろうし、

義姉は賢くなるよう努力している人ではなく

《賢い》と人に認めさせるよう努力している人だった。

母親の価値観というのは本当に子どもを振り回す。

子どもにとっては母親というのは《絶対》なのだから、

その母親が間違った価値観を持っていたなら、

子どもはその価値観の世界で生きることになる。

義母と義姉にとって幸いなことに、三人の嫁たちは

義兄嫁は高卒であったし、義弟嫁は短大卒で私は大学卒だが、

義弟嫁も私も普通の女子大で、世間の人が「スゴい」と感心するような学校ではなかった。

なので、義母と義姉は自分達が優秀なことをアピールすることで

《そこらの大学へ行った人達より自分達は優秀》と定義付けることができた。

そして、また義家族全員がそのように認識していた。

そして義姉兄弟達の子ども達にも《義姉より優秀》と感じさせる経歴の人は現れなかった。

ところが《一番どうしようもない》と義家族が認識するところの次男(私の主人)》が

最後に子どもを授かり、その《一番どうしようもない》次男の娘が、

義姉の長女が行くことの出来なかった国立の付属小学校に合格し、大学も国立に合格した。

※この小学校受験でも義姉の病んだ一面をかいま見、過去の記事に載せたことがあるが、長くなるのでここでは省く。


前回の記事で、私や娘が大学で学んだ《A》について、

義姉や、義姉に誘われた義母が趣味として活動していたと書いたが、

《A》については、義姉夫も定年後、趣味として関わっていた。

義姉に誘われたのか、自ら足を踏み入れたのかは知らない。

それで、娘が大学の2回生くらいだったと思うが、

当時、義姉夫は《A》に関連することから、ドイツ語を習いに行っていた。

一方娘は、大学でのみドイツ語を学んでいたが、ある資格をとる為の条件として、

ドイツ語検定の3級が必要になり、学校外でドイツ語を教えてくれるところをさがしていた。

それで「どこに習いに行っているのですか?」と、

娘がドイツ語学校を探している理由と共に、尋ねたことがあった。

結局、娘は別の方から教えてもらった先生に付くことになったのだが、

この会話をした頃は、完璧に義姉を避けてはいたが、まだ確執が表面化していない、

義母が施設に入る前ギリギリの頃だったと思う。

この義母の葬儀の日から何年も前のことだ。

さて、葬儀後の精進揚げの席では、義姉のつまらない話しに、私と娘は辟易としていた。

義姉は興味ある内容を話しているのではなく、

自分がどれだけ《いけてる》かをさりげなくアピールしたいだけなので、

話がつまらないのだ。

そんな空気の中、いきなり義姉夫が娘に「ドイツ語検定の3級取得したの?」と聞いてきた。

一瞬、私も娘も話が飲み込めず「へ?」みたいになったが、

何年も前にそんな話をしたことを思いだし、娘は「はい」と答えていた。

そこ、気になっていたんですね(-.-)

義姉夫は「へぇ、すごいね」と言ってくれ、義姉に向かって

「ねぇ」と同意を求めるような仕草をされたが、

そこは義姉、義姉夫の言葉はスルーして「英検は受けないの?」と娘に言ってきた。

コメントなしかい❗

娘「受けてません」

娘は英語を個人的に教わっている先生から、英検は必要な時に受ければいいと言われていた。

TOEICは受けていたと思う。

しかし、娘はとにかく必要最小限の受け答えしかしない。

だって、めんどうだもんね❗

義姉「私ね、○○君(義弟の息子・義姉にとっては実弟の息子)が

中学生の頃英検受ける時に英語を教えていてね、

ついでに一緒に3級を受けてみてんね。そしたらね、賞状が額に入って贈られてきたわ~

あっ、成績が優秀だったら額に入ってるらしいのよハッハッハ」と言った。

娘「スゴいですね」

義姉「いゃ~」と首をふる。

なら、言うなよ❗

このへんは、笑いも堪えたし面白くもあったが、

義姉の闇は深いと再認識せざるを得なかった。

※赤大文字は全て私の心の中の突っ込みです。