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義家族と絶縁するまで

遺産相続で主人の姉兄弟達と絶縁。。
結婚から30年足らず。
その経緯を綴り、自分の記録としたい。

私が、お年玉の中身を空にするという底意地の悪い意地悪に対して抗議したところ、

義姉と義姉一家(義姉夫と義姉長女)の反応はやはり「?」となるものだった。

普通、自分が準備したお年玉の中身が空だったならば咄嗟に、

「えーっ、ごめんね。ちゃんとしたつもりだったのに~」

みたいな言葉があるのが普通の反応だと思うが、

義姉、義姉夫、義姉娘は、どれだけ自分達が何度も確認したか、

自分達には落ち度がないということを何とも理路整然と説明していた。

変な家族❗

とにかく自分達は絶対に間違えていないという主張をしていた。

咄嗟の「ごめんね~」も含め、義姉から「ごめんね」という言葉は聞かれなかった。

そして、今までの仕打ちから鑑みても義姉は確信犯だと確信している私。

とにかく、そんなすったもんだ言ってるところに、主人が《遺言書》を出したのだ。

そう言えば朝出掛ける時に、主人が封筒を持って「これな」みたいな仕草をした。

しかし、仕事関係の使用済みの封筒をカバーとして使用していたので、

私は「何かな?」と思ったものの、深く考えていなかった。

途中で郵便物でも出すのかな~くらいに思い、

まさか遺言書を持って来ているとは思わなかった。

私自身、主人が遺言書を持ってきているとは知らなかったので、

私を含めた全員が「え?」となり動きが止まった。

それが遺言書だと分かり「何やねんコレ!」と驚く義兄。

「これ、母が認知症になってから作った遺言書よね」と、

いきなりだったにも拘わらず、妙に《遺言書》に精通している義姉。

この二人の反応が対照的だった。

今から思えば…

口論をしている客に興味津々だったお店の店員さん達は、

とうとう《遺言書》まで飛び出し、もう耳をダンボにしていただろうと思う。

さすがに内容が内容になってきたので、子ども達を先に帰そうということになり、

義兄の長女がわが家の子ども達を車で送ることになった。

そして私達夫婦は、義姉と義兄夫婦とで義兄宅に場所を移動し、

話し合いはさらに泥々としていった。

当たり前のことだが、私は一万円のお年玉が欲しかった訳ではなく、

そういう意地悪をされることが本当に不愉快だったと言った。

私としては、この時初めて義親族にこの件を話したつもりだったのだが、

義兄嫁が既に知っていて「それ○○さん(私の主人)から聞いててんけど…」と言ったので、

私は「?」となり、

主人は私に対して「あれ?言ってなかったっけ?」という反応だった。

状況を整理すると、この四十九日の集まりより以前に、

義姉兄弟がそれぞれ夫婦皆で主人の店にやって来た時に遡る。

義母が亡くなる前のことだ。

その時に、主人がこの《お年玉事件》のことを義姉に抗議していたのだ。

義親族が皆で主人の店にやって来たのは後にも先にもこの時一度きりだ。

いきなりやって来たので、その時、私はいなかった。

来店した理由は、わが家に火/事見舞いを持って来たのだ。

過去の記事にも書いているが、義母が亡くなる1年半程前に、

わが家は貰い火により家が全/焼した。

その直後、どうしても義姉の長男(主人が交流のある唯一の義親族)と

連絡をとらなければならないことがあったので、

この甥っ子は、わが家が全/焼したことを知っていたのだが、

義姉兄弟達は4ヶ月後に火事見舞いを届けに来店したのだ。

主人にとっては実の兄弟だ。

自分の兄弟の家が全/焼して4ヶ月程放置しておける神経の持ち主達。

義姉の長男と妹(義姉の長女)が兄妹でメールをしていてたまたま知ることになり、

やって来たそうだ。それが真実なら、

こんなに近い身内の家が全/焼したことが話題に上らないという

常識では計り知れない義姉兄弟たち。

そして、主人を見た義兄の第一声は「何で言うてこえへんねん」だったそうだ。

主人は「普通そんなこと言うか?」と憤っていた。

私の身内は私が知らせるまでもなく、知った人から伝言ゲームのように伝わり、

逢ったこともない、従兄弟たちの子ども達(丁度義姉兄弟の子ども達くらいの年齢だ)からも

続々とお見舞いのお金や品物が届いた。

火/災は深夜~未明だったのだか、夜が明けると共に災難を聞き付け、

駆けつけてくれた友人知人たち。

職種だけを頼りに主人の店をネット検索して、ここに行けば私たち夫婦に逢えるだろうと、

駆けつけてくれた浅いお付き合いだった人々。

それらの人たちは私たち夫婦の顔を見るなり涙をこぼしてくれた。

そんな優しい人たちと何という違いだろう。

話が横道に逸れたが、その時にこのお年玉事件を抗議していたようだ。

私は主人から、この時スゴい口論になったとだけ聞いていた。

でも当然だろう。

主人にしてみれば、ほとんど交流がなかったとは言え、

自分の実の姉が、自分の妻に、お年玉の中身を空にするというような、

この上なく陰険で幼稚な意地悪をしたのだから、

実の姉に対する怒りと共に、私にたいして《恥ずかしい》という思いがあったはずだ。

だから、わが家ではその頃には話題にも上らなくなった《お年玉事件》を

わざわざ持ち出さなかったのだと思う。

皆でやいのやいのと言っている時に、主人が「こんなんあるねんけど」と、

爆弾を投下した。

義母の遺言状を取り出してポンと置いたのである。

私でさえ「え、何?今?」という、斜め上をいくタイミングだったΣ(゜Д゜)
私が《ずっと義姉から嫌われていると自覚してきた》と、

或いは《はっきりと態度で示されてきたし、陰で何度も泣いた》と言ったことに対して、

当の義姉は「え~~~~~、そんな~~」という反応であり、

他の義親族達は「どういうところが?」「どこが?」という反応。

この人達、本当におかしいと思う。

明らかに対立している義姉と私達夫婦であるのは誰が見ても明らかであるのに、

義姉が私達夫婦に対して全面的にフランクだったと、本気で思っているのだろうか?

私達だけが《優しい義姉》を誤解しているとでも思っているのだろうか?

私が言ったことがそんなに不思議なんだろうか?

いや、違うだろう。

本人達が自覚しているかどうかは分からないが、

私が義姉に対して、そこまでハッキリ物申したことに驚いたのだろう。

おそらく、私の態度は想定外だったはずだ。

「義姉のどういうところにそう感じるのか?」と問われたので、

私は一番呆れたし傷付きもした《お年玉事件》のことを言った。

《お年玉事件》とは、以前の記事にも書いたが、

義母が施設に入り、義母のお金を義姉が管理している期間に……

私達家族としては義母と最後に過ごしたお正月に起こった。

そのお正月には、いつもは孫たちだけが戴くお年玉が、

義母から~ということで、集まっている義親族全員に配られた。

義実家にはそれまでそんな習慣はなかった。

義両親共に健在な時にも、義父が亡くなって義母だけが健在な時にも、

そんな習慣はなかった。

義母に判断力がなくなり、義母のお金を義姉が自由に使えるようになっていたこのお正月、

初めて、義姉の裁量で突然に執り行われたのだ。

その年のお正月は、結構豪勢なお取り寄せのお節料理のお重も、

義姉兄弟それぞれの各家庭に配られた。

それを開いて皆で新年のお祝いをしたのだが、もちろん、そんな贅沢も初めてだった。

義姉は何故そんなことをしたのだろうか?

義母の為とか義母の意向と言うなら、それは嘘だろう。

《認知症と診断されて以降の義母には全く判断力はなかった》と、

後々の相続の揉め事の中で義姉自身が何度も口にしていたし、

これはその相続の騒動のポイントとなる時期よりもずっと後であったので、

義母は何の感情も表さず、渡された物を指示された人に渡すだけで、

誇らしそうなところは微塵もなかった。

それに引き換え、義姉は満足の表情であり、とても誇らしそうだった。

それは……

その年のお正月には、新婚である義姉の長女の伴侶が来ていた。

後に結構泥々に揉めて離婚した。

義姉の長男が、その結婚相手の家庭を

「自分達も庶民なのにアンチ庶民の家庭」と言っていた。

つまり虚栄心の強い家庭の息子ということだろう。

その男がどれ程酷い男かということは義姉の口からも聞いた。

しかし、それは離婚してから出てきた評価で、最初義姉は

長女の結婚相手について「素晴らしい人」と絶賛していた。

虚栄心の強い家庭どうしが惹かれ合ったのだろう。

そんなお気に入りの《虚栄心の強い婿》に対して、

負けていない虚栄心と精一杯の見栄でお披露目した《わが家のお正月》だったと思う。

とにかくかわいい和菓子をお盆がわりにしたお年玉を年長者から順に受け取った。

その皆に配られた《お年玉》、帰りの車の中で家族だけになり、

わが家の子ども達が空けてみたら、

私のだけが空だったΣ(゜Д゜)

そこまでするか!という気持ちと怒りを感じたことを覚えている。

前置きが長くなったが、四十九日の席で、その時のことを言った。

そういうことが不愉快なのだと、言ってやった。

すると、ちょっと私も意外なことがあった。