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義家族と絶縁するまで

遺産相続で主人の姉兄弟達と絶縁。。
結婚から30年足らず。
その経緯を綴り、自分の記録としたい。

一つ前の記事に書いたように、

主人が義母と遺言書を作ることになった経緯を、

義姉兄弟に説明した。

一つ間違えているのは《義姉兄弟に…》と書いているが、

四十九日の食事会の流れのとおり、義弟家族は先に帰っているので、

義兄宅に集まっていたのは、義姉と義兄の家族だけだ。

そして私達の説明を聞いた後の義姉の反応は……

○○信託のGさん(義母から遺言書の依頼を受けて遺言書を作成し、

義姉からストップをかけられたと、義母の言うとおりですと、

証言してくれた担当者)について噛みついた。

義姉は「○○信託のGさんが作った遺言書には

無駄に100万円(150万円だったかな?)という費用がかかるという落ち度があった。

だから、ストップをかけたのだ」と説明した。

加えて、そのような説明不足のGさんを誠意がない人と断定した。

そして、どうしてそのような重要なことを義母から聞いたのなら、

《遺言書を作成する》などという独断的なことをする前に一言、

自分に言ってくれなかったのかと、義姉は主人を責めた。

義姉という人は、自分と主人とが全く正常な付き合いをしてこなかったのに、

何かあれば必ず、主人に対して正常な対応をしないと責める。

自分が私達夫婦に対して嫌味や当て擦りの数々を言ってきたこと、

だから私達夫婦が義姉を避けて親戚付き合いをしてこなかったことなどが、

まるでなかったかのように平然と主人を責める。

まぁ、何年も何年もされてきたことだが、こんな時、

主人は口下手ということもあり、ほとんど抗議ができない。

帰宅してから私だけになると、饒舌に義姉を批判するが、

口達者な義姉の前に出るとほとんど物が言えない。

私は主人の気持ちは痛い程分かっているので、

どうしても私が喋ることになる。

気の強い嫁、と思われていることだろうが痛くも痒くもない。

主人がよしとしているのだから。

そこで、義母からそのような重要なことを聞いたのならば何故、

自分に一言、言ってくれなかったのか、という義姉に対して私が物申した。

この義兄宅に席を移す前の食事会の席でも言ったように、

私達夫婦はずっと疎外感を感じて過ごしてきたのだから、

義姉に相談するなどという選択肢は全くなかったということを。

「どうしてそのように感じるのか?」と義姉夫が言うので、

私が……このような話し合いの時にもいつも皆さん(義姉兄弟たち)が

予め打ち合わせているところにポンと放り込まれたような疎外感を感じていた……

と言うと、

義姉は「打ち合わせなんて一切したことがありません!」

⬆言うたな❗

とか、

「貴方達が連絡してこないんだから仕方ないじゃないの!」

などと、

整合性のないことをいろいろヒステリックに叫んでいた。

義兄夫婦は黙っていた。

ここは、人を貶める為には平気で嘘をつける人と

少しでも抵抗を感じる人の違いなのか……?

何故が宇宙人と話しているように、義姉夫などは

義姉のどの態度に不快感を感じるのか分からないから説明してほしい、

みたいな惚けたことを言うので、

「△△お姉さん(義兄嫁)と□□さん(義弟嫁)には分かると思います」と言った。

この押し問答の最中、

義兄と義兄嫁が揃って席を外した瞬間があったので

義兄が義兄嫁に、私の言うことに心当りがあるのか確認したのかなとも思うのだが、

義兄も義兄嫁も一切、私の言うことを否定しなかった。

押し問答が続くなか、

私が「義姉の言動」で距離を置いてきたと繰り返し主張していると、

私達夫婦はそこに居るとも知らなかった、義姉と義兄のそれぞれの娘達が

「それ、どこなんですか?」「お母さんのどこが悪いんですか?」

「はっきり言ってください」と隣の部屋から、文字どおり飛び出してきた。

これには少々、面食らった。
何故、遺言書を作成するに至ったかを義姉兄弟に説明した。

青字が義姉兄弟に説明した内容である。

黒字は義姉兄弟には話していない補足である。



義母は私達家族と過ごす週末、いろいろなことを話し出した。

その一つが遺言書の件であった。

義母曰く…

数年前に店をどうしても次男(主人)に遺したくて遺言書を作成しようとした。

いつも懇意にしている○○信託のGさんに、

店を主人に遺す内容の遺言書を依頼し、遺言書が作成された。

しかし、その遺言書を正式な物にする前に長女(義姉)から止められて、

遺言書を作成することが出来なかった。

なので義母は主人に「どうしても貴方(主人)に店を遺せるよう手続きをしたい」

と言う。

しかし私達夫婦は、義母が施設に入所した際の義姉兄弟との話し合いの時、

初めて、義姉から義母が認知症だと聞かされていた。

義姉兄弟の中でも、特に義姉は「母が痴呆だから…」

「母は痴呆なので…」「母の痴呆が…」と、

自分の実母が痴呆だということを連呼していた。

それも、身内だけではなく、私などから見れば全く言う必要のない人にまで。

それを私達夫婦に聞かせたかったのかも知れないが…。

実母が認知症だなんて、悲しくてそうそう口に出したくないのが人情だと思うが……

義姉は《認知症》よりも、より口にしたくないと感じる《痴呆》という言葉を

殊更に使っていた。

実母が《認知症》なり《痴呆》でなければならなかったのかも知れない。

義母が認知症だと聞かされている以上、

義母の言葉をそのまま真に受けることは出来ないので、

主人は○○信託のGさんに店に来てもらい、事情を聞いた。

○○信託のGさんは全て、義母の言うとおりで、

「お母さん(義母)はお店を次男さんに残したいと仰って

遺言書を作成したのですけど、△△さん(義姉)からストップがかかりました」と、

はっきり証言された。

また○○信託のGさんは

「お母さん(義母)は同じ子どもとは言いながら、

次男さんのことがとても可愛いかったようですね」とも言われた。

これは、本当に子ども達の中で次男(主人)のことが可愛いかったのかどうかは

分からないが、より気にかけていてくれたことは確かだ。

私が義母から感じでいた感情と違和感がない。

それで、遺言書を作成することになった。

義兄宅に席は移されて話し合いは続いた。

とにかく、誰も予期せぬタイミングで主人が遺言書を出したことによって

戦々恐々となった。

話し合いの流れの記憶は曖昧になってしまった部分もあるが、

まずは、どうして義母が認知症になってから遺言書を作ることになったのか、

説明を求められたと思う。

それはそのまま話した。

その件も過去の記事に載せたと思うが、主人が義母と遺言書を作成したのは

義母が施設に入所してまもなくのことだ。

義母の入所直後、義姉から召集があり

義姉兄弟と主人それぞれの夫婦が集まって話し合いがあった。

その話し合いというのは、

義母のお世話に関して、義姉一人に大きな負担がかかっているので、

兄弟も協力して、入所してからの義母の面倒をみようということだった。

週末に4人の姉兄弟それぞれの家族で、義母を施設から連れ出して、

自宅に連れてきたり、行楽に出掛けたりして楽しませてあげよう~ということだ。

そして、そのローテーションにより、私達家族も

だいたい1ヶ月に1回、週末には義母と過ごすことになる。

その時、私はスゴい違和感を感じたのだが、

そこから数年も経ったこの四十九日の日の対決からまもなく、

その違和感の謎が解けることになるので、それについては

また改めて書くことにしよう。

話しを元に戻すと、

1ヶ月に1回のペースで義母と週末を過ごすことになったが、

長年、義母と義姉がお互いに依存し合っていたので、

義姉を避けている私達夫婦は、必然的に義母とも距離をとることになっていた。

なので、私達夫婦にしてみれば、

久しぶりに義母とがっつり関わることとなったのだ。

すると、義母が多くのことを語り始め、主人としては想像したこともない

遺言書作成という事態になっていくのだが、それを義姉兄弟に説明した。