今日、私はとても気分が良いです!
\(^.^)/
晴れだから晴れ
というのも影響があるかもしれませんが。

体調がすこぶる戻ったわけでもなく、
母が自分を省みたわけでもありません。

「やりたいこと」が2つ、見えてきたからです。
(北海道移住とはまた別音譜

実家に居候している間、
親には ボーッとしているように
見えたかもしれませんが(笑)
とにかく私は

今までの人生で得たものや、
新しく得た情報の中から、
自分は何がしたいのか、
何が出来るのか
模索し続けていました。

自分から探したというよりは
たまたま飛び込んできたニュースが
今まで考えて来たことと繋がって。

ビビッときましたひらめき電球ひらめき電球クラッカー

待つ事。
流れに身を任せること。
縁を大切にすること。

これ大事。

この、「やりたいこと」を 職にするかは
おいといて、
それも 縁だと 思うので。

職でも職じゃなくても良い・・・というのが
ミソですな( ´艸`)

今(その時その時)出来ることを
私はやるのみ(*^-^*)

人生に  改めて
短期・中期・長期の目標が
出来そうです♪



私の大好きな キム・ナンド先生という
ソウル大学の教授(スゴく人気が高い!!)
がいるのですが、
その先生は

人間が一番喜びを感じる事は何か?
それは 「成長することだ  」と仰っています。

以前、それを聞いた時に
「あぁ、わかる!!」としみじみ思いました。

辛いことから這い上がるたびに
あくまで自己評価!!DASH!ですが、
自分は必ず成長していると感じます。
今のところ地位や収入に繋がっていないのが
残念ですが(笑)

根本的に大切な快感なのかもしれません。


だから、昨日の自分より
どんなことがあっても
今の自分の方が 好きです。
(好きというか、受け入れやすいというか)

過去の自分は 今よりも
必ず幼く、醜く、恥ずかしいのです。

これは中学生ぐらいから
思っていたことです。
当時、母親に伝えたことも覚えています。

「私は常に "今" が一番いいと思っている」
「だから幸せ者かも」
「過去には戻りたくない」
(機能不全家庭に戻りたい過去なんて無しw)

常に「今」に不満を爆発させていた母、
また「ちゃこは不幸だ」という母への
「私は母とは違う!」という
メッセージも込めて・・・でしたが(^o^;)

ある主 「現在」を走り続けるのは
「過去からの逃避」でもありました。


確かに 苦しみ もがくことも多々ありますが
這い上がる、乗り越える気持ちは
どこかにちゃんと持っていることを
自分で知っています。

そして、
その難があったからこそ、
色々な事を考えることが
出来ているんですよね。

悩みに対して 受け身の時は
なす術がなく、害ばかりですが、

自分が何か 少しでも「動」が作れれば
あとは流れに身を任せ、
待つ。
タイミングや縁だけは 逃さないように
キャッチするアンテナは 大切にして。

自分で起こす「動」は
何でも良いんですよね。

クリニックに行くも良し、
何かに投稿するも良し、
毎日 鏡を磨くも良し、
友人と久々に会うも良し、
本屋で新書を探すも良し、
募金するも良し、
テレビを見るも良し、

その気wがあれば、
何気なくやっていることが
何かに影響を与えたり
どこかでつながってくる。


とは 言っても
私はまだ、何を始めたわけでもなく、
「ビビビっ」を感じた喜びだけで書いている
脳内お花畑コスモスヤロー なんですが(笑)

また、
「しあわせは いつも じぶんのこころが きめる」
なので、

今は変わりたくないよ、
休みたいよ、
という気持ちがあれば、それも大切に。

迷いがあれば、その気持ちごと
大切に。

少し 自分が変えてみようと思えば
そうすれば良い。
変わらない=ダメ  なわけでもない。

自分は変わらなきゃ!のべき思考も
追い詰め焦らせるものです。

変われない部分は強みに変換。


自分が興味を持てる
新しいものや、新しい考えを
少しだけ 取り入れてみる・・・

何にも興味が持てない時は
心身を休ませてあげる時だから
それで良し。

これの積み重ねで、
きっと 自分のなりたい方へ
自然と導かれて行くのかもしれません(о´∀`о)

昨日の朝、
母が起きてくる前に
父に話をしました。

私の体調、
ACやPTSDが 、子どもの頃の育てられ方で
どの様に影響していると考えられるか。

なぜ 心療内科に通っているのか。
どんな事を先生と話しているのか。

母親のDV(精神的も含む)は
私が勝手に言い出した被害妄想ではなく、
主には 中学生&19歳の時に
友人に気付かされたこと。
自分では母との親子関係は普通だと思っていたこと。

一番古い暴力的な記憶は4~5歳の頃。
泣くな!とタオルを口にねじ込まれたこと。

父が、他には?と
聞いてくれたので、
20代の頃フラッシュバックしていた光景を
いくつか話しました。
(具体的に書くとそこそこバイオレンスなので省きますw)

また、立っていただけ、
そこに存在していただけで
罵声を浴びせられることもあったこと。

我慢の限界がきて、
19歳ぐらいの時、
私が母に1度だけ殴り返したことがあること。
頬をバチコ~ンと平手打ち。
母は驚いてキョトンとしていたこと。


父は 「知らなかった」
「殆どがお父さんがいないときの話やな?」
「なんで その時言ってくれへんかったん?」

私「お父さんに相談したけど、我慢しろと言われたのさ」
(てゆーか、ただただ見てただけのこともあったろ^^;  
また、過呼吸になり、背中をさすってくれたり
したこともあったろ^^;忘れたかな?)

父「・・・・・・・・・」



父「あれやな。。。おばあちゃんの所に行ったのが良くなかったな・・・」


まぁ、確かに発端ではあります。
私の妹を出産する際、
助けてくれると言う 父方の祖母の家で
母は幼い私をつれて 同居しました。
そこで、嫁姑の確執が起こったのです。

祖母は幼い私を味方につけようと
母親の悪口や、良くない言葉を
私に吹き込んだそうです。
私の記憶にはありませんが、
4歳の私は 入院中の母に
「お母さん 帰ってこなくていいよ」
と 言ったとか。

弱っているときのお見舞いで
幼い長女にこれ 言われたら
確かに辛いし泣きたいし、
姑 憎いよね。

出産後も 辛く当たられたそうで、

それで父は 母がどんなでも、
サンドバッグ的に受け止め
受け流しているのです。
それは 知っていました。

父「悔やまれてならない・・・」
「あの時、遠くてもお母さんの実家に帰してあげていれば・・・」

大きなきっかけではありますけどね。

夫婦間の上下関係が 決定的になったあとは
感情のコントロールが
効きにくくなっていく母を
止めることは出来なかった様です。

子どもの頃 私は
「婆さんに似ていて鬱陶しい!」
と 言われていました。
自分では写真見ても似てると感じないけど、
忌まわしい記憶が、特にそう見せるのかもしれません。


最終的には
父「ちゃこの話はわかった」
「前向きにやっていこう・・・」

先日 発作的に
怒りを撒き散らした母の姿を
目の当たりにしたところなので、
父にも私の声が届きやすかったのだと思いました。

前にも1度、帰省してから
同じ様な内容を少し話したこともあり、
これも効果的に働いたのかも。
何度か日を変えて伝えてみるって大事。

また、私が
母に対して敵対心を持たず、
穏やかに話したことも良かったかなと思います。

「お母さんには、笑っていて欲しいよね」
「楽になって欲しいね」
「幸せをたくさん感じて欲しいね」
そう 父に伝えました。

父への気持ちも伝えました。
「お父さん、思ったより話が出来る人で良かった(*´∀`)」
「お母さんが、お父さんは話が出来ん!っていつも言ってるから・・・(笑)」


父「お父さんがお母さんのSOSに気付いてあげられへんのや・・・あせる

父は 我関せず的なところや
鈍感な部分も あるかとは思いますが
タイミングと伝えかたは
本当に大事なのだろうなと感じました。

母も 伝え方を変えてみたら、
父とはもっと 話が出来そうな気がします。




今日は母 笑顔です。
私にも良い声のかけ方をしてくださる・・・。

複雑な気分!!(´▽`;)ゞ

母も 母なりに
気を遣ってくれたのかな?

切り替えが早いだけかな?

それとも、
父が、私の居ぬ間に
間接的に 橋渡しをしてくれたのかな?

どうであれ、
父が、歩み寄ってくれたことで、
今までにない喜びと
少しの安心感を 私は得ました。

気が楽になるものですね。


(関係ないけど先日行った姫路城ですキラキラ


夫からメール。

「いつ帰ってくるの?」
「掃除して待ってるね(^^)」
「駅まで迎えに行くから土日に帰ってきて」

(荷物がかさ張る為)
モルモットのエサが無くなり次第帰る
と 伝えると

「モルモットには いつもの3倍エサをあげて、早く帰ってきて(^^)」
「帰ってきたら●●の刑(ちょっかいの事)だよ♪」


「離婚前提」で
夫の気が楽になっているのか、
クリニックの薬の影響なのか、
それに加えて 現状を理解していないのも
あると思いますが

マイペースな夫です( ̄∇ ̄*)

ホント わかってんのかよ~(;´_ゝ`)

無視しあったり
ギスギスするよりは
有り難いかな と思います(^_^;)