昨日の朝、
母が起きてくる前に
父に話をしました。
私の体調、
ACやPTSDが 、子どもの頃の育てられ方で
どの様に影響していると考えられるか。
なぜ 心療内科に通っているのか。
どんな事を先生と話しているのか。
母親のDV(精神的も含む)は
私が勝手に言い出した被害妄想ではなく、
主には 中学生&19歳の時に
友人に気付かされたこと。
自分では母との親子関係は普通だと思っていたこと。
一番古い暴力的な記憶は4~5歳の頃。
泣くな!とタオルを口にねじ込まれたこと。
父が、他には?と
聞いてくれたので、
20代の頃フラッシュバックしていた光景を
いくつか話しました。
(具体的に書くとそこそこバイオレンスなので省きますw)
また、立っていただけ、
そこに存在していただけで
罵声を浴びせられることもあったこと。
我慢の限界がきて、
19歳ぐらいの時、
私が母に1度だけ殴り返したことがあること。
頬をバチコ~ンと平手打ち。
母は驚いてキョトンとしていたこと。
父は 「知らなかった」
「殆どがお父さんがいないときの話やな?」
「なんで その時言ってくれへんかったん?」
私「お父さんに相談したけど、我慢しろと言われたのさ」
(てゆーか、ただただ見てただけのこともあったろ^^;
また、過呼吸になり、背中をさすってくれたり
したこともあったろ^^;忘れたかな?)
父「・・・・・・・・・」
父「あれやな。。。おばあちゃんの所に行ったのが良くなかったな・・・」
まぁ、確かに発端ではあります。
私の妹を出産する際、
助けてくれると言う 父方の祖母の家で
母は幼い私をつれて 同居しました。
そこで、嫁姑の確執が起こったのです。
祖母は幼い私を味方につけようと
母親の悪口や、良くない言葉を
私に吹き込んだそうです。
私の記憶にはありませんが、
4歳の私は 入院中の母に
「お母さん 帰ってこなくていいよ」
と 言ったとか。
弱っているときのお見舞いで
幼い長女にこれ 言われたら
確かに辛いし泣きたいし、
姑 憎いよね。
出産後も 辛く当たられたそうで、
それで父は 母がどんなでも、
サンドバッグ的に受け止め
受け流しているのです。
それは 知っていました。
父「悔やまれてならない・・・」
「あの時、遠くてもお母さんの実家に帰してあげていれば・・・」
大きなきっかけではありますけどね。
夫婦間の上下関係が 決定的になったあとは
感情のコントロールが
効きにくくなっていく母を
止めることは出来なかった様です。
子どもの頃 私は
「婆さんに似ていて鬱陶しい!」
と 言われていました。
自分では写真見ても似てると感じないけど、
忌まわしい記憶が、特にそう見せるのかもしれません。
最終的には
父「ちゃこの話はわかった」
「前向きにやっていこう・・・」
先日 発作的に
怒りを撒き散らした母の姿を
目の当たりにしたところなので、
父にも私の声が届きやすかったのだと思いました。
前にも1度、帰省してから
同じ様な内容を少し話したこともあり、
これも効果的に働いたのかも。
何度か日を変えて伝えてみるって大事。
また、私が
母に対して敵対心を持たず、
穏やかに話したことも良かったかなと思います。
「お母さんには、笑っていて欲しいよね」
「楽になって欲しいね」
「幸せをたくさん感じて欲しいね」
そう 父に伝えました。
父への気持ちも伝えました。
「お父さん、思ったより話が出来る人で良かった(*´∀`)」
「お母さんが、お父さんは話が出来ん!っていつも言ってるから・・・(笑)」
父「お父さんがお母さんのSOSに気付いてあげられへんのや・・・
」
父は 我関せず的なところや
鈍感な部分も あるかとは思いますが
タイミングと伝えかたは
本当に大事なのだろうなと感じました。
母も 伝え方を変えてみたら、
父とはもっと 話が出来そうな気がします。
今日は母 笑顔です。
私にも良い声のかけ方をしてくださる・・・。
複雑な気分!!(´▽`;)ゞ
母も 母なりに
気を遣ってくれたのかな?
切り替えが早いだけかな?
それとも、
父が、私の居ぬ間に
間接的に 橋渡しをしてくれたのかな?
どうであれ、
父が、歩み寄ってくれたことで、
今までにない喜びと
少しの安心感を 私は得ました。
気が楽になるものですね。

(関係ないけど先日行った姫路城です
)
母が起きてくる前に
父に話をしました。
私の体調、
ACやPTSDが 、子どもの頃の育てられ方で
どの様に影響していると考えられるか。
なぜ 心療内科に通っているのか。
どんな事を先生と話しているのか。
母親のDV(精神的も含む)は
私が勝手に言い出した被害妄想ではなく、
主には 中学生&19歳の時に
友人に気付かされたこと。
自分では母との親子関係は普通だと思っていたこと。
一番古い暴力的な記憶は4~5歳の頃。
泣くな!とタオルを口にねじ込まれたこと。
父が、他には?と
聞いてくれたので、
20代の頃フラッシュバックしていた光景を
いくつか話しました。
(具体的に書くとそこそこバイオレンスなので省きますw)
また、立っていただけ、
そこに存在していただけで
罵声を浴びせられることもあったこと。
我慢の限界がきて、
19歳ぐらいの時、
私が母に1度だけ殴り返したことがあること。
頬をバチコ~ンと平手打ち。
母は驚いてキョトンとしていたこと。
父は 「知らなかった」
「殆どがお父さんがいないときの話やな?」
「なんで その時言ってくれへんかったん?」
私「お父さんに相談したけど、我慢しろと言われたのさ」
(てゆーか、ただただ見てただけのこともあったろ^^;
また、過呼吸になり、背中をさすってくれたり
したこともあったろ^^;忘れたかな?)
父「・・・・・・・・・」
父「あれやな。。。おばあちゃんの所に行ったのが良くなかったな・・・」
まぁ、確かに発端ではあります。
私の妹を出産する際、
助けてくれると言う 父方の祖母の家で
母は幼い私をつれて 同居しました。
そこで、嫁姑の確執が起こったのです。
祖母は幼い私を味方につけようと
母親の悪口や、良くない言葉を
私に吹き込んだそうです。
私の記憶にはありませんが、
4歳の私は 入院中の母に
「お母さん 帰ってこなくていいよ」
と 言ったとか。
弱っているときのお見舞いで
幼い長女にこれ 言われたら
確かに辛いし泣きたいし、
姑 憎いよね。
出産後も 辛く当たられたそうで、
それで父は 母がどんなでも、
サンドバッグ的に受け止め
受け流しているのです。
それは 知っていました。
父「悔やまれてならない・・・」
「あの時、遠くてもお母さんの実家に帰してあげていれば・・・」
大きなきっかけではありますけどね。
夫婦間の上下関係が 決定的になったあとは
感情のコントロールが
効きにくくなっていく母を
止めることは出来なかった様です。
子どもの頃 私は
「婆さんに似ていて鬱陶しい!」
と 言われていました。
自分では写真見ても似てると感じないけど、
忌まわしい記憶が、特にそう見せるのかもしれません。
最終的には
父「ちゃこの話はわかった」
「前向きにやっていこう・・・」
先日 発作的に
怒りを撒き散らした母の姿を
目の当たりにしたところなので、
父にも私の声が届きやすかったのだと思いました。
前にも1度、帰省してから
同じ様な内容を少し話したこともあり、
これも効果的に働いたのかも。
何度か日を変えて伝えてみるって大事。
また、私が
母に対して敵対心を持たず、
穏やかに話したことも良かったかなと思います。
「お母さんには、笑っていて欲しいよね」
「楽になって欲しいね」
「幸せをたくさん感じて欲しいね」
そう 父に伝えました。
父への気持ちも伝えました。
「お父さん、思ったより話が出来る人で良かった(*´∀`)」
「お母さんが、お父さんは話が出来ん!っていつも言ってるから・・・(笑)」
父「お父さんがお母さんのSOSに気付いてあげられへんのや・・・
」父は 我関せず的なところや
鈍感な部分も あるかとは思いますが
タイミングと伝えかたは
本当に大事なのだろうなと感じました。
母も 伝え方を変えてみたら、
父とはもっと 話が出来そうな気がします。
今日は母 笑顔です。
私にも良い声のかけ方をしてくださる・・・。
複雑な気分!!(´▽`;)ゞ
母も 母なりに
気を遣ってくれたのかな?
切り替えが早いだけかな?
それとも、
父が、私の居ぬ間に
間接的に 橋渡しをしてくれたのかな?
どうであれ、
父が、歩み寄ってくれたことで、
今までにない喜びと
少しの安心感を 私は得ました。
気が楽になるものですね。

(関係ないけど先日行った姫路城です
)