ブラタモリ シーズン2 第7回 「日本の住宅」
NHK 総合テレビ 2010/11/18(木) 22:00~
NHK「ブラタモリ」公式サイト
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4回目から昨年の再放送が続き・・。
第4回 アンコール放送 上野
第5回 アンコール放送 二子玉川
第6回 アンコール放送 銀座
を経て、やっと7回目にして、今年収録の「日本の住宅」であります。
公式サイトではアンコール放送も、回数としてカウントしてるので
それにあわせて、第7回としました。(本当は4回目)
★路地を探索… (東京・根津)
冒頭は根津の路地からスタート。
歩きながら、いろんなものが目に付くタモリさん。
庭にある大きな柳の木や、
とあるお宅の郵便受けの上に縛り付けられてるデビルマンのソフビ人形。
とてもデビルマンが活躍できないというタモリさん。
テロップに「C・1999ダイナミック企画」と出したあるところはさすがNHK。
※今は、こんな可愛いのもあるのね)
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さらに、アルミの窓格子に複雑に絡まってる蔦の幹。
面白いものがたくさんあって、なかなか先に進めないというタモリさんが、
今回は路地だけにしようかって言い出すくらいでした。
で、今回のテーマは、「日本人が暮らしてきた住まいの変遷」。
長屋、洋風建築、和風建築、コンクリート、団地
現在も残る様々な時代の家を訪ね歩いて住まいの変化の秘密を探る。
★長屋暮らしのヒミツ (根津)
根津の路地で待ち合わせたのは、内田青蔵先生。
(神奈川大学建築学科・教授)
30年以上にわたり、日本の住まいの歴史を研究していた方です。
先生が一行を根津に残っている長屋へ案内。
(文京区根津2丁目24 の住所案内板の路地を入ってゆきました)
訪れた家は、澤田圭司さんのお宅。
家の前には自分で掘ったという井戸もありました。
昔に川があった場所らしく、2年前に1m掘ったら水が出たそうです。
息子さんの草太くんと桔平くんが水遊び!
でもまだ濁ってて、隣のばあちゃんが3年たったらきれいになると言ってたそうで
あと1年、きれいになるまで毎日どんどん水を汲みつづけるみたいです。
戸田さんのナレ:
江戸時代、庶民の住まいと言えば長屋だった。
平屋の集合住宅といえる長屋は、狭いながらも
人情あふれる暮らしだったと言われています。
長屋は江戸時代から棟割りという形で造られています。
棟割りとは、お隣さんと屋根と壁を共有して住む様式のこと。
この一部屋一部屋が一つの家でした。
間取りは玄関を含めたわずか六畳一間の空間に家族が暮らしていた。
庶民のほとんどは江戸から昭和の初めごろまでこうした長屋に住んでいた。
澤田さんの住まいは大正末期に建てられたもので、
ほぼ江戸のスタイルを受け継いでいる。
※参考リンク:江戸の長屋|ビバ!江戸
澤田さん宅にお邪魔する一行。
入ると昔ながらの土間=三和土(たたき)になっている。
コンクリートが普及する前まで、土間が一般的だった。
タモリさんは、崩れて穴が開いている土壁に食いついた。
久保田アナは土壁の構造を初めて知ったようですね。
竹で編んだ下地の上に、藁と粘土を練ったものを塗りこんで
その上に漆喰を上塗りしたりしていた。
部屋に上がると、澤田さん宅は8帖の和室になっていた。
江戸時代は土間を合わせた9尺2間(2.7×3.6メートル)=6畳が一般的。
澤田さんご一家は、この一間で暮らしている。天井には風鈴。
お部屋にあった糸巻き機や民族打楽器が気になるぞ~
押入の上段には斜めに走る隣の階段がせり出している。
足音で隣のじいちゃんの機嫌がわかるんだそうです。おもしろいね。
澤田さんはこうした昔ながらの長屋に憧れて7年前から家族と暮らしている。
奥の台所の一角に、床板を外すと現れるたらいが!これは内風呂。
すぐそばにはシャワーもあって、試しに久保田アナがたらいに入って
雰囲気を楽しんでました。(もちろん服はきてましたけど)
この台所から見える隣は、手を伸ばせば届く距離。
澤田さんが「ちょっとごめん、醤油かしてくれない?」って、
いつものやってるふりをしてくれました。
「うちの子供なんてよその家だと思ってないですからね」と澤田さん。
人も住まいも距離が近い長屋暮らし。いいですよね~~。
この長屋暮らしのヒミツは江戸時代の土地の利用の仕方にあった。
100万人が暮らしていた江戸。内訳は武士と町民は半々の50万人ずつ。
江戸の古地図(本郷湯島絵図)を見ると、当時の土地の使い方がわかる。
白い部分は武士の敷地。灰色の部分が長屋がひしめく町人の敷地。
人口は同じなのに、土地は武士が70%を支配、町人は15%しか使えなかった。
狭い土地に多くの人が暮らさなければならなかった制約から長屋は生まれた。
※番組で使った資料
「東都名所 日本橋真景井魚市全図」 歌川広重(江戸東京博物館)
「東都繁栄の図」 歌川広重 (神奈川県立歴史博物館)|歌舞伎美人
根津の地図:「本郷湯島絵図」戸松昌訓 (国土地理院)
長屋は基本的に借家で、江戸時代の8割くらいが借家住まい。
だから隣に気にくわないやつがいたら出て行けばいいという気軽さ。
当時は敷金礼金もないしね。
建物としては、江戸時代は火事が多かったので、
3年で元が取れるような家賃設定だったという。
「軽やかなんですよね。暮らし方が」という先生。
「守るものがないっていうとおかしいですけど、
自分たちが自分の責任で出来ることの範囲であれば
自分の自由にやれる」という澤田さん。
※ちなみに澤田さんはいろんなところに出てたのね。
ベイビーStyle - フジテレビ(2009.1.7 OA)
チルチンびと 2006 11月号
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★探訪!明治の洋館 (旧岩崎邸 上野)
明治時代になると急速に江戸の文化が消えて
西洋風の住宅が出現するようになります。
都内に残る明治の洋館を身に行くことになった一行。
「(タ) これはちょっと驚きますよ。
明治になって列強に方を並べようという。
当時の一流国家と言うのは洋風にすべきだということで
見栄を張ってまでもこういう立派な洋館を外国人の設計者に創らせて。
ただ横のほうに和風の家もあったんですよ。」
「(久) それも迎賓館的な?」
「(タ) いや、そこはプライベートな空間だったと思いますよ。」
「(久) やっぱり和風のほうが…」
「(タ) やっぱりね、家族の…。
どうしても全部そこまでやると、なんかちょっとこれ…。」
「(久) 落ち着かない」
「(タ) 落ち着かないんじゃないかなって。横のほうに…」
「(久) 畳がいいよね、みたいな」
「(タ) よくばあさんが旅行から帰って来て
『あ~あ。やっぱり家がいい』ってのと。
じゃあお前行くなよと。」 (笑)
ということで完全に日本じゃないような場所にやってきた。
それが、旧岩崎邸(上野)。
旧岩崎邸庭園|公園へ行こう!(東京都公園協会)
これが個人の家だった。(「龍馬伝」にも出てくる三菱の祖・岩崎家の家ね)
ちょっと前まで江戸の家にいた人が、これに住めって言ったら
いくら上流の人でも、嫁に来てと言われても、ここでは!
と躊躇するだろうというタモリさん。
ここを案内してくれるのが米山勇さん。(江戸東京たてもの園 工学博士)
旧岩崎邸をはじめとする明治時代の洋館を研究しています。
※米山勇さんの著書
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岩崎邸を設計したのは、イギリス人のジョサイア・コンドル。
ニコライ堂(「神田」の回) 三菱一号館(「丸の内」の回)も設計してるので
久保田さんが「何度かこの番組でも出てきてます」というほど有名です。
★豪華!旧岩崎邸 (上野)
この旧岩崎邸を建てたのは岩崎久弥。
(旧三菱財閥3代目・岩崎弥太郎・喜勢夫妻の長男であります。)
この豪華な洋館に、現在の私たちの住まいで当たり前のように目にする
もののルーツがある。それまでの日本の住宅にはなかったもの。
それが『吹き抜け』。
垂直に空間を伸ばすと言う概念自体が近代になって西洋から入ってきたもの。
岩崎邸のような吹き抜けの豪華な階段ホールは、
おそらく訪れた人はみんな驚いただろうという米山さん。
★潜入!謎の地下道 (旧岩崎邸)
タモリさんが入口と出口の場所の存在を知っていた地下道に今回は特別に潜入。
「なんで知ってるんですか?」って、米山さんが驚いてましたね。
普段は、入っちゃダメって書いてあるから行けなかったと行ってたタモリさん。
興味津々、久保田アナとともに地下道へ。
地下道はかなり複雑で、迷路のようになっている。
この地下道は、昔、岩崎家に使える使用人たちが
表に出ることなく建物を行き来するために使ったと言われている。
建設当時、敷地内に20もの建物があって、
それが全て地下通路でつながっていたそうです。
※番組で使った資料:
「茅町本邸内 實測圖」(旧岩崎邸の図面)は↓こちらにあります。
台東区文化ガイドブック・旧岩崎邸庭園を訪ねる
★発見!ベランダのルーツ (旧岩崎邸)
一行は本館の2階にあがり、この建物のみどころでもあり
設計者コンドルがこだわったという『ベランダ』にやってきた。
※ベランダの様子→台東区文化ガイドブック・旧岩崎邸庭園を訪ねる
バルコニーとベランダの違いは、屋根の有無。
さすが、タモリさんは知ってましたね。
そのベランダの最初期の姿が、このベランダなのだそうです。
ベランダは元々西洋にはなく、東洋で生まれたもの。
ベランダの原型はインドや東南アジアの風通しの良い住まいの造りにあった。
西洋人は東南アジアを植民地支配したときに
蒸し暑さを解消するために現地の住まいの様式を取り入れることで生まれた。
西洋式住宅の南部分を張り出し、屋根をつけて風を取り込み
さらに日差しをさえぎることで室内の温度を下げるというのがベランダの役割。
久保田アナ曰く、今では完全に物干し場となってるベランダですが、
もともとは違った空間だったんですね。
★ブラタモ写真館
NHK「ブラタモリ」公式サイト(これまでの放送)に写真があります。
今回の1枚目は、根津の長屋・澤田家の土間にあった、
壁にかけてある自転車の後輪のスポークに大量に突っ込まれた靴の写真。
子供の靴置き場に見事に有効活用されてるのでした!
逞しさと自由を感じるというタモリさんと久保田アナ。
そこに何十年もローンをくむという発想は全くないのでした。
★玄関のヒミツ! (旧安田邸 千駄木)
タモリさんが子供の頃に住んでいた家について聞かれると、
完全な和風の家で、間取りも克明に覚えていると言う。
タモリさんが脳科学者に聞いた話では、
間取りを書いてゆくと昔のことを思い出してゆく…、
このことは脳にはいいらしい。
と、話しながら一行が向った先は、
大正8年に建てられた『旧安田楠雄邸』
この時代には、中流層にも徐々に一軒家が広がってゆく。
伝統的な和風建築の中に西洋の技術が導入されてゆく
大正時代の建物です。
旧安田楠雄邸庭園|(財)日本ナショナルトラスト
内田先生曰く、なぜ立派な玄関があったかというと、
玄関そのものがお客様を迎えるための大事な住宅の装置だったから。
玄関と言う意味自体も、むしろ禅宗の門だとか、禅宗と深い言葉。
まさに神聖なる世界に入ってゆく「入口」という意味なのだという。
「玄」は幽玄の玄。「関」は関門の関。これを知ってたタモリさんでありました。
昔のタモリ宅の玄関は、当時としては立派で、
タイル張りで、左手に棚があって、三日月形の窓があったそうです。
玄関をあがったところが3畳あって、
「そこには屏風に水墨画」っていうのに憧れて、
高校時代に倉庫を探して見つけた無地の屏風に、
適当に描いて、芋判を押して、飾ったのだそうです。
すると、いちいち客が感心していたのだそうです。(笑)
枠だけは古そうに見えるから、由緒ある骨董品に見えていたようです。
★探訪!旧安田邸 (千駄木)
玄関には大きな靴脱ぎ石。
一行はさっそく玄関から家にはいってゆく。
最初に案内された部屋は応接室。
外観は和風なのに、この部屋だけが洋風に作られていて、
じゅうたんが敷かれ、ソファーが並んでいる。
当時は和風の住まいの中に洋風の応接室を作るのがステータスだった。
これは、暮らすためではなく、もてなしの心を大事にしていたからです。
応接室から庭が見えるガラス戸は、昔のガラスで厚さにむらがあるので
外の景色がゆがんで見える。
これに気づく久保田アナ。さすが、番組を長くやってきただけあります。
大正になって和風の住宅にもガラスが使われるようになった。
襖や障子と違い透明なため、より庭を堪能できるようになりました。
そしてこのガラスが日本の家の戸に大きな変化をもたらした。
それは現代の引き戸には当たり前の装置なのですが
もともと日本の伝統的建築になかったもので
『トグルマ(戸車)』というもの。
ガラス戸はそれまでの襖や障子と違って重たいので、
このようなトグルマを使って戸を動かしやすくしたという経緯があります。
例)
金森金物店の戸車これはそんなに古いものじゃないんだ!と驚くタモリさん。
タモリさんのうちの倉庫にもいくつもあったようで、鉄道ファンだったので
このトグルマを蒲鉾の板につけて、戸のレールの上を走らせて遊んでたそうです。
お次は台所。
天井にガラスがはめ込まれていて、広くて明るい台所です。
当時としては進んだ台所で、ガスオーブンレンジや冷蔵庫がある。
タモリさんは子供の頃に使っていた昔の氷冷蔵庫を懐かしんでました。
氷を上段に入れて、下段に食品を入れて使う冷蔵庫です。
冷蔵庫のの断熱に使っているのはおがくず。
毎日、氷屋が届けに来る氷を使ってたそうですが、
氷は一日で解けてしまうので、毎日届けてもらっていたようです。
夏場は親に見つからないように、氷の後ろ側を削って食べてたみたい!
次は二階のお座敷(和室)。
ここは最上級の客だけが招かれたという客間だそうです。
大正時代には二階に客間を造る事で
庭の景色を上から楽しむスタイルが生まれました。
一般の家では見かけなくなったが、料亭などにその雰囲気が残っています。
内田先生曰く、
日本の住宅は戦後になってから家族のための住宅作りを目指した。
それはとてもいい事だけれども、それにあわせて接客の空間を排除した。
でも本当は住まいというものは、こういう接客空間で接客の行為を通して
社会とつながっていて、時には社会をひらいてくれるところがあった。
家族だけになると完全に閉鎖した空間になってしまって、
どんな生活をしてもいいや…って、家が全部逃げ場になってしまう。
人を接客するなんて全く考えずにクローズだけしてしまう。
ここでタモリさんが初めて明かす話が出た。
「(タ) ある芸能人の年取ったときの住まいを、
今、基本設計 僕やってるんですよ。
ずっとやってるんですけども、
そのことを再びやろうとしてるんですよ。
いつお客さんが来てもいいように、プライベートな空間と。
平屋で、二つの空間をちゃんと取ろうよって。
なんか、お客もダラっと入るんじゃなくて、
そのための空間、泊まるための専用の部屋がひとつある。
こっちはプライベートの…。」
この安田邸は接客を大切にする心が、設計に表れています。
★深川を歩いていると・・。
次に一行がやってきたのは東京・深川。
歩いていると、「霊巌寺」前の歩道に立っている「かかし」を発見。
かかしコンクールの作品のようで、
御題は『オシャレでカワイイ女の子』!!
(2010年に行われた第13回の江東区立・元加賀小学校 3年生の作品)
深川資料館通り商店街のイベントのようですね。
→いっぷくタイム*続々・毎日のいっぷく* - いっぷく前のかかし
その立ち姿に、一同ウケまくってました。
★幻のコンクリート住宅 (深川)
一行が向ったのは、大正から昭和にかけて木造が中心だった日本家屋に
鉄筋コンクリートが出現した深川の
『旧東京市営店舗向住宅』。
※この建物をレポしている『関根要太郎研究室@はこだて』の番外編プログ
東京清澄の旧東京市営店舗向住宅|近代建築写真室@東京を
リンクしておきます。この建物が分かるとてもいい記事です。
内田先生がタモリさんたちに最初に見せたのは、建物の角の装飾デザイン。
いわゆるアール・デコと呼ばれているデザインだそうです。
この建物は東京市が昭和3年に建てた建物。
90年モノですが、現在も現役で、店舗と住まいに使われています。
戸田さんのナレ:
もともとここは木造のお店が並ぶ商店街だった。
コンクリートの建物に変わるきっかけは関東大震災。
木造住宅が火災に弱かったことから、国は震災の復興事業として
地震と火事に強いコンクリートを材料にした住宅を作るようになる。
※当時の建物で紹介されたのは
同潤会青山アパートメント、大塚女子アパートメント。
この深川の東京市営店舗向住宅もこうして生まれたのです。
今、当時のコンクリート住宅は老朽化で次々に取り壊されているなか
この深川の建物は当時の姿をとどめている。
一行は、住人の高橋晴夫さん宅を拝見。
そして押入れの下につながる地下室を見せてくれた。
建設当時から全世帯にある地下室設備だそうで、
高橋さんが入って、カメラで中の様子を見せてくれてました。
かなり広い!!
もともとこの地下室はお店の倉庫として使用されていた。
が、戦争中は周囲の木造住宅の人たちの防空壕として使われたそうです。
戦争中はこの深川も空襲を受けた。そのとき通りの向こうは全て焼けて
高橋さんの家はやられなかったが、
隣人の家は、外はコンクリートで燃えなかったけど、中だけ焼けたそうです。
(その家は、今も人が住んでるようです)
もう一軒のお宅にもお邪魔。
こちらはピアノ教室をひらく中根富美代さん、裕子さんのお宅。
富美代さんの戦争体験談では、窓から見える公園の木の枝が
燃えながら、熱で割れたガラス窓から入ってきたそうです。
向かいの通りは火で真っ赤だったし、逃げてた人はみんな玄関から入って。
急いで入ろうとする人は入口を壊してまでして入ってきたそうです。
避難してきた人は100人以上だったそうで、階段1段に2人ずつ腰掛けて
2階の部屋にも20~30人がひしめいていたといいます。
タモリさんは屋上に案内してもらい、空襲の火から守った
現在まだまだ現役の昭和3年のコンクリートに手を触れる。
★ブラタモ写真館
NHK「ブラタモリ」公式サイト(これまでの放送)に写真があります。
深川のコンクリート住宅に住む浅澤幸雄さん
(高橋さんが家の中は燃えちゃったって言っていた家)が持っていた
青大将脱皮の抜け殻。
「(タ) 屋上で脱皮するのか!?ああいう発見されやすい場所で。」
「(久) ああ。隠すものがないですよね」
「(タ) あけてみるとこれが驚き。」
「(久) 平成22年。今年」
「(タ) 今年だ。浅澤さんだ」
「(久) 両方とも浅澤さん。よくくるんですかね。」
「(タ) なんで浅澤さんだけくるんだろね?。(笑)
脱皮するなら浅澤って。(笑)」
「(久) 青大将の間で」
「(タ) 講談ができるな。落語か…。(笑)
『おい青大将。』
『おお!なんだお前、え?脱皮かい?』
『脱皮なんだよ。そろそろ、なんかいい所ないかい?』
『浅澤んとこ行け』
『浅澤?』
『えっ?浅澤!?』
『脱皮しやすいよ、あそこは。』
おなじみ脱皮の浅澤でございました。(笑)
(お囃子のマネ)」
スタッフから笑いと拍手~~~!
ってことは、浅澤さん宅の取材はカットされたのね!
★あこがれの団地生活!
戸田さんナレ:
戦後、コンクリート一気に普及し、新しい住宅が生まれます。
『団地』です。
人口の増加による住宅難を解消するために生まれた団地は、
当初モダンなスタイルの集合住宅として庶民の憧れでした。
東京郊外に残る団地を見にバスで移動することに。
その間、当時団地への入居が決まった人だけが見ていたと言う
映画を移動中のバスの中で鑑賞。
『団地への招待』 (C)E.F.P.A. 2204,1960,NIKKEI
※検索したらありました。(うp主に感謝)
こちらでも見れるようです。

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見ていたタモリさんたちの感想:
「(タ) このアナウンサー、よく聞くなぁ昔の映像で。」
「(久) 昔ってなんでこんなしゃべり方なんでしょうね」
「(タ) 男も高いよね。
『(高い声で)どこから現れたのか?自転車の一団が。』」 (笑)
戸田さんナレ:
二つの部屋とダイニングキッチンで2DK。
こうした生活がみんなの憧れる新しい暮らし方だったんです。
「(タ) なんだ?あれ」
「(久) チーズですね。へえ~ チーズのサラダなんてオシャレ」
(映像は、兄がシェーカーを振っている)
「(久) 振ってます!手も見切れてます」 (失笑の声)
「(タ) ちょうどその頃、福岡に団地がぼちぼち出来はじめて
うちのおばの一家がそこに住んでたんですよ。
あの造りとまったく同じ造りで。
そこに行くのが楽しみだったんですよ。」
「(久) まさに団地への招待ですね。おばさんのうちに」
「(タ) そう。おばさんのうちに団地への招待。あれですよ。
僕はそこで初めて、やっぱりね、チーズを食ったな」 (笑)
一行は、映画『団地への招待』でも紹介された
西東京市にある、「ひばりが丘団地」にやってきた。
ここは東京郊外の大型団地の第1号として昭和34年に造られ、
およそ1万人が入居しました。出来た当初は、
皇太子殿下、美智子妃殿下(現天皇陛下・皇后陛下)も視察に訪れたほど。
このひばりが丘団地に、間取りのルーツを見に行く。
空き家に案内されたタモリさんたち。
タモリさんは、おばさんの家と同じだと懐かしがってました。
★「DK」革命!? (ひばりが丘団地)
南側に面したダイニングキッチン。
6畳と4畳半の寝室。
『2DK』という考えがそれまでの住まいの概念を大きく変えた。
日本人は長い間一つの部屋にちゃぶ台を置いて食事をし、
寝るときはそれを畳んで布団を敷くという暮らしを続けてきた。
そこから一歩進んだ生活をするには、
食べるところと寝るところを分けなければならない。
限られた広さの中でそれを実現するために、
キッチンと台所を一緒にするという画期的な発想が生まれた。
これが、『DK』=ダイニングキッチン。『DK』は団地から生まれたのです。
内田先生曰く、DKは苦肉の策だという。
外国にはDK自体ない。
日本も基本的には台所と食べるところは別。
これを一緒にしたところが大きな考え方の変化だった。
今や一戸建て住宅にもDKの概念が浸透している。
タモリさんの親戚のおじさんの家は戸建の取り小屋があるくらいの
かなり広い家にもかかわらず、DKがついてるという。
それはモダンの象徴だったからじゃないかと内田先生は言ってました。
★エンディングはひばりが丘団地のベランダから
「(タ) どうですか?長屋から始まって。」
「(久) そんなに長い期間じゃないのにこんなに違う…。」
「(タ) そうなんですよね。
またこの日本人とは建物が変わることに対して
なんの躊躇もないんだよね。」
「(久) 受け入れる」
「(タ) 受け入れるんですよ。新しいのを。
だって明治になって住み方が全部変わったときに
江戸の文化は全部捨てたんですからね。日本は。」
「(久) そうですよね。服装も髪形も」
「(タ) うん。住まいも文化も変えたし…。
そういうこう…。躊躇なく捨て去る文化が
住まいもどんどん変わるのも全く躊躇しないんでしょうね。
面白いね、でも本当に。
東京の住宅地をこれだけ見て回って、
こんな国はないんじゃないですかね。
まだまだ探せばあると思います。」
「(久) ありそうですね」
「(タ) 今日は面白かった」
★最後は戸田さんの語りでシメ~ (おわりに・・・)
「文化とともに変わり続ける日本人の住まいです。
ブラタモリ、楽しんでいただけましたか?それでは御機嫌よう」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
今回のようなときには、半田健人くんが欲しいなぁ~~。
次回のブラタモリは、「鷹狩り」です。
(放送は 2010年11月25日 22:00~)
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◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
★出演
メイン: タモリさん 久保田裕佳アナ
案内:
内田青蔵さん (神奈川大学建築学科・教授)
米山勇さん (江戸東京たてもの園 工学博士)
澤田圭司さん (根津の長屋住人)
高橋晴夫さん 中根富美代さん 中根裕子さん(深川のコンクリート住宅住人)
語り: 戸田恵子さん
★スタッフ
テーマ曲:井上陽水「MAP」(リリース未定)
タイトルCG…鈴木哲
再現CG……高羽和行(1,5,6,11) (2-4,)
… 蒲地高志(2,7)
… 丹羽央幸(3) (2-2,)
… 福田将士(4,8,12)
… 野本英慎(9,10,14) (2-1,)
… 齊藤まゆみ(13)
… 伊藤一雄(2-3,)
地図提供…人文社
資料提供…影山智洋
…毎日新聞社
…日経映像
…東京都江戸東京博物館
…神奈川県立歴史博物館
撮影協力…日本ナショナルトラスト
…東京都公園協会
…UR都市機構
撮影………高山直也(1)
…井ノ口輝憲(2)
…小早川康(4)
…吉野耕作(5,6)
…新井隆(7,12)
…浅野康治郎※(8)
…高橋剛(9)
…小出寿顕(10,14) (2-2)
…石和田哲郎(11,13) (2-1,)
…井上哲二※
…菊池将和(2-3,,4)
技術………中村徹(3)
音声………雄谷元一(1,2,5,9,12)
…小才和彦(3,4,7,8)
…小野寺寿之(6)
…川名貴之(10,14) (2-4,)
…小平晃央(11,13) (2-1,2)
…結城久美子(2-1,2,3,4)
…山田憲義※
…大谷英夫※
…岡田慎一(2-3,)
照明………丸山幸雄(1,2,3,7,12)
…具志堅明(4)
…岸本廣(5,6)
…上條信(8)
…上林栄樹(9)
…住谷洋介(10,11,13,14) (2-1,2,3,4)
映像技術…北村和也(2-1,2,4)
…眞舩毅(2-3,)
音響効果…五十嵐浩暢(1,9,12,13) (2-3,)
…海老原正倫(2,5,6,7,8,10,14) (2-1,2,4)
…井貝信太郎(3)
…神山勉(4)
…黒田正信※
編集………行徳美津子※(1,6)
…渦波亜朱佳(2,7)
…三宮和明(4,8,12) (2-2,)
…中島康(5,9,13) (2-1,3)
…内田雅美(10)
…竹内由貴(11) (2-4,)
…田村修成(14)
リサーチャー・牛久保明子※(1,2,3,6,7,9,10,13) (2-1,3,4)
…阿部直子(4,5,8,11,12,14)
…平松郁(2-2,)
取材………林幹雄※(1,2,4,5,7,8,9,13)
…河添有祐(1,2,4,7,9) (2-2,)
…山口忠継(3,10,13)
…竹下健一郎(5)
…清水駿平(6,8,12)
…土屋亮太(11,14)
…堀江誠己(2-1,2,3,4)
…良鉄矢(2-1,)
…入山直子(2-3,4)
ディレクター…小林諭※(1,3)
…林幹雄※(3,6,10,11,12,14)
…相部任宏※(2,7)
…石上了子(6)
…竹下健一郎(4,8) (2-2,)
…高橋麻緒(5,9,13)
…木村歩(10)
…上山瞬平(11)
…川添有祐(12)
…高橋みちこ(14)
…髙橋麻緒(2-1,)
…小久保美葉子(2-3,)
…上原重徳(2-4,)
制作統括……尾関憲一※ (ALL)
制作・著作……NHK
(※パイロット版のスタッフ)
美術 …森本功※
CG制作…・花房伸行※
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★記事リンク
「番組たまご」放送時 「明治神宮⇒原宿⇒表参道⇒青山通り」
第1回 「早稲田」
第2回 「上野」
第3回 「二子玉川」
第4回 「銀座」
第5回 「三田・麻布」
第6回 「秋葉原」
第7回 「日本橋」
第8回 「本郷台地」
第9回 「品川」
第10回 「横浜」
第11回 「浅草」
第12回 「神田」
第13回 「新宿・大久保」
第14回 「赤坂」
シーズン2 第1回 「築地」
シーズン2 第2回 「丸の内」
シーズン2 第3回 「新宿~水道編~」
シーズン2 第4回「アンコール放送 上野」
シーズン2 第5回「アンコール放送 二子玉川」
シーズン2 第6回「アンコール放送 銀座」
シーズン2 第7回 「日本の住宅」
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タモリの著書を紹介。
これを読んで散策するのも良いのではないでしょうか。
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