ブラタモリ 第8回 「本郷台地」 | シャブリの気になったもの

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ブラタモリ 第8回 「本郷台地」
NHK 総合テレビ 2009/12/3(木) 22:00~


NHK「ブラタモリ」公式サイト

今回は本郷台地。

一行は湯島天満宮(湯島天神)の階段下からスタート。
「本郷」に「台地」というのがピンとこない久保田アナに、
タモリが「語りだすと長いよ」とニヤリ!

冒頭で戸田さんの「本郷台地の」説明が入る。
番組では地形図を出しながらの解説が多く、
本郷台地の場所と、高低差は東京随一と説明するときに使われた。
そこで「東京地形地図on the Google Earth」で代用してみた。
作ってみたのがこれ↓。ちょっと字が見にくいけど・・。
シャブリの気になったもの-湯島地形図
本郷台地地形図(別ウインドウで開きます)

たしかに、関東平野といってもデコボコしています。
そして当然、台地の周り(キワ)に坂が多い。
東京に坂が多いのは、そういうわけなんですねぇ。
タモリは日本坂道学会の副会長でもありますから、
この企画は、さらにDEEPになりそうな雰囲気でありました。

ということで、一行が「台地のキワ」を上り下り。本郷台地を歩けば
世界中の地形に秘められた物語が見えてくる、という企画であります。


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★台地の「キワ」の愉楽・本郷台地 (湯島天満宮

38段の階段を上り、湯島明神の境内から台地の端っこからの景色を見る。
とおくに見える上野松坂屋デパートの連絡通路と同じ高さであります。

ここでタモリ流の台地の魅力講座。
シャブリの気になったもの-湯島地形図
本郷台地地形図(別ウインドウで開きます)

このような地形図つかって、久保田アナへの台地講義であります。
本郷台地の場所、切れ込む谷。
その谷を我々は「渓谷」と呼んでいる、と言い切るタモリ。
そして神社から西に見える道路(春日通り)が、今立っている高さと同じであること、
南は今上がってきた階段だから、急に下がっていることを久保田アナに示す。
「その、キワを歩くことがいいんですか?」
「なんでもキワですよ。キワがいちばん色っぽいんだよ」
「キワモノ・・」と言われてしまうタモリ。
服の袖と肌のキワを例にして、「キワがいい」と話は発展。
「脱いじゃうとダメなんですか?」と、久保田アナから意外な広がり!
「ダメですね。キワですね。キワめるって言いますから。」と、タモリ。
昼間から何かを妄想させる話になっちゃいました~~。

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★さっそく台地の「キワ」へ (立爪坂)

一行がやってきたのは、神田明神の北を走る蔵前橋通りの、
ひとつ北の路地になっている妻恋坂。この坂は立爪坂と交わっているのですが、
タモリは実際に見たことがないという。
(※↓赤線と赤字でおおよその場所を示してあります)
シャブリの気になったもの-湯島地形図
本郷台地地形図(別ウインドウで開きます)


歩いていると、右手にそれらしき坂に気づいたタモリ。
坂の入り口は数段の階段で始まっている。
塩哲の色即是空さんの立爪坂記事
この坂が立爪坂なのか確かめるために、坂の入口スグの家に確認すると、
ここが江戸時代からある立爪坂で、相当急だったため、
爪を立てて上らなければいけなかったとの証言を得てました。
タモリと久保田アナは、記念になるからと、
爪を立てながら階段を四つんばいになって上る。
(笑えた~。 タモリはん、往年のイグアナでんがな~)

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★太古の名残を求めて (弥生2丁目)

台地のキワが好きなのはタモリだけではなく、
大昔の人も好んで住んだ場所だった。と言う戸田さんの語りが入ると・・。
地形図が出てきて、台地のキワからは、
縄文、弥生時代の遺跡が台地のキワに沿って発見されたと説明されました。
(※↓ オレンジ(弥生)とパープル(縄文)で、遺跡の場所を○してみました。)
シャブリの気になったもの-湯島地形図
本郷台地地形図(別ウインドウで開きます)

こうした遺跡から見つかったもので一番有名なのが弥生式土器。
明治時代の大発見だったそうです。

(↑番組で紹介された、文京区HPの画像)

発見された場所が本郷の辺りにあるとタモリから聞いて、驚きの久保田アナ。
確か弥生2丁目・・ 地名の由来とも関係がありそうです。
「新宿2丁目みたいな・・」と軽快にボケる久保田アナ~~。
※しかし、なんでここでBGMが「ゲゲゲの鬼太郎」!(笑)

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★弥生式土器発掘の場所へ (弥生2丁目)

一行は、東大工学部裏の弥生坂(言問通り)を上ってゆく。
するとそこには、弥生式土器ゆかりの地(分狂句)が。

ここで弥生時代に詳しい考古学専門の明治大学・石川日出志教授と合流。

先生の話だと、土器が発見されたのは明治17年(125年前)のことで、
考古学が始まったばかりなので、正確な記録も無く、
今となっては場所が良く分からないのだそうです。(そんな~~!)
だから、ここから土器が出たのではなくて、「ゆかりの地」なのだそうです。

(※↓赤●で出てきた場所を示してみました。)
シャブリの気になったもの-湯島地形図
本郷台地地形図(別ウインドウで開きます)


石川日出志先生の図書:


「弥生時代」の発見―弥生町遺跡

(シリーズ「遺跡を学ぶ」)/石川日出志

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★弥生式土器発見の候補地に向かう (東大・浅野キャンパス)

先生が連れて行ったところは、東大の浅野キャンパス(弥生2丁目)。
本郷地区キャンパス(東大公認サイト)
ここが土器発見の候補地だそうですが、
大学構内の奥のほうの工学部九号館の裏にはいってゆく・・。
そして薄暗い草むらの中にあったのが「弥生二丁目遺跡」の標。
参考:

ここも本郷台地のキワになっている場所。
弥生人の村があったところと考えられているそうです。
(※↓赤●で出てきた場所を示してみました。)
シャブリの気になったもの-湯島地形図
本郷台地地形図(別ウインドウで開きます)


「知らなかったねぇ」というタモリたち。(そりゃそうですわ)

弥生時代、家が20軒くらいで100人前後の村が、
台地のキワに、数キロ間隔で点々と並んでいたと考えられているそうです。
で、見下ろす崖の下には田園風景が広がっていたのだろうと…。

で、一行は、その遺跡の向こうにある高さ十数メートルくらいの崖の下に行き、
さっきまで居た崖上の遺跡を見上げてみる。
あたりはこのような崖がグルリと続いているという先生。
(地形図で見ても、確かにそうだ)

台地のキワには住みやすい条件が整っていたのだとか…。
先生いわく、縄文時代にはこの辺りまで海がきていて、
弥生時代になると海がひいてきたので、
田んぼなどの農耕に非常に適した場所になったのだと。
「ここに住むのは当たり前。こんないいところは逃さない。一等地。」(先生)
「弥生時代の田園調布ですよ」(タモリ)

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★台地の出来かた

タモリが粘土で久保田アナに台地の出来方を教える。
台地型の粘土にへらで筋を入れて、徐々に削ってゆく。
これは、降った雨が台地の低いところにたまり、
それが川になって崖のほうに流れてゆく様子を示している。
そして長い年月を経て、台地を削ってゆき、
ついには深い谷を造り、台地を二つに分けてしまう。
という過程を説明していた。
水の力がそんなにあるんですか?と驚く久保田アナ。
そうですよ~。
華厳の滝だって、いつかは中禅寺湖とつながっちゃうんですから。

↓水色の川?で示した場所も、川で削られたんじゃないか?
シャブリの気になったもの-湯島地形図
本郷台地地形図(別ウインドウで開きます)

ということで、本郷台地と上野台地の間にあったであろう
川の痕跡を探しに行くことに。

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★失われた川を探して (藍染川)

一行は言問通りを上野方面へ。
弥生坂(言問通り)から先を見ると、一旦低くなって、また上っている。
タモリいわく、区界は、川か、旧江戸の道が分けているとのこと。
一番低い場所に到着すると、そこは根津(文京区)と谷中(台東区)の区界。
ここに川があったのは間違いない。
道の湾曲の具合も、川っぽいとタモリが言うと、「川っぽい」と同感の久保田アナ。
「川っぽいなんて思うようになっちゃいました」
うんうん。染まってきてますね~。

そこで地元の人に聞いてみる。
訪ねたのは「昔せんべい大黒屋」(台東区谷中1-3-4)。
参考:Nostalgic TOKYOさんの昔せんべい 大黒屋 @根津
女将さんがでてきて、ここは昔、川があったと証言。
でも、年寄りが亡くなってしまっているので、
いつごろ川が無くなったのかまでは、わからないとおっしゃっていました。

戸田さんの語りでは、この川は昭和初期に暗渠化されたそうです。
(※暗渠:ふたをした水路)
この川の名前は藍染川。道幅の半分が川だったそうな。

ここでタモリが川の代弁者となる。
この川はもっと上野のほうに谷を浸食しようとおもったけど、
思い半ばで暗渠化されて、思いは遂げられずに終わってしまったと・・。
ちょっと切ない話でした。


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★川のあとをたどる (藍染川)

本当はどんな姿だったのか。
一行は、カフェ・Coffee and more「BreakTime」(文京区根津2-15-12)で、
作家の森まゆみさんを待ち合わせ。
1984年に地域雑誌「谷中・根津・千駄木(谷根千)」を創刊し、
このあたりの歴史を丁寧に掘り起こしているそうです。

彼女に藍染川あとを案内されるタモリ一行。

関東大震災前までは、ここに川があったそうな。
そのときに橋を渡って逃げた記憶がある人がいたそうです。
そのあと暗渠になった。タモリの言うように、ずいぶん早い暗渠化です。
そのわけは、氾濫するので早く埋めてくださいと、
地元からの陳情があったからなんですって。
※参考:(↓番組で出てきた画像)

大正時代の藍染川の画像(里川の構想|ミツカン水の文化センター)

川の端のほうに明治の頃からあった金魚屋さんがあって、
台風で氾濫した川に金魚が逃げ出してしまうことがよくあったそうな。
それで台風の後始末で大変な親たちを尻目に、
子供たちは川に逃げた金魚をすくいに来ていたのだとか!

森まゆみさんの著書:
地域雑誌『谷中・根津・千駄木』のちょっと早すぎる自叙伝だそうです。

「谷根千」の冒険 (ちくま文庫)/森 まゆみ


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★川の面影を求めて (染物屋「丁子屋」)

一行は、明治28年創業の染物の老舗「丁子屋染物店」(文京区根津2-32-8)へ。
久保田アナは、看板の「洗張」という言葉に感慨深し。
参考:染物・洗張の店『丁子屋』|谷根千/今日もおでかけ日和

ご主人に話を聞くと、建物は甲斐性がないから建て替えられないと笑う。
後ろでチョコンとはにかんでいる、お孫さんの女の子がかわいい。
ご主人のお父上の話だと、創業当時はこのあたりは広い空き地だったそうで、
何で裏通りに店を出したんだ?と聞くと、川が欲しかったからだそうです。
川沿いには、数軒の染物屋があったそうです。

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★ブラタモ写真館。

十字路の道路標示の写真なんだけど、
赤い下地に、白の十字なので、まるでスイス国旗のようです。
ここで「T字路」なのか「丁字路」なのかというお話に。
久保田アナは「T(ティー)字路」だと思っていましたが、
正確には「丁(漢字の”てい”)字路」。
(ただし、テロップには道路交通法の表現をでていました)

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★江戸の境界を行く (見送り坂・見返り坂)

台地のヘリばかり歩いてきたので、
今度は台地のど真ん中を歩きましょう。ということで…。
タモリ一行は、中仙道(国道17号)を歩いている。
(※↓緑線の道路)
シャブリの気になったもの-湯島地形図
本郷台地地形図(別ウインドウで開きます)


タモリが立ち止まって久保田アナに説明していたのは、本郷3丁目の交差点。
ここで、85歳のおばあさまが、タモリたちに話しかけてくる。
しかし、タモリの顔は知っているけど名前が出てこない。
久保田アナが「タモリさん」と耳打ちしても、「タモヒロ?」だって。(笑)
でもちゃんとタモリだと分かって、「こんな若かったかね~」
と明るいおばあちゃんでした。

この交差点(春日通り)で、江戸時代は市街地と郊外に別れていたのだとか。
なので、中仙道の本郷3丁目の交差点の
北の数メーターを「見送り坂」、その向こうの上り坂を「見返り坂」という。
ここで送り出す人、お別れして見送る人を振り返る人が居たのでしょうね。
さっそく久保田アナが旅立つ人、タモリが送る人を演じてみた。
どんどん遠くに行って小さくなってゆく久保田アナ…。
止めないと、行ってしまう勢い。
タモリはそれを楽しんでましたが、さすがにスタッフに言われて戻しました。

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★失われた川を探す (菊坂)

見送り坂と見返り坂の間には橋があったそうです。
その名も「別れの橋」。ということは、川があったということ。
さっそく川のあとを探したタモリが、高低差で低い部分を追って、
「これらしい」と、細い路地を見つけた。
その路地を進んでゆくと・・。
階段を下りて大谷石でできた護岸跡のような場所に出た。
いかにも川があったような感じ。
そこから開けた場所に出ると、そこは菊坂。
「食料品のシナノヤ」のご主人に聞いてみると・・。
昔はこの菊坂が川だったそうで、
いまでも道路の下に人間の背丈ほどの高さの土管が通っているそうだ。
ご主人が昔にご老人から聞いた話では、
この川には太鼓橋が3本くらいかかっていたそうです。
参考:@nifty:デイリーポータルZ:「いってこい坂」は川底の名残
(↓地形図にも赤線で菊坂を示してみた。)
シャブリの気になったもの-湯島地形図
本郷台地地形図(別ウインドウで開きます)

たしかに菊坂は、本郷台地を川が削った谷なんですね。

さらに坂を下ってゆくと、久保田アナの目に留まったのは、
「まるや肉店」の菊坂コロッケ。(これ、有名なお店みたい・文京区本郷4-36-4)
参考:写真ナビ

久保田アナのたっての希望で菊坂コロッケを食べることに。
顔の堀の深いご主人がニット帽をかぶっていたので、
「インド人?」とタモリにいじられる。(笑)

店頭には「本郷菊坂界隈文人マップ」という
¥200の案内チラシがあって、タモリも手にしていた。

※このマップなどで活動をしている「まわり住民の会」の一員に、
まるやのご主人も参加しているようで、
ご主人は「商店街の活性化」で、菊坂コロッケプロジェクトをやっている。
文人マップの画像は、町おこしの「まわり住民の会」に載っているものです。

ということで、タモリが文人マップを見て、改めて驚いていたのは、
このあたりに住んでいた文人たちの草々たる面々だったこと。
明治の頃から、樋口一葉や宮沢賢治などが居たみたいです。
金田一の名前に、久保田アナは「金田一耕助さんは・・」
と、ボケてくれました~。 まるやのご主人に大ウケ!
久保田さん、金田一京助さんですよ~。

この文人マップを作った福満喜弘さんとここで合流。
彼も「まわり住民の会」のメンバーなんだろうな~。
マップに紹介されてる文人は全部で62人居るそうです。

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★川が削った渓谷 (菊坂・炭団坂)

福満さんの案内で、タモリのいう渓谷(谷)を見に行く。
川の蛇行したとおりに路地に入ってゆくと、急な階段にでる。
ここが炭団坂。
炭団を知らない久保田アナに、福満さんとタモリが説明・・。
って、スタッフが炭団を用意してるじゃん!!
炭の粉をボール状に固めた燃料であります。
この坂はとても急だったので、転がり落ちると泥団子のような
炭団みたいになってしまうところから、この坂の名前になったそうな。(一説には)
坂の階段を上りきって、菊坂方面をみて渓谷景を楽しむタモリたち。
「立派な渓谷でしょう?」タモリの言葉にも納得の久保田アナでした。

(↓地形図にも赤線で炭団坂を示してみた。)
シャブリの気になったもの-湯島地形図
本郷台地地形図(別ウインドウで開きます)


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★しばし、コーヒーブレイク

本郷郵便局並びの喫茶「山小屋」で休憩を取る一行。
音楽喫茶「山小屋」コンサート(お店でコンサートを開いてる人のブログ)
(文京区本郷5-9-7)

ここの女将さんが、娘さんの結婚相手を紹介して欲しいとタモリにお願いする。
すごいな~~!履歴書までつけて!本気だよ、おっかさん!
この娘さん、コンサートのチラシに書いてあったお名前から、
宇都宮三花さん(ピアノ) のようです。 あ、CDもだしてるのね。


宇都宮三花 MIKA UTSUNOMIYA 【CD】

¥2,250 楽天 ※モバイル非対応

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★江戸の大工事 (聖橋・神田川)

最後にタモリたちが訪れたのは、御茶ノ水駅前の聖橋。
「大崖ですよ。崖ファンにとっては・・」と、タモリは崖フェチぶりもアピール。
そして、聖橋から神田川をみると・・
「こんなに下がってましたっけ、このあたり・・」
と、久保田アナがあらためて驚くほど、神田川は深い谷に流れている。
この聖橋の高さが、本郷台地の中心の高さ。
↓地形図で確認するタモリ。
シャブリの気になったもの-湯島地形図
本郷台地地形図(別ウインドウで開きます)

この神田川が、本郷台地を通過するときだけ、自然な状態じゃない。
ここまで山を削りながら、平らな流域を作りながらながれてきたのに、
ここだけ、狭いところを流れている。
本来通るべき場所でないところを流れているわけとは。
「ご説明しましょう。人間がこれを掘ったんです。人工です。」(タモリ)
「ええ~~!?」(久保田アナ)
江戸の初期に、人夫が掘ったものなんですね。
「江戸時代だから、手掘りです。」
「手掘りなんですか!?」

なぜ江戸時代にこんな大工事を行ったのか。
それに答えてくれるのが、
第4回「銀座」のときに案内してくれた、都市史家の岡本哲志さん。
だいぶ待たされたようですね~。この日はロケがおしたのかな?

この工事は、江戸の街をつくるときに大事な工程だったそうです。
元々の神田川は、今の飯田橋駅あたりから丸の内方向に流れていた。
(今の首都高速5号線の下)
丸の内付近を城下町にして武家地を作るうえで、
近くを流れる神田川の治水をしっかりしなければならない。
しっかりするということで一番いいのは、流れるルートを完全に変えたほうがいい、
つまり、丸の内を洪水から守るために、神田川は今の流れに変えられた。
だから強引に本郷台地をけずったのでした。
江戸の町を拡大するためにはどうしたらいいかという
ひとつの答えだったんですね。

岡本哲志さんの著書:
銀座四百年 都市空間の歴史 (講談社選書メチエ)/岡本 哲志
¥1,680
銀座―土地と建物が語る街の歴史/岡本 哲志
¥6,615
江戸東京の路地―身体感覚で探る場の魅力/岡本 哲志
¥1,995
「丸の内」の歴史 丸の内スタイルの生成と変遷/岡本哲志
¥2,500


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★おしまいに・・

割と狭い範囲だったのに、よく歩いたという久保田アナは、
心からこの台地めぐりが面白かったようだ。
タモリは、弥生人や縄文人を同じように上り下りをしてきたんですよと。
「だんだん興味出てきた?」(タモリ)
「そうですね、ちょっと。あ、コロッケ美味しかったです」
・・って、食い気だけかよ~~っ

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次回は「品川」です。

ペタしてね


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★出演

メイン: タモリさん 久保田裕佳アナ
案内: 明治大学・石川日出志教授
      作家・森まゆみさん
      まわり住民の会・福満喜弘さん
      都市史家・岡本哲志さん
語り: 戸田恵子
 
★スタッフ

テーマ曲:井上陽水「MAP」(リリース未定)

タイトルCG…鈴木哲
再現CG……高羽和行(1,5,6) 蒲地高志(2,7) 高羽央幸(3) 福田将士(4,8)

撮影協力…湯島天満宮(湯島天神)
写真提供…国際航業 東京大学総合研究博物館 丁字屋 矢根千工房
地図提供…人文社 東京地図研究社
資料提供…文京ふるさと歴史館 NPO法人まわり住民の会

撮影………高山直也(1) 井ノ口輝憲(2)小早川康(4)
        …吉野耕作(5,6) 新井隆(7) 浅野康治郎※(8)
技術………中村徹(3)
音声………雄谷元一(1,2,5) 小才和彦(3,4,7,8) 小野寺寿之(6)
照明………丸山幸雄(1,2,3,7) 具志堅明(4) 岸本廣(5,6) 上條信(8)
音響効果…五十嵐浩暢(1) 海老原正倫(2,5,6,7,8)
        …井貝信太郎(3) 神山勉(4)
編集………行徳美津子※(1,6) 渦波亜朱佳(2,7)
        …三宮和明(4,8) 中島康(5)

リサーチャー・牛久保明子※(1,2,3,6,7) 阿部直子(4,5,8)
取材…………林幹雄※(1,2,4,5,7,8) 河添有祐(1,2,4,7)
          …川口忠継(3) 竹下健一郎(5) 清水駿平(6,8)
ディレクター…小林諭※(1,3) 相部任宏※(2,7) 石上了子(6)
          …林幹雄※(3,6) 竹下健一郎(4,8) 高橋麻緒(5)
制作統括……尾関憲一※
制作・著作……NHK

(※パイロット版のスタッフ)

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★記事リンク

「番組たまご」放送時
第1回 第2回 第3回 第4回 第5回 第6回 第7回

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タモリの著書を紹介。
これを読んで散策するのも良いのではないでしょうか。
 
タモリのTOKYO坂道美学入門/タモリ

 
また、こんな本もあります。
 
切絵図・現代図で歩く江戸東京散歩
¥2,520
古地図・現代図で歩く 昭和東京散歩
¥2,730
古地図・現代図で歩く明治大正東京散歩
¥2,730
古地図・現代図で歩く 昭和30年代東京散歩
¥2,520

 
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