霧氷らぶらぶ亭 -9ページ目

霧氷らぶらぶ亭

いつの間にか山形県寒河江西村山地区と山形市のゆるキャラさんたちにどっぷりハマりました(;´Д`)
地元のローカルヒーロー・憑身シェイガーくんと蔵王温泉のキャラクター・むひょこちゃんを特に愛していますΣ(´□`;)

ダムとお城もぼちぼち

昔、昔、あったけど。


山形の西のほうに、田んぼつくりの百姓がいた。


百姓のうちには、働き者のかが(妻)と、怠けてばかりいるおど(夫)が暮らしていた。


秋になり、稲刈りが忙しくなると、かがは朝早くから夜遅くまでかせいで(働いて)いた。


かがは、「おど、明日少し稲刈り手伝いしてけろや」と頼んだら、おどは「ああ、いがんべ」と、翌日昼頃から手伝いした。


かがは、早く稲刈りを終わらせたいと、一生懸命かせいだけれど、夕方近くになってしまった。


かがの稲刈りは早くて、おどのそばさきて、おどの足さ手がかかったとき、おどの足は刈り取られておったど。



あやしいものクラブ-かがし


おどは片足で田圃の真ん中に立って、「かが、足だ!」と大きな声で叫んだが、どうしようもなかったど。


それ以来、田圃や畑に一本足で立っている、おどの姿をしたものを、「かが足」・・・・カガシと呼ぶようになったんだと。


   ドンビンサンスケ




こちら の話が原題ですが、なんともなく「足刈っちゃった!」な平然とした感じが逆にこわいんですけどおおおおお!!!!!


民話は何気に残酷なことをぽいっと平気で言ってたりするのでぞぞっとさせられたりしますね。


昔見た心霊番組では、「稲刈りの最中に、一息つこうと思って首にかまをひょいっとかけた拍子に、おぶっていたあかんぼうの首がぼとりと落ちて、呆然として次に自分の首にかまをふるって自殺した」百姓の若妻を供養した「首なし地蔵」の話を紹介していましたが、そういう話から伝わるのは「恐れ」じゃなくて「悲哀」だったりしますね。


この民話も軽い調子で語られてはいますが、夫の足を刈り落とすまで気がつかないほどの忙しさって悲惨だよなあ・・・・って、かが(妻)に同情してしまいます。

とんと昔あったずま。


あるところに爺様と娘が住んでいた。

ある日のこと、山に山菜を採りに行った娘が帰ってこないまま行方不明になった。

何年も諦めきれないまま、爺様はことあるごとに山に出かけ娘を探した。

ある年、山奥の、そのまたきたことのない山奥まで足をのばして、疲れ果て湧き水のところで休んでいると、近くに子どもがいた。ふと子どもの顔を見ると、半分が人間で、あとの半分が鬼の顔で、頭には鬼の角が一本生えていた。

仰天しておそるおそるその子どもの顔を見ると、その半分の人間の顔がいなくなった娘にそっくりであった。


爺様はその片角の子どもの後をつけていったら、片角の子は山のように大きな岩の陰に来て、

「おっかあ、おっかあ、いまきた」と叫んだ。

「どこにいって遊んできた?」とその母親らしきものの声がする。

はたしてその声はいなくなった娘、おさよの声だ。

爺様はたまらず

「おさよ、おさよでねえか」

と泣き叫び飛び出した。

おさよも、望外の爺様との再会に喜び飛び出し、二人でひしと抱き合い感激の涙を流していると、片角子が

「おっかあ、んじゃあ、この人はおれの爺様か」と聞いた。

「んだ、んだ、おれのおとっつぁんで、お前の爺様だ」それを聞いた片角子は

「おれの爺様」と抱きついた。

爺様は恐れも忘れ、

「おれのめんごい孫だ」としかと抱きしめた。


そこへおっきな赤鬼が帰ってきた足音がする。

片角子は俺の爺様が食われると思い、がらがら(急いで)爺様の手を引いて岩穴の奥へ連れて行って隠した。

赤鬼は帰って囲炉裏端で胡坐をかくなり、

「おお、なんだか人の匂いがする、お前だ人ば隠してねえか」

と聞いた。片角子は

「おとっつぁん、俺の爺様ば食わないでけろ」としぶしぶ連れてくると、

赤鬼は爺様をギョロっと睨みつけ、

「おっかあ、酒を持ってこい」と呼ばわり、

震える爺様に大きな杯を持たせ、そこになみなみと酒を注ぐと、

「その酒を飲み干せ、そんで、俺と縄ない(藁を編んで縄にすること)の競争をしろ。勝ったら爺様を食わない」

と、縄ないの競争を無理強いしてきた。

赤鬼の縄ないは早く、爺様の十倍の速さで縄を編んでいく。

だが、片角子は人間の知恵と鬼の力を持ち合わせた聡い子どもで、爺様が負けないよう、赤鬼の編んだ縄を爺様の編んだ縄の先に結んでやった。

「どれ、俺の編んだほうが長いべ、俺の勝ちだ」と赤鬼が言うと、

「いや、おとっつぁんと爺様は同じ長さだ」と差し出す。

赤鬼は不思議がって、

「おれのほうが早いと思ったけどな、どれ、次は豆の早食い競争だ」

と豆の早食いの競争をやらせようとする。

娘は機転を働かせて、鬼の食う豆に豆粒の大きさの小石をいっぱい混ぜてやった。

「今日の豆はよくない豆だ、ずいぶんと固い豆だ」とブツブツ言いながら大きな手でバクバク食った。そのうち、

「いてえ、いてえ、歯が痛くてかなわねえ」

と山奥の沼に水を飲みに行った。


その間に、爺様と娘、片角子の3人は、ガラガラ爺様の家に逃げ帰った。

まもなく赤鬼が追いかけてきて遠くから、

「うおー、うおー、爺様を出せ、おっかあを出せ」と叫んでいるのが聞こえる。

「このままでは、爺様もおっかあも赤鬼のおとっつぁんに食われてしまう。おっかあ、おれは人間としても生きられねえし、鬼としても生きていかれない。俺を半分に切り裂いて、鬼のほうを切り刻んで串に刺して、戸の口にさしてけろ」

爺様と娘は仰天して、

「そんなむごいことはできねえ」と二人で片角子の左右の手を携えた。

すると、不思議なことに爺様も娘も握った手に力も込めていないのに、片角子の体は、ビリビリと半分に裂けてしまった。



あやしいものクラブ-片角子





仕方なく片角子の遺言どおり裂けた半分の鬼の顔を串に刺して戸の口に刺すと、

それを見た赤鬼は、

「人間たあ、恐ろしいことをするものだ、人間というのは、何をするわからねえ」

と元来た山奥へガラガラ逃げ帰っていった。


それ以来、2月3日の節分には、鬼の嫌いな豆を撒いて鬼を追い出し、ヒイラギの枝に鰯の頭ば刺して戸の口にさしておくと、鬼が寄り付かないと昔からの言い伝えだ。

      

        どぅーびんと。



節分縁起話なんですが、片角子の境遇がせつなすぎる話です。「人間としても鬼としても生きられない」と言って二つに裂ける節は怖いながらも哀れです。村山地方に伝わる民話です。

このお話は、西川町に古くから伝わるもので。




昔、間沢村に、屋根の上に、弓に矢をつがえたものを、朝日岳のほうに向けて立てておく、古い家があったそうな。



その家は何代も続く古い家で、昔、その家には年頃の美しい娘がいて、村中の若者が



「俺があの娘ば嫁にする」「いや、あの娘は俺が嫁にする」



と競っていたそうだ。




ところが、ある日のこと、娘が突然に、神隠しにあった。村中が上へ下への大騒ぎになって、娘の身内はもちろん、村中のものが手当たり次第探し回ったが、娘の行方は判らなかったそうな。





それから何十年も過ぎるうち、一人の男が、突然に娘の家を訪ねてきた。




「俺ら、大井沢から来たものだけれど、今日山で、ここの娘だっていう女にあってきた」



男が言ったので、家のものはたまげて



「「いやいや、それはどこであったんだべ、どんな様子だったべ」



と聞いたところ、男は





「俺ら、今日朝日岳の山奥さ行ってな、何気なく谷底を見たら、猿みたいなのがいたから、よっくと見返したら、それがどうも人間が洗濯してるみたいだ、もしかしたら人間でねえべかと思って、そおっと近づいてみたら、なんと、ボロボロの着物を着た人間で、しかもわかい女子だったから、たまげて




『こんな山奥でお前一体誰と暮らしてるのや』



と聞いたら、女は悲しい声で、



『私は何十年も前にヒヒからさらわれてきて、今そのヒヒと暮らしているんです』



って言った。でも、おなごの顔を見ると、とてもとても何十年もたったとは思えないくらい、とても若いから、



『お前はずいぶん若いんでねえかー』



と聞いたら、



『実は、五年ごとに、ヒヒが、私の乳に吸い付いて、体の血を全部吸い取るんです。それから、血を吸い取った後で、ヒヒが作ったぶどう酒を飲まされたり、木の実を食べさせられたりすると、不思議なことに血を吸い取られた痛みがすーっとなくなってしまって、たちまちのうちに若くなるから、それで何年経ったかわからなくなってしまったんです』



『ところでお前の家はどこや』



『わたしの家は、間沢村です』



『親たちがなんぼ心配してるかわかんねえ、俺らが送っていくから俺らといっしょに家さ帰るべ』


って言うと、



『私がもしもここから逃げたりすると、ヒヒが怒って家や村に災いが起きるから、私はここから逃げられません』



って言って、なんぼ帰るべと言ったけれども聞き入れなかったのよっす。」





「そして、娘は最後の頼みとして、



『もし、おじさんが間沢村のほうに行くことがあったら、私の家を訪ねてください。


私の家には大きなカヤの木があって、そのカヤの木は私の命と繋がっているのです。

もしそのカヤの木が枯れたら、私が死んだと思ってくださいと、家のものに伝えてください』




と林の中に立ち去って行ってしまったっす。」






その話を聞いた娘の家のものは驚きのあまり、大井沢の男の名前も聞かずに帰してしまった。


あとになって身内のものとその男の在所を捜したけれど、とうとう探すことが出来なかった。




そうしているうちにまた数十年が過ぎ、とうとうカヤの木は枯れてしまったので、家のものは娘は死んでしまったのだろうと思った。




それから、そこの家では、屋根の上に弓に矢をつがえて、朝日岳の方に向けて立てて置くようになったんだと。




村のものは


「あそこの家は、また娘がさらわれないように魔除けのために弓を立てておくのだ」


と思ったど。




        どぅーびんと。








ヒヒこええええええええ!!!!!!

鬼の嫁 や犬の嫁ならまだしも、ヒヒの嫁だけはカンベンですね(そもそも若い美しい娘しか狙われません)

「血を別のものに入れ替えて若返り」っていうと中国あたりの仙人話にもでてきそうな。今度探してみようと思います。

昔、秋田の殿様が、久保田城にお城を築こうとしたとき、殿様が寝ている夢枕に、白髪の立派な老人が現れて、


「私は、この久保田山に長年いついている白狐ですが、城を築くために私の家が壊されてしまいます。

それは仕方ないとしても、せめて一坪の土地だけでも、私に分けてください。

もし私の願いがかなえられるなら、私は人間の姿になって、飛脚となってお殿様のために働きますから」

と言った。


それを聞いたお殿様は、


「江戸の情勢を知るのに役に立つだろう」

と、白狐に久保田山のてっぺんに、十坪ほどの土地を分け与えた。


喜んだ白狐は、早速若い飛脚となって、秋田と江戸の200里を風の如く、南へ北へ走り、たったの六日で往復して、殿様のために働いたそうな。


江戸の幕府では、江戸城の秘密が秋田に筒抜けなのを不信に思い、隠密を放って与次郎の身辺を探らせた。


隠密たちは、東根六田村の宿屋に時折泊まる若い飛脚が与次郎であることをつきとめ、宿屋の主、門右ヱ門を仲間に引き入れて、与次郎を捕まえる相談をしていた。


その宿屋には、お花という年頃の娘がいて、与次郎に思いを寄せていた。ある日、思い切ってお花が与次郎に思いを伝えてみると、


「私は訳あってこのような人間の姿をしていますが、実は白狐なのです」


と身の上を明かして、かたくなにお花の恋情を拒んだが、お花は諦められなかった。


そして、どういった訳か、与次郎が人でないことが、隠密たちにも知れてしまった。


隠密たちは、狩人の谷蔵を仲間に引き入れ、狐の好きなネズミのてんぷらに毒を入れて、与次郎を殺す算段をしておった。


隠密たちの密談を盗み聞きしたお花は、偶然やってきた与次郎に隠密たちが与次郎を殺そうとしていることを告げ、与次郎を逃がしてやった。


月夜の羽州街道の松並木には、狐の大好きなネズミのてんぷらがあちこちにしかけてあり、狐にはたまらない匂いがプンプン漂っている。


与次郎は我慢して通り過ぎようとしたが、


「待てよ、私のために、他の仲間が犠牲になったら」


と、毒入りてんぷらを取り除こうとしていたところ、谷蔵が放った矢が飛んできて、左の目に「ぶっすり」と刺さった。


与次郎はいけどりにされ、哀れにも、皮を剥がされてしまった。


その夜、隠密、門右ヱ門、谷蔵たちは与次郎の肉を煮て、酒盛りをした。

お花は、涙ながらに与次郎の骨を集めてねんごろに弔ってやると、どこぞへと姿を消し、六田村に戻ることはなかった。





与次郎の肉を食べた、隠密や谷蔵たちは、もだえ苦しみ、狂い死にしたそうな。



そして、六田村にも悪い病が流行ったり、大火事になったりと次々に悪いことが起き、

誰からともなく、

「これは、与次郎のたたりに違いない」

という話が広まっていった。


六田村の人々は羽州街道沿いに与次郎を祀る祠を建てて「与次郎稲荷」と呼び、今も白狐の霊を慰めているそうです。





東根に伝わる民話です。与次郎狐がかっこいいですね。

夫の郷里O町の、郷土史にも載ってないような伝え語りを聞いたので少し。


1.きゅうりのたたり


夫の実家の本家O氏は地元の豪族で、戦国時代は勇猛な一族だったようですが、合戦の際にきゅうりの蔓に馬の足をとられ、命を落とした人が先祖の中にいて、O氏一門が兼業農家となっている現在も、「きゅうりを栽培することならぬ」ということが言い伝えられています。そのようなことは迷信だ、と取り合わず実際にきゅうりを植えた人もいたのですが、やはりいいことがなかったようです。


2.飛ぶ首


O氏の家屋敷があったところからさらに山のほうに進むと、O町一体を収めていた殿様・OE公が割腹自殺したという山があり、その殿様の首が山からO町のご城下まで飛んでいって、その後も山からO町城下に向かう鬼火がよく。見られたそうです。その山のふもとには鉱山があり、「鬼の目玉」と呼ばれる丸い物質が出てきたりします。

(平将門の類話みたいですね)


3.まっか川


町内が合戦場だったというO町には、いまも血なまぐさい地名が残っているようです。真赤川(まっかがわ)というのは、死んだ兵士の血で川が真っ赤に染まったことからつけられた、と聞きました。ほかにもいくつか聞いたんだけど忘れた。



O町は何故か遠方からきた人が集団自殺することが何件かあったり、「何かあるんじゃないか」と思わせるようなポイントがいくつもあります。

友人はOM地区の道祖神の前で気分が悪くなったとか、別の友人はO町の奥でN町に続く峠に行くと必ず肩が重くなるのでそこを通りたくないと言っていたりしました。


また聞く機会もあるかと思いますので追加します。