3月第2日曜日。 | 長女Aは、夢を見る。

長女Aは、夢を見る。

長女A(満50歳)
父と同居を始めてみた。

大学生の息子×2
父の愛犬
ワタシの愛猫

楽しいことばかりじゃないと
重々考えてのことだったけど

想定以上の毎日に
もう笑うしかないわけで。

いや、ほんとは泣いて怒ってばかりだけどさ。





いつもは 

 

 

 

認知症の父との日々を書いています

現在、要介護1認定の父(77)との日々

 

認知症?と気づく少し前からのこと

レビー小体型認知症と診断を受けたあとのこと

今の日常のどーでもいいこと

 

書くことで

何かが変えられたらいいな、って

思ってるんでしょうね、ワタシは。
 

 


 

 今日は


走ることを始めてから

毎年参加してきた

超地元の『(別名)女子の祭典ランニング

快晴!



地元開催の女子だけのフルマラソンの大会です

中心部を全部閉鎖して贅沢に走らせてもらう一日




数えたらもう8回走ってた。

コロナ禍は中止だったし

年に1度だから

そりゃ歳も食うはずだにっこり



だけど、今年は初めてこの大会で

応援側に回った。



楽しかったーーー笑



去年から色んなことが重なって

走る習慣をついにやめてしまった

(そして体重大幅増量)

自分はほんとにヤワだなぁと思うけど



また始めればいいよね。



久しぶりにいろんな人とも再会して

走ってるランナーの人たちの

パワーももらって

やっぱり祭典

走ってナンボだなーーー!!

って

ヤル気だけは満タンに。




トップ集団の選手たちの迫力!

「(鈴木)亜由子ちゃーん!!」と叫ぶ50歳のワタシ。






今日出かけることを

父にはなんとなく

どこへ行くとは言えずにいた。



今は落ち着いている父なので

ワタシが

平日仕事をしていても

休日出かけても

何も、とは言わないが、ほぼ問題はない

日曜は

忙しい弟①が律儀に父を外に連れ出す。



言えずにいたのは

この毎年3月の第2日曜日が

父とワタシにとって当たり前のお約束の日

だったから。



母が亡くなった翌年から走り始めた



大会当日は

子どもたちが小学生低学年で

当時はまだ夫婦だった元夫が

早朝から家を出るワタシに代わり

子どもたちの準備をして

一緒に沿道に応援に来てくれた。


地元だから、地下鉄で移動でも良いのに

元夫が子ども係だから、代わりに

父がスタート会場まで車で送ってくれるのが

毎年のルーティンになった。



40過ぎて

とんだ甘えた娘だが

去年までの当たり前のルーティン

50の今年は

もう父は運転していない。



今年は送っていけない、とか

今年は走らないのか、とか

それはなぜ?とか

そんな会話がちょっと嫌だな、と

勝手に想定して思ったりしたのだが



まったくのおセンチ馬鹿だった(ワタシが)。




夕飯前に帰ったワタシに

「おぅ、今日は走ってきたのかウインク」と

普通に聞いた。



ううん、応援してきただけだよ。



「そうなんか笑おつかれさん」



その次はもう

今日の愛犬の話題だった。




そうかぁ

そうだな




そう…………




ちょっと切なかっただけ。




今日はエネルギーもらった日で

切なくなった日でしたわ。




何ヶ所か回って

地下鉄駆使して応援したから

20000歩ほど歩いて走ったヨ。

だから

明日からに備えてもう寝よう、そうしよう。








某アイドル推しの友人に

「応援に行くよ!」と言うと

どうせ応援ウチワなら


推しのウチワで!

箱推しなので(グループ全員好き)

みんな一緒の写真で!

最新シングルのジャケ写で!

などなど

リクエスト山盛りで爆笑

これをフリフリ声援送ってきた飛び出すハート

ワタシはメンバーの顔と名前は半分一致しません。



ではでは、明日からもご安全に。

グンナイです。





時々、仮装して走ったりします。