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日々感じたことをつらつらと

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“変える”ことを苦痛、または困難だと思う人は多い。


自分の身の回り、ミクロ的な視点から見たら、確かに現状維持は何もしなくていいので非常に楽ではある。そして、環境を変化させることは非常に力がいる労働のように思ってしまう。

しかし、マクロな視点で見たらどうだろうか。mp3といった技術が出れば一気にCDの売上は下がったし、インターネットが登場すれば生活者は広告よりも口コミを信じるようになった。
ちょっとした変化なのである。それをトリガーに大きな変化が起こっていくのだ。


社会といった一見固定性が高いものもこうなのだ。本当に身の回りのことがそんなに変えるのが難しいのか多いに再考する必要があるだろう。

話の論点を少しずらすが、さて変化を起こすの必要なのは何だろうか。
私は果敢に一歩踏み込み、行動を起こす積極性だと考えている。日々問題意識を感じることはあると思うが、そうした時一歩踏み出すが見過ごすかが明暗を分ける。

さっきも述べたように小さいことでいいのだ。それをきっかけにでかい変化を起こすことはできる。だから、無理に気張ることはない。小さな勇気に共鳴して、その響きは必ず大きなものになる。

変化起こすためには小さく強靭な意思が必要だと いうことを心に刻みつけ、今から変わっていきたい。


以上が本日のとある企業のインターンシップの経験で学べたことである。

世間の噂になっている事象は意外と目撃しないものである。それはいわゆる生活者の消費パターンにオピニオンリーダーと初期採用者の間にはキャズムと呼ばれる深い溝があり、噂になっている段階ではまだこの溝を超えていないためであろう。その噂が実際に多く見られるようになるのは得てして、メディアの騒ぎが静まったころだと思う。


さて、最近世間を席巻しているアップル社。その中でも非常に噂にのぼるiPadを使用している人を始めて生で見た。あれだけマスメディアの話題にも多くのぼっていたので、1人くらいは目撃していてもよかったのだろうが、実際に生で見たのはこれが初めての出来事だ。


さて、そんな話題をまき散らしたiPadだが、果たしてなぜこれを使うのか。そのベネフィットは何なのか。非常に気になるところではある。

私の知り合いはこう解答していた。要は画面のでかいiPhoneだと。しかし、これはある矛盾をはらんでいると思う。iPhoneはあくまで“携帯”なのだ。持ち運びに非常に便利な小型端末であることが大事なのである。一見しただけでも、持ち運びに不便そうなiPad、どう考えてもそのベースにあるアイデアはiPhoneとは異なると思わずにはいられない。では、パソコンからの発展か?それも違うだろう。パソコンからの発展であるならば、マウス機能もつけて良いだろうし、画面ももう少し大きくしても良いはずだ。むしろDSのように2画面方式のパソコンでも作ればいいだろう。

いったいiPadの源流はどこにあり、どんなものなのだろうか。


あるネットの記事ではこのような解答があった。そもそもアップル社が提供している各種デバイスはその使用場所やシーンに注目しているという旨の解答だ。さらに続けて、iPadとはいわゆる雑誌や新聞のようなものだと。テーブルなどの上に適当においてあり、ソファに座りながら、気の向くままにいじるデバイスだというのだ。


なるほど。これには納得させられた。つまり、ここから推測できるのは、iPadの存在とは要は、既存メディアの電子化なのだ。雑誌や新聞、書籍といった家に置いてある各種メディアを電子化し、一つに束ねてくれる存在だろう。

現代は大量に情報メディアが購入でき、その数もふとまわりを見渡してみても非常に多い。はっきりいって整理整頓が非常に面倒だ。つまるところ、そうした乱雑さを解消する情報整理の効率化がiPadの存在理由なのだろう。大量の情報が氾濫する情報化社会に求められる効率性、そこをついた商品であるiPad。

結局生活者のニーズを捉えたという至ってシンプルな話。それが今日の結論。