ふと周りを見渡せば、世の中は便利に満ちていることがわかる。路線検索も今では携帯一つで簡単にできるし、他人との連絡もメールや電話といった場所や時間を問わずできるし、欲しい情報はパソコン一つでいくらでも手に入る。
今日、書店で新書を探しているとき書籍検索システムを使用した。ITの進歩により、書店内にある書籍の情報を効率的に管理できるようになった恩恵であるが、このシステムを使っているときにふと考えてしまった。
「確かにこのシステムは非常に便利であることは間違いない。しかし、簡単に目的の場所までたどり着けてしまうことは、その過程にある本との偶然の出会いを排除してしまっているのではないだろうか。」
確かに効率化は大切なことだ。情報化社会になり、私たちは大量の情報を処理しなければならなくなってしまったし、生活者が多様な価値観を形成している昨今では、生活者に対して一定の価値を創造し、提供するビジネスにおいても、その工程が複雑化し、今では多くの仕事に追われるビジネスマンは多いだろう。だからこそ、効率化というのはなくてはならない、実現していかなければならないことではある。
しかし、効率化の中で失われるものが確かにある。効率化とは無駄を排除する作業である。では、無駄とは本当に私たち生活者にとって役に立たないものばかりなのであろうか。いや、そんなことはない。むしろ無駄は私たちの人生を豊かに、そして個性的にしてくれるものであると思う。目的の書籍を探す過程で書店内を巡り、その中で思わぬ本との出会いがあるかもしれない。友人や恋人とコミュニケーションを取りたいのに、メールや電話が使えない。そのとき、代わりとなる手段を必死に模索し、そして連絡が取れればそのときの達成感や充実感はメールや電話でコミュニケーションを取ったときには味わえないものであろう。
効率化は確かに大切である。しかし、それは無駄が私たちにとって役に立たないものであることを意味していない。だからこそ、普段の生活の中で忘れ去られてしまった無駄を改めて見つめ直せば、新しい発見がきっとある。