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「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

創世25:29-34

ある日ヤコブが、あつものを煮ていた時、エサウは飢え疲れて野から帰ってきた。

エサウはヤコブに言った、「わたしは飢え疲れた。お願いだ。赤いもの、その赤いものをわたしに食べさせてくれ」。彼が名をエドムと呼ばれたのはこのためである。

ヤコブは言った、「まずあなたの長子の特権をわたしに売りなさい」。

エサウは言った、「わたしは死にそうだ。長子の特権などわたしに何になろう」。

ヤコブはまた言った、「まずわたしに誓いなさい」。彼は誓って長子の特権をヤコブに売った。

そこでヤコブはパンとレンズ豆のあつものとをエサウに与えたので、彼は飲み食いして、立ち去った。このようにしてエサウは長子の特権を軽んじた。

 

「わずかな年数で」2024年10月、デビッド・A・ベドナー、十二使徒定員会

皆さんやわたしが,自分には高慢による傲慢さを避ける十分な強さと忠誠心があると思い込んでいるなら,すでにこの致命的な霊的な病におかされているかもしれません。簡単に言えば,高慢に悩まされ苦しむことはないと信じているなら,無防備で,霊的な危険にさらされているということです。わずか数日,数週間,数か月,数年で,1杯の「あつもの」にも劣るもののために霊的な生得権を失うかもしれません。創世25:29-34 参照)

 

しかし,高慢に悩まされ苦しむ可能性があると信じているなら,わたしたちは,「小さな,簡単なこと」を常に行うことにより1ニーファイ16:29アルマ37:6-7教義と聖約64:32-33参照)守られて,「子供のように従順で,柔和で,謙遜で,忍耐強く,愛にあふれた者となり,……主がその人に負わせるのがふさわしいとされるすべてのことに喜んで」従えるようになることでしょう。モーサヤ3:19「やむを得ずへりくだるのではなく,自らへりくだる人々は幸い〔なのです〕。」アルマ32:16

 

ベンソン大管長の助言に従い,主がモルモンにヒラマン書の要約の中にその記録や勧告,警告を含めるよう霊感を与えたのはなぜかと自問するなら,これらの教えが今日のわたしたち個人の生活や家族の具体的な状況に当てはまるかどうかが分かると,わたしは約束します。この霊感された記録を研究し,深く考えるとき,祝福として,見る目,聞く耳,理解する知性,モーサヤ2:9参照)また「誘惑に陥ることのないように,高慢に気をつけなさい」教義と聖約23:1という学ぶべき教訓を理解する心を授かるでしょう。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

創世24:58

彼らはリベカを呼んで言った、「あなたはこの人と一緒に行きますか」。彼女は言った、「行きます」。

 

「決意の時は今」(英文)1982年10月、ハワード・W・ハンター、十二使徒定員会

ずっと後のことですが、リベカはアブラハムの僕から、自分と一緒にアブラハムの家へ行ってイサクの妻になってくださいと頼まれた時、その僕の言葉と行ないには主のみ手があることを悟って、何の疑いも抱くことなく、ただこう答えました。「行きます。」創世24:58

 

それから一世代後のことです。ヤコブはカナンの地へ戻るようにとの命を受けました。そのためには、長年働いて得たものを残して行かなければなりませんでした。ヤコブは羊の群れを放してある野にラケルとレアを呼び、主が語られたことを話して聞かせました。ラケルの答えは単純率直で、その言葉の裏には並々ならぬ決意が現われていました。「何事でも神があなたにお告げになったことをしてください。」創世31:16

 

聖典の中には、いかに主の戒めを重んじるべきかを教えてくれる言葉や物語がたくさんあります。ヨシュア、アブラハム、リベカ、ラケルの模範に従いたければ、ただ、主に従っていき、そのみこころを行なえばよいのです。

 

今、主に仕えようと決意することは素晴らしいことです。なぜならこの日曜日の朝に、世の煩いや誘惑から幾分か離れ、より深く永遠の事柄に思いを馳せる時、私たちは普段にも増して、自らの生活に大きな幸福をもたらしてくれるもののことを、はっきりと考えることができるからです。

 

夜の暗闇が襲い来り、誘惑の嵐が吹きすさぶ時にどう対処すべきかを、今、この朝の陽光の中で決めておこうではありませんか。

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

創世24:33

そして彼の前に食物を供えたが、彼は言った、「わたしは用向きを話すまでは食べません」。ラバンは言った、「お話しください」。

 

「決意」(英文)1996年4月、F・バートン・ハワード、七十人

わたしが英雄視する人物の中に、アブラハムの僕がいます。イサクのために妻を探しに遣わされた人です。その人の名前は明らかにされていません。彼の生涯についても不明ですが、その人格についてはよく分かります。彼はアブラハムの財産のすべてを任されていました。信頼に値する人物で、実際に信頼されていました。やがて、すべてのうち最も重要な事柄、つまり息子の昇栄にかかわる事柄をアブラハムがこの僕の決断にゆだねる日が訪れました。

 

アブラハムはイサクに、自分が主と交わした聖約の継承者になってほしいと望んでいました。アブラハムは、「この聖約の祝福は、イサクが神を信じる善良でふさわしい女性と結婚しないかぎり、成就しない」と知っていました。カナン人の女性には、イスラエルの母親となる資格はありませんでした。そこでアブラハムは僕に、息子をカナン人と結婚させないと約束させました。そして、僕を先祖の国に遣わし、イサクのために妻を探させたのです。

 

僕はその誓いを受け入れ、旅に出かけました。長い旅でした。きっと数々の試練や苦難に遭遇したことでしょう。ようやく目的地に到着した彼は、そこで多くの若い女性を目にしました。僕は彼女たちのだれがイサクの妻として予定されているか知るために、あるテストを考案しました。こうして信仰を行使し、彼はリベカと出会い、その家族の家に到着し、彼らと親しくなりました。彼らは僕を食事に招きました。砂漠での長旅を終え、飢え渇いていたにもかかわらず、この忠実な僕は言いました。「わたしは用向きを話すまでは食べません。」創世24:33

 

こうして彼は旅の目的とアブラハムとの誓いについて説明しました。次の短い言葉が僕の忠実さと謙遜さを物語っています。「わたしはアブラハムのしもべです。」創世24:34親族は10日間の祝宴を願いましたが、僕は答えました。「主はわたしの道にさいわいを与えられましたから、わたしを引きとめずに、主人のもとに帰らせてください。」創世24:56

 

このような状況では多くの人がそこにとどまったことでしょう。長旅で疲れ、飢え渇いているからということで少し骨休めすることを正当化したことでしょう。堅物と思われたくないがために、しばらく滞在したかもしれません。

 

この用向きの大切さを理解していない人なら、嫁探しにそんな遠くまで旅するなんてばかげていると言って、アブラハムにその割り当てを取り消させようとするかもしれません。街中の若い女性の中から主の選ばれた人を捜し出すのに必要な信仰を持ち合わせていないかもしれません。しかし、この僕はやり遂げたのです。

 

彼は自分の召しを尊んで大いなるものとし、主人との約束を達成する方法を知っていました。とても重要な真理をよく理解していました。約束は、単なる美辞麗句ではないということです。約束には永遠の行く末がかかっているのです。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)