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「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約88:3

それゆえ、わたしは今あなたがたに、まことにわたしの友であるあなたがたに、別の慰め主、すなわち約束の聖なる御霊を遣わして、それがあなたがたの心の中にとどまるようにする。この他の慰め主は、ヨハネの証の中に記されているように、わたしが弟子たちに約束したものである。

 

「あなたがたはわたしの友である」2024年10月、デビッド・L・バックナー、七十人

1832年12月,教会設立以来かつてないほどに「国家間の争いの様相」が「より明白に」なり,教義と聖約87章,前書き)オハイオ州カートランドの末日聖徒の指導者たちは大会のために集まりました。彼らは,「主が御心を(彼らに)明らかにしてくださるよう,個別に,また声をあげても」祈りました。(“Minute Book 1,” 3, josephsmithpapers.org; spelling modernized.)激しい苦難の時に,これらの忠実な会員の祈りにこたえて,主は彼らを慰められ,(教義と聖約88:3参照)3回にわたり,力強い言葉で聖徒たちに呼びかけられました。「わたしの友よ」と。(教義と聖約88:3,62,117

 

イエス・キリストは長い間,主に忠実に従う者のことを友と呼んでこられました。教義と聖約の中で14回,救い主は神聖で大切な関係を定義するために「友」という言葉を用いておられます。ここで言う「友」という言葉は,世間が定義するようなものではありません。ソーシャルメディアのフォロワーや「いいね」のようなものではないのです。ハッシュタグやInstagramやX上の数字で表現できるものでもありません。

 

確かに,わたしが十代のころ,「ただの友達でもいいですか?」とか,「友達のままでいましょう」といったつらい言葉を聞くのが怖かった覚えがあります。聖文のどこにも,「あなたがたはただの友達です 」とは書かれていません。むしろ主はこう教えられました。「人がその友のために自分の命を捨てること,これよりも大きな愛はない。」ヨハネ15:13「あなたがたは,父がわたしに与えてくださった者である。あなたがたはわたしの友である。」教義と聖約84:63ヨハネ15:14も参照)

 

その思いは明白です。救い主はわたしたち一人一人を数え,見守っておられます。この見守りは,些細なものや取るに足りないものではありません。むしろ,それは引き上げ,高める,永遠のものです。救い主の「あなたがたはわたしの友である」という宣言は,神のすべての子供たちの間に,より高く,より神聖な(ラッセル・M・ネルソン「開会のあいさつ」2018年10月)関係を築き,「わたしたちが一つになるように」3ニーファイ19:23ヨハネ17:22も参照),という明確な呼びかけであると,わたしは考えています。わたしたちは一緒になって,すべての人が一致の機会と帰属意識を求めることで,これを実現するのです。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約87:6

このように、剣と流血により、地に住む者は嘆き悲しむであろう。また、地に住む者は、飢饉と、悪疫と、地震と、天の雷と、猛烈なまぶしい稲妻によっても、全能の神の激しい怒りと憤りと懲らしめの手を感じるであろう。そしてついに、定められた滅びが、すべての国をことごとく終わらせるであろう。

 

「高い所へ向かう旅」2005年10月、ジョセフ・B・ワースリン、十二使徒定員会

ソロモンとヤラベアムは,モルモン書の中で繰り返される悲劇のサイクルの見本となりました。民が義にかなっているときは,主はその民を栄えさせられます。繁栄は高慢を生むことが多く,高慢は罪を生じます。罪は邪悪を生み,霊にかかわることに対してかたくなな心を生みます。結局,このような道の終着点は,心痛と悲しみなのです。

 

こうしたパターンは,個人の生活だけでなく,町や国,そして世界においてでさえも繰り返されています。主とその預言者を無視することから生じる結果は明らかであり,しばしば,大きな悲しみと後悔が伴います。現代でも,主は次のように警告されています。邪悪が最終的に行き着くところは「飢饉ききんと,悪疫と,地震と,天の雷」であり,それは「地に住む者〔が〕全能の神の激しい怒りと憤りと懲らしめの手を感じる」まで続くでしょう。教義と聖約87:6

 

しかし,天災や人災に遭う人の中には,立派で善良な人も大勢いることを理解しておくのは大切です。この神権時代の初期の聖徒たちは迫害を受け,家から追放されました。命を失った人もいます。しかし,恐らくは,大変な忍耐により内なる強さがはぐくまれ,後に多くのことを成し遂げるのに必要な備えができたのです。

 

同じことが今日にも起きています。

 

災害を免れることはできないのですから,災害から学ばなくてはなりません。

 

聖文には不従順の結果が示されていますが,同時に,主の御言葉に耳を傾け,その勧告に従う人が経験することについても書かれています。

 

※ブログ主注 ソロモンは初め主に従い、知恵・富・名声を得て、義を保てば王位が長く続くとの約束を受けた。しかしやがて主に背いたため、王国は取り上げられ、家臣ヤラベアムに12部族中10部族が与えられることが預言された。勤勉なエフライム族出身のヤラベアムは、正しく歩めば堅固な家と王国が与えられると主から約束されたが、王となった後は金の子牛を造り偶像礼拝をさせ、任意の者を祭司に任命するなど極めて邪悪な行いをした。その結果、主は彼から離れ、一族は滅ぼされるとの預言が成就した。(列王記上 3:3–14, 列王記上 9:4–9, 列王記上 11:1–13, 列王記上 11:26–28, 列王記上 11:29–39, 列王記上 12:15–20, 列王記上 12:25–33, 列王記上 13:33–34, 列王記上 14:7–16, 列王記上 15:25–30

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約87:1

まことに、主は、間もなく起こる戦争に関してこのように言う。それはサウスカロライナの反乱で始まり、ついには多くの人の死と苦悩に終わるであろう。

 

「私たちの時代の予言者,ジョセフ・スミス」(英文)1981年10月、エズラ・タフト・ベンソン、十二使徒定員会

真実の預言者かどうかを判断する最後の試金石は、主のみ名によって語ったその言葉が成就するかどうかという点です。主はこの基準について、モーセに次のように説明しています。

 

「もし預言者があって、主の名によって語っても、その言葉が成就せず、またその事が起らない時は、それは主が語られた言葉ではなく、その預言者がほしいままに語ったのである。」申命18:22

 

ジョセフ・スミスの予言で、この試金石を用いることのできるものが数多く記録として残されています。ふたつの例を見てみましょう。

 

1832年、ジョセフ・スミスは、間もなく内戦によって北部諸州と南部諸州が分裂し、また、この戦いを期に世界中に戦争が広がり、ついにはすべての国を巻き込み、多くの人々の死と苦難を見るようになると予言しました。特に、彼はこの悲惨な南北戦争がサウス・カロライナの反乱に始まると言いました教義と聖約87章。この予言が公にされたのは1851年のことです。

 

この国の学校の生徒ならだれでも知っているように、南北戦争はサウス・カロライナ州の連邦脱退という形で始まりました。そして他の諸州がそれに続いたのです。リンカーンがサウス・カロライナのサムター要塞の合衆国軍に物資補給を行なったのを期に、南部連合軍がサムター要塞への砲撃の火ぶたを切ったのです。1861年のこの運命の日に始まって、世界の人々は戦争による死と苦しみに見舞われてきました。

 

予言者ジョセフ・スミスは合衆国を流血の闘争から救いたいと念じていました。彼は奴隷制度の非道さを認め、それを廃止し、奴隷所有者には国有地売却金の中から補償するという案の採択を合衆国議会に強く働きかけました。しかし、その案は結局取り入れられることなく、南北戦争では50万近くの死者を出したのです。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)