「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -298ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

キリストあってこそのクリスマス―イエスの降誕を祝う

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

黙示録7:16-17
彼らは、もはや飢えることがなく、かわくこともない。太陽も炎暑も、彼らを侵すことはない。 御座の正面にいます小羊は彼らの牧者となって、いのちの水の泉に導いて下さるであろう。また神は、彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さるであろう」。


「主の再臨に備える」2019年4月、D・トッド・クリストファーソン、十二使徒定員会
主が来られるとき,抑圧や不当な仕打ちは軽減するだけでなく,やむのです。

「おおかみは子羊とともに宿り,ひょうは子やぎとともに伏し,子牛と若いライオンと肥えた若い家畜はともにいて,幼い子供がこれらを導く。……

彼らはわたしの聖なる山のどこにおいても,害を与えることも損なうこともない。水が海を覆っているように,主を知る知識が地に満ちるからである。」2ニーファイ21:6,9イザヤ11:6,9も参照)

貧困と苦難は減少するだけでなく,消え去るのです。

「彼らは,もはや飢えることがなく,かわくこともない。太陽も炎暑も,彼らを侵すことはない。

御座の正面にいます小羊は彼らの牧者となって,いのちの水の泉に導いて下さるであろう。また神は,彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さるであろう。」黙示7:16-17

死の痛みや悲しみでさえも取り除かれるのです。

「その日には,幼児は年を取るまで死ぬことはない。そして,人の生涯は木の寿命のようである。

また,人は死ぬときに眠ることなく,すなわち地の中に眠ることなく,一瞬のうちに変えられて引き上げられる。そして,彼の安息は栄光あるものとなる。」教義と聖約101:30-31

ですから,苦痛や悲しみを和らげるために今わたしたちができるすべてのことを行おうではありませんか。そして,痛みと悪が完全に終わりを告げる日,すなわち「キリストが自ら地上を統治され……,そして地球は更新されて楽園の栄光を受ける」ときのために必要な備えができるよう,さらに熱心に自らをささげようではありませんか。

 

 

 

キリストあってこそのクリスマス―イエスの降誕を祝う

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

黙示録7:14
わたしは彼に答えた、「わたしの主よ、それはあなたがご存じです」。すると、彼はわたしに言った、「彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである。


「もう一人の放蕩息子」2002年4月、ジェフリー・R・ホランド、十二使徒定員会
美徳についてパウロが簡潔に定めた次のような優先基準を常に心に留めるならば、助けを得られるでしょう。「このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この3つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。」1コリント13:13パウロは、わたしたちが皆、キリストの体であり、肢体は、見栄えがよかろうと、弱っていようと、すべて尊ばれ、必要とされ、大切にされるものであることを思い起こさせてくれています。「からだの中に分裂がなく、それそれの肢体が互たがいにいたわり合〔うように、また〕もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ」という言葉からは、パウロの切なる願いが伝わってきます。1コリント12:25-26参照) この比類ない勧告により、“generosity(物惜しみしないこと)1コリント13:13 という言葉が“genealogy(系図、家系)“と同じ語源、すなわちラテン語の“genus“から派生し、その意味は「同じ生まれまたは種類、同じ家族または性別」(この語源学的関連を指摘したヘンリー・ニューエンから情報を得た。) であることを思い起こします。親切にする相手が、ほんとうは自分の家族であるということを思い起こせば、もっと容易に、惜しみなく与えられるようになるでしょう。

兄弟姉妹の皆さん、神にとって、ほかの人より大切にされていなかったり、慈しまれていなかったりする人はだれもいないことを証します。自分に自信のない人や、不安を抱えている人、自分を否定的にとらえている人、そのほか様々な弱点を持つ人すべてを、神は愛しておられることを証します。神はわたしたちの才能、容姿、職業、財産などを測られたりはしません。神は、競技場で走るわたしたち一人一人に、この競技が参加者同士の争いではなく、罪との戦いであると呼びかけ、声援を送っておられます。もし忠実であるならば、それぞれの人に、あつらえの義の衣が用意されています。イザヤ61:10; 2ニーファイ4:33; 9:14参照) それは「小羊の血で洗い……白くした」衣です。(黙示7:14) わたしたちがそのような賞を得るために互いに励まし合えるよう、イエス・キリストの御名により心から祈ります。アーメン

 

 

キリストあってこそのクリスマス―イエスの降誕を祝う

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

黙示録7:13,15,17
長老たちのひとりが、わたしにむかって言った、「この白い衣を身にまとっている人々は、だれか。また、どこからきたのか」。…それだから彼らは、神の御座の前におり、昼も夜もその聖所で神に仕えているのである。御座にいますかたは、彼らの上に幕屋を張って共に住まわれるであろう。…御座の正面にいます小羊は彼らの牧者となって、いのちの水の泉に導いて下さるであろう。また神は、彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さるであろう」。


「傷を負った人」2018年10月、ニール・L・アンダーセン、十二使徒定員会
兄弟姉妹の皆さん,主イエス・キリストを信じる信仰を増し加えるならば,より大きな力と希望がもたらされることを約束します。義にかなった皆さんのために,わたしたちの心の癒し主は,主の時に,主の方法で,皆さんの傷をすべて癒してくださるでしょう。(ラッセル・M・ネルソン「イエス・キリスト—偉大な癒し主」2005年10月)いかなる不義も,迫害も,試練も,悲しみも,心痛も,苦難も,傷も,それがどれほど深く,大きく,つらいものであっても,みもとに戻るわたしたちを,両腕を広げ傷ついた御手をもって迎えてくださる御方の慰めや平安,永続する希望から,わたしたちを引き離すことはないのです。その日には,使徒ヨハネが証したように,「大きな患難をとおってきた」黙示7:14義人は「白い衣を身にまとって……神の御座の前に」立つでしょう。小羊は「〔わたしたち〕の牧者となって……〔わたしたち〕の目から涙をことごとくぬぐいとって下さる」ことでしょう。黙示7:13,15,17参照)その日は必ずやって来ます。イエス・キリストの御名により証します,アーメン