黙示録7:14
わたしは彼に答えた、「わたしの主よ、それはあなたがご存じです」。すると、彼はわたしに言った、「彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである。
「もう一人の放蕩息子」2002年4月、ジェフリー・R・ホランド、十二使徒定員会
美徳についてパウロが簡潔に定めた次のような優先基準を常に心に留めるならば、助けを得られるでしょう。「このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この3つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。」(1コリント13:13)パウロは、わたしたちが皆、キリストの体であり、肢体は、見栄えがよかろうと、弱っていようと、すべて尊ばれ、必要とされ、大切にされるものであることを思い起こさせてくれています。「からだの中に分裂がなく、それそれの肢体が互たがいにいたわり合〔うように、また〕もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ」という言葉からは、パウロの切なる願いが伝わってきます。(1コリント12:25-26参照) この比類ない勧告により、“generosity(物惜しみしないこと)(1コリント13:13) という言葉が“genealogy(系図、家系)“と同じ語源、すなわちラテン語の“genus“から派生し、その意味は「同じ生まれまたは種類、同じ家族または性別」(この語源学的関連を指摘したヘンリー・ニューエンから情報を得た。) であることを思い起こします。親切にする相手が、ほんとうは自分の家族であるということを思い起こせば、もっと容易に、惜しみなく与えられるようになるでしょう。
兄弟姉妹の皆さん、神にとって、ほかの人より大切にされていなかったり、慈しまれていなかったりする人はだれもいないことを証します。自分に自信のない人や、不安を抱えている人、自分を否定的にとらえている人、そのほか様々な弱点を持つ人すべてを、神は愛しておられることを証します。神はわたしたちの才能、容姿、職業、財産などを測られたりはしません。神は、競技場で走るわたしたち一人一人に、この競技が参加者同士の争いではなく、罪との戦いであると呼びかけ、声援を送っておられます。もし忠実であるならば、それぞれの人に、あつらえの義の衣が用意されています。(イザヤ61:10; 2ニーファイ4:33; 9:14参照) それは「小羊の血で洗い……白くした」衣です。(黙示7:14) わたしたちがそのような賞を得るために互いに励まし合えるよう、イエス・キリストの御名により心から祈ります。アーメン
