「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -266ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

2ニーファイ6:5

さて、わたしがこれから読む言葉は、イザヤがイスラエルの家に属するすべての者について述べたものである。したがって、あなたがたはイスラエルの家の者であるので、それらをあなたがたにたとえて差し支えない。また、あなたがたはイスラエルの家の者であるので、イザヤが述べたことの中には、あなたがたにたとえて差し支えないものがたくさんある。

 

 

「モルモン書―イエス・キリストについてのもう一つの証―分かりやすくて貴いこと」2005年4月、ボイド・K・パッカー、十二使徒定員会

ニーファイは,兄たちから暴力を受けたとき,天使から語りかけられたときのことを思い出させて言いました。「あなたがたは心が鈍っていたので,その言葉を感じることができませんでした。」1ニーファイ17:45聖霊は人の心に語りかけられます。それが理解できたとき,新約聖書であれ,モルモン書やほかの聖文であれ,なぜキリストの言葉が快い気持ちを与えてくれるのかが分かりました。やがて,わたしの疑問の答えはすべて聖文の中にあることが分かりました。

 

こうあります。「さあ,その言葉は次のとおりである。あなたがたはこれらを,自分自身とすべての人に当てはめてみるがよい。」2ニーファイ11:8,強調付加。1ニーファイ19:23-242ニーファイ6:511:2も参照)つまり,聖文はわたし自身に,そして,あらゆる人に当てはめることができるのです。

 

その時々に応じて特別な意味を帯びてくる聖句に出会うと,それを記した人がわたしの人生や感情について,円熟した深い理解力を持っていたことを感じます。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

2ニーファイ6:3

にもかかわらず、わたしはあなたがたの幸いを願って、あなたがたに再び話をする。まことに、わたしはあなたがたのことを非常に心配している。また、あなたがたも知っているように、わたしはこれまでも心配してきた。そのためにわたしは、力の限りあなたがたに説き勧め、父の言葉をあなたがたに教え、また、世界の創造以来書き記されてきたすべての事柄について、あなたがたに語ってきた。

 

 

「私たちの生活を導く福祉の原則一人の幸福のための永遠の計画」(英文)1986年4月、ロバート・D・ヘイルズ、管理監督

モルモン経の索引を開けて、「福祉」のところに挙げられている参照聖句を見てください。主の福祉計画では、主の子らの永遠の幸福が第一に置かれているのがわかります。また、みたまもそう証してくださるでしょう。それらの聖句には、次のようなことが述べられています。

 

*二一ファイは自分の兄弟たちの「永遠のさいわい」(2二一ファイ1:25参照)を求め、生涯「人民のさいわい」(ヤコブ1:10参照)のために働いた。

*ヤコブは人々に「さいわい」(2二一ファイ6:3参照)を与えたいと思い、二一ファイ人の「永遠の幸福」(ヤコブ2:3参照)のために心を配った。

*二一ファイ人たちは、レーマン人の永遠の幸福を考えて胸を痛めた。(モーサヤ25:11参照)

*教会貝たちは「身も霊も救われることについて互いに語るためにたびたび集った。」(モロナイ6:5参照)

 

「永遠の幸福」について繰り返し語られていることに、よく注意してください。「永遠の幸福」とは、単に衣食住など物的な幸福以上のものを言います。

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

2ニーファイ 5:10

わたしたちはモーセの律法に従って、何事にも主の裁決と掟と戒めを守るように努めた。

 

 

「真の幸福―意識的な決断」2005年10月、ベンハミン・デ・オヨス、七十人定員会

預言者ジョセフは言いました。「幸福こそ,わたしたちの存在する目的であり,わたしたちが意図するものである。わたしたちがそこに通じる道に従っていけば,最後に到達できるものである。その道とは,徳,公正,忠実さ,聖さ,そして神のすべての戒めを守ることである。」(History of the Church,第5 巻,134-135)

 

約束の地への旅は,長く,苦しく,30年もの間,神の戒めを忠実に守る努力が必要でした。2ニーファイ 5:10 モルモン書の,疲れを知らぬ預言者ニーファイは,その旅を終えた後で民の歴史を次のように要約しています。「そして,わたしたちは幸福に暮らした。」2ニーファイ 5:27

 

モルモン書の預言者であるベニヤミン王は,幸福を次のように定義しています。「……神の戒めを守る者の祝福された幸福な状態……。見よ,これらの者は物質的にも霊的にも,すべてのことについて祝福を受ける。」モーサヤ 2:41