「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -243ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

エノス1:2-4

わたしは、罪の赦しを受けるに先立って神の前で味わった苦闘について、あなたがたに述べよう。

見よ、わたしは森で獣を狩ろうとして出かけた。かつてわたしは、父が永遠の命と聖徒たちの喜びについて語るのを度々聞いていたのだが、その父の言葉が、そのときになってわたしの心に深くしみ込んできた。

すると、わたしの霊は飢えを感じた。それで、わたしは造り主の前にひざまずき、自分自身のために熱烈な祈りと懇願をもって造り主に叫び求めた。わたしは一日中造り主に叫び求めた。また夜になっても、声が天に届くように、まだ大きな声を上げていた。

 

 

「主イエス・キリストへの信仰を見いだす」2004年10月、ロバート・D・ヘイルズ、十二使徒定員会

使徒パウロはローマ人への手紙にこう書いています。「したがって,信仰は聞くことによるのであり,聞くことはキリストの言葉から来るのである。」ローマ10:17皆さんがこの大会で行われていることを見たり聞いたり読んだりすること自体が,神の御言葉を聞くということです。主イエス・キリストへの信仰を見いだすための第一歩は,主の僕である預言者の口から語られる主の御言葉を心に留めることです。しかし,心に留めるだけでは不十分です。それだけでは何も変わりません。わたしたちにできることを行わなければならないのです。救い主御自身が言われたように,「耳のある者は聞」マタイ11:15かなければなりません。言い換えれば,聞くためには能動的な努力が必要だということです。「行いのない信仰〔は〕死んだものなのである。」ヤコブの手紙2:26つまり,教えを真剣に受け止めてよく考え,心の中で思い計らなければなりません。預言者エノスが経験したように,人から聞いた福音の証を「〔わたしたちの〕心に深くしみ込〔ませる〕」エノス1:3のです。エノスが信仰を築いていった経験には,深い意味があります。その過程から,幾つかの要素を見ていきましょう。

 

まず,エノスは福音の真理を父親から聞きました。皆さんが家庭や今大会で聞いているのと同じです。次に,「永遠の命と聖徒たちの喜び」エノス1:3に関する父親の教えを心に深くしみ込ませました。第3に,その教えが真実かどうか,自分が造り主の御前に義とされるかどうかを自分自身で知りたいと思い,その願いを胸に満たしました。エノスは,「わたしの霊は飢えを感じた」エノス1:4と言っています。エノスはこのように霊的な飢えを強く感じたため,救い主の次の約束を受けるにふさわしい者となりました。「義に飢え渇いている人々は皆,幸いである。彼らは聖霊に満たされるからである。」3ニーファイ12:6第4に,エノスは神の戒めに従いました。そのことによって,聖霊の導きを受けやすくなりました。第5に,エノスは記録によると,「造り主の前にひざまずき,自分自身のために熱烈な祈りと懇願をもって造り主に叫び求め……,一日中造り主に叫び求め……,また夜になっても,声が天に届くように,まだ大きな声を上げて」いました。エノス1:4簡単なことではありませんでした。すぐに信仰が得られたわけではありません。その証拠に,エノスはこの祈りの経験を「神の前で味わった苦闘」エノス1:2と表現しています。しかし,ついに信仰は得られました。聖霊の力によって,自分自身の証を得たのです。

 

祈る際にこのような苦闘をしないかぎり,エノスのような信仰を見いだすことはできません。苦闘する価値があると証します。その順番を覚えてください。(1)主の僕が語った神の御言葉を読んだり聞いたりする。(2)その御言葉を心に深くしみ込ませる。(3)心から義に飢え渇く。(4)福音の律法と儀式,聖約に従順に従う。(5)イエス・キリストが救い主であられることが分かるよう,信仰をもって,声を上げて熱烈に祈り,懇願する。これらのことを真剣にたゆまず行うとき,キリストが弟子たちに語られた次の御言葉が成就することを約束します。「求めよ,そうすれば,与えられるであろう。捜せ,そうすれば,見いだすであろう。門をたたけ,そうすれば,あけてもらえるであろう。マタイ7:7

 

 

 

The prayer of Enos by Jorge Cocco Santangelo

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

エノス1:1

さて見よ、わたしエノスは、父が正しい人であったことを知っている。父はわたしを父の言葉で、また主の薫陶と訓戒によって教えてくれたからである。神の御名がほめたたえられるように。

 

 

「わたしは主に関することに喜びを感じる」2008年4月、スーザン・W・タナー、前中央若い女性会長

わたしは養い育てる者としての役割に大いに喜びを感じています。それは,女性としての自分を最も深く表現する機会です。女性,若い女性,そして少女でさえ,養い育てることに本能的な興味と能力を持っている様子を見ては,いつも感心しています。それは単に母親の主要な責任というだけでなく,女性の「前世,現世および永遠の状態と目的」の一部を形成しているのです(「家族──世界への宣言」)。養い育てるとは,教え,発達と成長を促し,食物や栄養を与えることです。このような祝福された役割を与えられて,喜びの声を上げない人がいるでしょうか。

 

聖文では,「薫陶」という語は2回しか使われていません。そしてどちらの場合も,「主の薫陶と訓戒」という,子供を育てる両親の責任について述べられていますエペソ6:4エノス1:1。訳注──「養い育てる」に相当する英語“nurture”は,「薫陶」とも訳される)

 

ヒンクレー大管長は男性も女性も養い育てる者となるよう勧告しました。「すべての父親が子供を最も貴い財産とし,……またすべての母親が子供たちを……永遠なる天の御父から送られた贈り物のように扱い,愛をもって,主の訓戒と知恵のうちに育てるならば,わたしたちの住む……社会は……どれほど麗しいものとなることでしょう。」(ゴードン・B・ヒンクレー「わたしたちの幼い子供たち」『リアホナ』2007年12月号,7)

 

 

 

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

エノス1:1

さて見よ、わたしエノスは、父が正しい人であったことを知っている。父はわたしを父の言葉で、また主の薫陶と訓戒によって教えてくれたからである。神の御名がほめたたえられるように。

 

 

「閉会に当たり」2003年4月、ゴードン・B・ヒンクレー大管長

この末日聖徒の偉大な集いを閉じるに当たり,皆さん一人一人に切にお願いしたいことがあります。それは,もっと主に近く生活し,もっと頻繁に,いっそうの信仰を込めて,主と交わろうと努めることです。

 

父親と母親の皆さん,子供のために祈ってください。子供たちが世の悪から守られるよう祈ってください。子供たちが信仰と知識を培えるように祈りましょう。子供たち自身と人々の益となる善良な生活を送れるよう祈ってください。夫は妻のために祈りましょう。妻への感謝を主に表し,妻のために主に嘆願するのです。妻は夫のために祈ってください。夫たちの多くは,問題が山積し,複雑に絡み合った非常に険しい道を歩んでいます。夫が義にかなった行いをするときに導きと祝福,守りと霊感を受けられるよう,全能者に請い願ってください。

 

……

 

人生の困難な道を歩むとき,知恵と理解力を求めて祈ってください。もし皆さんが愚かで軽率な行いをしようと決意しても,主はそれをお止めにはならないでしょう。しかし,主の知恵を求め,心に与えられる導きに従うなら,皆さんは必ずや祝福を受けるでしょう。

 

よく祈る民になりましょう。「主の薫陶と訓戒によって」,子供たちを育てましょうエノス1:1。皆さんが受けるに値する天の祝福を受けられますように。申命記にはこう記されています。「イスラエルよ,今,あなたの神,主があなたに求められる事はなんであるか。ただこれだけである。すなわちあなたの神,主を恐れ,そのすべての道に歩んで,彼を愛し,心をつくし,精神をつくしてあなたの神,主に仕え〔ることである。〕」申命10:12

 

愛する兄弟姉妹の皆さん,固く信じてください。「イスラエルを見守る者はまどろみもせず,眠ることも〔なさいません。〕」(フェリックス・メンデルスゾーン「エリヤ」)