「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -196ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

アルマ24:10

さらに、わたしの神、まことに大いなる神は、我らがこれらのことを悔い改められるようにしてくださり、またこれまでに犯した多くの罪と殺人の罪を赦し、神の御子の功徳によって我らの心から罪を取り除いてくださった。わたしはこのことも神に感謝している。

 

「わたしがあなたがたを癒いやすことができるように,……悔い改めなさい」(英文)2009年10月、ニール・L・アンダーセン、十二使徒定員会

聖文には、私たちが死すべき世で捨てた罪を忘れるだろうとは書いてありません。そうではなく、主がお忘れになると書かれているのです教義と聖約58:42-43アルマ36:17-19も参照)

 

罪を捨てるとは、二度と行わないことです。捨てるには時間がかかります。罪を捨てることができるよう、時に主は、犯した間違いのわずかな残りを私たちの記憶の中に置いておかれることがあるのです(ディーター・F・ウークトドルフ「帰還可能点」2007年4月)。それは、この世での学びの中で非常に大切な部分なのです。

 

正直に罪を告白し、傷つけた人にできるかぎり償い、戒めを守ることによって罪を捨てるとき、私たちは罪の赦しを受けるための道を歩んでいます。時とともに、悲しみによる苦悩は和らぎ、私たちの「心から罪〔が〕取り除〔かれ〕」、アルマ24:10「良心の安らぎ」※ が与えられるでしょう。

 

真に悔い改めたにもかかわらず安らぎを得られないように感じても、戒めを守り続けてください。主がよいと思われるときに安らぎが与えられることを私は約束します。癒しには時間もかかるのです。

 

 

モーサヤ4:3。聖文は,この世と次の世でのわたしたちの幸せを,良心の安らぎと結びつけている。喜びの反対は良心の呵責であるというアルマの教えに注意する(アルマ29:5参照)。ほかの預言者たちは,この世の後で訪れる悪人の苦痛を,その人たちの感じる罪悪感と関連付けている(2ニーファイ9:14,46モーサヤ2:383:24-25モルモン9:5参照)。ジョセフ・スミスはこう述べている。「人は自分で自分を苦しめ,罪に定める。だからこそ,彼らは火と硫黄の燃える池に入ると言われるのである。人の思いにある失意という苦しみは,火と硫黄の燃える池と同じくらい激しいものである。」(History of the Church ,第6巻,314)

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

アルマ23:5-6

そして、何千もの人々が主を知るようになった。まことに、何千もの人々がニーファイ人の言い伝えを信じるようになったのである。そしてこれらの人々には、その当時まで伝えられてきた数々の記録と預言が教えられた。

そして、主が生きておられるように確かに、アンモンと彼の同僚たちが啓示と預言の霊によって行った宣教と、彼らを通じて数々の奇跡を行われた神の力によって信仰を持つようになったすべての人、すなわち真理を知るようになったすべての人は、あなたがたに申し上げるが、主が生きておられるように確かに、彼らの説教を信じて主に帰依したレーマン人は皆、二度と道を踏み外さなかった。

 

「そこで彼らは恐れを静め」2015年4月、デビッド・A・ベドナー、十二使徒定員会

禁断の実を食べた後,神の声を聞いたアダムとエバはエデンの園で身を隠しました。神はアダムに呼びかけてお尋ねになりました。「『あなたはどこにいるのか。』〔アダムは答えました。〕『あなたの〔声〕を聞き,……恐れ……たのです。』」創世3:9-10注目するべきことに,堕落の影響として最初に起こったことの一つは,アダムとエバが恐れを経験したことです。この強力な感情は,わたしたちの現世での経験の重要な要素なのです。

 

モルモン書には,主を知る知識がもたらす力によって2ペテロ1:2-8アルマ23:5-6参照),ひどい逆境に直面したときでさえも恐れが消え去り,平安が与えられることを明らかにしている例があります。

 

ヘラムの地で,アルマの民はレーマン人の軍隊がやって来たためにおびえました。

 

「しかし,アルマは出て行って民の中に立ち,怖がらないように,また主なる自分たちの神を覚えていれば主は助けてくださると彼らに説いた。‎

 

そこで彼らは恐れを静め……た。」モーサヤ23:27-28

 

アルマが民の恐れを静めたのではないことに注目してください。そうではなく,アルマは信者たちに,主を覚え,主だけが与えることのおできになる助けを思い起こすように勧めたのです2ニーファイ2:8参照)。そして救い主の見守りを知ることで,民は自分自身の恐れを静めることができました。

 

主を知る正しい知識と主を信じる信仰は,恐れを静める力を与えてくれます。イエス・キリストこそ永続する平安の唯一の源であられるからです。主は次のように言っておられます。「わたしに学び,わたしの言葉を聴きなさい。わたしの御霊の柔和な道を歩みなさい。そうすれば,あなたはわたしによって平安を得るであろう。」教義と聖約19:23)‎

 

 

 

 

Fear not it is I. 2018 By Jorge Cocco Santangelo

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

アルマ22:4

そこでアロンは王に、「まことに、主の御霊が彼をほかの場所へ呼ばれたのです。彼はラモーナイの民を教えるために、イシマエルの地へ行きました」と言った。

 

「霊的な能力」2019年10月、ミッシェル・D・クレーグ、中央若い女性会長会

最近,聖文にある,主から用向きを受けた別の偉大な宣教師について読みました。アロンはレーマン人の王を教えていましたが,王はアロンの兄弟のアンモンがともに教えに来なかった理由を知りたいと思いました。「そこでアロンは王に,『まことに,主の御霊が彼をほかの場所へ呼ばれたのです』……と言った。」アルマ22:4

 

すると御霊が,わたしの心にこう語りかけたのです。「人はそれぞれ果たすべき異なった使命があり,時には御霊がわたしたちを『ほかの場所』へ呼ぶこともある。」聖約を交わし,聖約を守るイエス・キリストの弟子として,神の王国を築く方法は数多くあります。皆さんは神の忠実な弟子として,主の戒めに沿った,自分に合った個人的な霊感と啓示を受けることができます。皆さんには,この世で果たすべき独自の使命と役割があり,それを成し遂げるために独自の導きが与えられます。

 

ニーファイ,ヤレドの兄弟,モーセはそれぞれ海を渡る必要がありましたが,それぞれ違う方法で渡りました。ニーファイは,「材木を入念な造りに」1ニーファイ18:1こしらえ,ヤレドの兄弟は,「皿のように透き間が〔ない〕」エテル6:5-8参照)船を造り,モーセは,「海の中のかわいた地を行」出エジプト14:29きました。

 

それぞれが自分に合った個人的な指示を受け,それを信頼して行動に移しました。主は従う人のことを心に留めておられ,ニーファイの言葉で言うなら,「主が命じられることには,それを〔わたしたちが〕成し遂げられるように主によって道が備えられて」1ニーファイ3:7いるのです。ニーファイは,「the way」ではなく「a way」と言っています。〔訳注—「the way」の場合,特定の道のことを指し,「a way」の場合,道は複数ある可能性を示している。〕

 

主が備えられた「道(a way)」が自分の期待する道と違うからといって,主からの個人的な用向きを逃したり,拒んだりしてはいないでしょうか。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)