「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -143ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

モロナイ1:1

さて、わたしモロナイはヤレドの民の話を短くまとめ終えた後、もうこれ以上は書き記さないと思ったが、わたしはまだ命を失っていない。わたしはレーマン人に殺されないために、わたしのことを彼らに知られないようにしている。

 

「希望の勝利」2024年10月、ニール・L・アンダーセン、十二使徒定員会

預言者モロナイは,艱難の中でキリストに希望を持つことを身をもって知りました。自分の苦境をこう述べています。

 

「わたしは孤独である。……行く所もない。」モルモン8:5

 

「わたしは……殺されないために,わたしのことを彼らに知られないようにしている。」モロナイ1:1

 

驚くべきことに,この暗く孤独な時に,モロナイは希望についての父親の言葉を記録しています。

 

「もし人に信仰があれば,必ず希望もあるに違いない。信仰のない希望はあり得ないからである。」モロナイ7:42

 

「あなたがたは何を望めばよいのであろうか。……あなたがたは,キリストの贖罪とキリストの復活の力によって永遠の命によみがえることを望まなければならない。」モロナイ7:41

 

兄弟姉妹の皆さん,希望は生きた賜物であり,イエス・キリストを信じる信仰が増すときに大きくなります。「信仰とは,望んでいる事がら〔の実体です〕。」ヘブル11:1。ジョセフ・スミス訳聖書にはこうあります。「さて,信仰とは,望んでいる事がらを確信し,まだ見ていない事実を確認することである。」〔訳注—JSへブル日本語訳では口語訳と同じ〕わたしたちは,主と交わした聖約を守る人々に与えられる祝福の中に,信仰の確信を見ます。)祈り,神殿の聖約,戒めを守ること,聖文と現代の預言者の言葉を絶えず味わうこと,聖餐を受けること,同胞の聖徒たちとともに毎週礼拝し仕え合うことによって,わたしたちはこの「実体」,つまり,信仰を裏付けるブロックを積み上げます。

 

 

 

Moroni hiding in a dave by Jorge Cocco Santangelo

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

エテル12:27

もし人がわたしのもとに来るならば、わたしは彼らに各々の弱さを示そう。わたしは人を謙遜にするために、人に弱さを与える。わたしの前にへりくだるすべての者に対して、わたしの恵みは十分である。もし彼らがわたしの前にへりくだり、わたしを信じるならば、そのとき、わたしは彼らの弱さを強さに変えよう。

 

「わたしは平安をあなたがたに残して行く」2017年4月、ヘンリー・B・アイリング、大管長会

レーマン人への伝道に着手するに当たって,モーサヤの息子たちはその平安の賜物を必要としていました。自分たちが着手した業の重大性を感じ,少なからず不安だった彼らは励ましを求めて祈りました。そして「主は彼らに御霊を下し,『慰めを得なさい』と言われた。そこで彼らは慰めを得た。」アルマ17:10アルマ26:27も参照)

 

不確かな状況やこれから対峙することになりそうな試練を前にして,わたしたちは平安を切に望むことがあります。モーサヤの息子たちは,主がモロナイに教えられた教訓を学びました。それはわたしたちすべてにとっても導きとなります。「もし人がわたしのもとに来るならば,わたしは彼らに各々の弱さを示そう。わたしは人を謙遜にするために,人に弱さを与える。わたしの前にへりくだるすべての者に対して,わたしの恵みは十分である。もし彼らがわたしの前にへりくだり,わたしを信じるならば,そのとき,わたしは彼らの弱さを強さに変えよう。」エテル12:27

 

モロナイは「これらの御言葉を聞くと慰めを得〔た〕」と言っていますエテル12:29。この御言葉からだれもが慰めを得られます。自分の弱点を見ない人は成長しません。自分の弱点に気づくことは祝福です。なぜならそのように気づくことによって,いつも謙遜で,救い主に頼り続けることができるからです。御霊はわたしたちを慰めるだけでなく,贖罪が人の性質そのものに変化を及ぼすうえで仲立ちにもなってくださいます。そのときに弱さは強さに変わります。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2024年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

エテル12:6

さて、わたしモロナイはこれらのことについて少々述べたい。信仰とは待ち望んでいながらまだ見ていないものであることを、世の人々に示したい。あなたがたは、自分が見ていないからということで疑ってはならない。信仰が試されてからでなければ、証は得られないからである。

 

「モルモン書――イエス・キリストについてのもう一つの証ーー分かりやすくて貴いこと」2005年4月、ボイド・K・パッカー、十二使徒定員会

もう一つの例です。わたしたちはあるとき大きな決断を迫られていました。祈っても不安だったので,ハロルド・B・リー長老のもとに行き,尋ねてみました。すると,決断したとおりに実行しなさいと言われました。それでもためらっているわたしに,リー長老はこう言いました。「始めから結果を見ようとするからいけないのです。」そしてモルモン書の一節を引用してくれました。「自分が見ていないからということで疑ってはならない。信仰が試されてからでなければ,証は得られないからである。」エテル12:6

 

リー長老はこうも言いました。「暗闇に2,3歩足を踏み入れてみなさい。そうすれば,光が現れてその先を照らしてくれるでしょう。」モルモン書の一節に端を発したこの経験は,わたしの人生を変えました。