「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -131ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約1:1

聴きなさい、おお、わたしの教会の人々よ。高い所に住み、その目がすべての人のうえにある者の声は言う。まことにわたしは言う。遠くの民よ、聴きなさい。海の島々にいる者よ、ともに耳を傾けなさい。

 

「彼に聞きなさい」2020年4月、ラッセル・M・ネルソン大管長

わたしたちが不安と恐怖に取り囲まれるとき,最も助けとなるのが御子に聞くことだと,御父は御存じです。

 

御子に聞こう—心から聞こう—とするときに,どのような状況でも行うべきことを知るように導かれるからです。

 

教義と聖約の冒頭の言葉は「聴きなさい」です。教義と聖約1:1参照)従う意図をもって耳を傾けることを意味します。 聴くことは,「御子に聞く」こと,すなわち,救い主の言われることを聞き,その後,救い主の勧告を心に留めることを意味します。「彼に聞きなさい」という言葉で,神は,現世における成功と幸せと喜びの規範を与えておられます。わたしたちは主の言葉を聞き,それらに耳を傾け,主から告げられた事柄を心に留めなければなりません。

 

イエス・キリストの弟子となるよう努めるとき,主の声を聞くことができるように,これまで以上に意識的に努力する必要があります。日々の生活を主の言葉と教えと真理で満たすために,意識して絶えず努力することが必要です。

 

※欽定訳旧約聖書の中の”hearken”のヘブライ語は”shama”(字訳)で,この言葉は「従う意図をもって耳を傾ける」ことを意味する強変化動詞である。“hearken”は聖典に繰り返し出てくる言葉で,教義と聖約では40の章に見られる(訳注:”hearken”は日本語訳教義と聖約では「聴く」「耳を傾ける」と訳出されている)。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ジョセフ・スミスー歴史1:17

それが現れるやいなや、わたしはわが身を縛った敵から救い出されたのに気づいた。そして、その光がわたしの上にとどまったとき、わたしは筆紙に尽くし難い輝きと栄光を持つ二人の御方がわたしの上の空中に立っておられるのを見た。すると、そのうちの御一方がわたしに語りかけ、わたしの名を呼び、別の御方を指して、「これはわたしの愛する子である。彼に聞きなさい」と言われた。

 

「言葉はとても大切です」2024年4月、ロナルド・A・ラズバンド、十二使徒定員会

神の言葉を信じ,心に留めることによって,わたしたちは神に近づきます。ラッセル・M・ネルソン大管長は「主の言葉を研究するなら,主のようになる能力が増します」(ラッセル・M・ネルソン「救い主についての聖句を6週間で2,200以上研究しました:学んだことを少し紹介します」,インスピレーション(ブログ),2020年8月25日)と約束しています。

 

わたしたちは皆,賛美歌にあるように,「主のごとく尊く」(「さらに聖くなお努めん」『賛美歌』74番)なりたいとは思わないでしょうか。

 

わたしは若きジョセフ・スミスがひざまずいて,天の御父の次の言葉に耳を傾けている姿を思い描きます。「〔ジョセフよ,〕これはわたしの愛する子である。彼に聞きなさい。」ジョセフ・スミス—歴史1:17

 

聖文の言葉から「主の声を聞く」とき,書面に印刷されたただの文字と捉えますか。それとも,主が自分に語られている言葉として受け止めますか。その結果,何が変わるでしょうか。

 

「主の声を聞く」のは,個人の啓示や聖霊からの促し,祈りへのこたえの中です。また,イエス・キリストのみが,主の贖罪の力によって,重荷を軽くし,赦しと平安を与え,「主の愛の御腕に」2ニーファイ1:15わたしたちを抱かれるときにも,わたしたちは「主の声を聞く」のです。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

ジョセフ・スミスー歴史1:14、17

そこで、神に願い求めるというこの決心に従って、わたしはこれを実行するために人目を避けて森に入って行った。それは千八百二十年の早春、美しい晴れた日の朝のことであった。わたしがこのようなことを行おうとしたのは、生涯で初めてであった。わたしは不安のまっただ中にあっても、声に出して祈ろうとしたことはまだ一度もなかったからである。

... ...

それが現れるやいなや、わたしはわが身を縛った敵から救い出されたのに気づいた。そして、その光がわたしの上にとどまったとき、わたしは筆紙に尽くし難い輝きと栄光を持つ二人の御方がわたしの上の空中に立っておられるのを見た。すると、そのうちの御一方がわたしに語りかけ、わたしの名を呼び、別の御方を指して、「これはわたしの愛する子である。彼に聞きなさい」と言われた。

 

「聖なる神権の義務」(英文)2006年4月、トーマス・S・モンソン、大管長会

あるとき、デビッド・O・マッケイ大管長は、教会員ではない男性から、末日聖徒イエス・キリスト教会が他の宗教と一線を画している教えは具体的に何かと尋ねられました。この経験について、後にマッケイ大管長は、こう答えるよう御霊に促されたと語っています。「わたしたちの教会と他の教会で際立って違うのは、直接の啓示により神の権能が与えられているという教えです。」(デビッド・O・マッケイ,Stepping Stones to an Abundant Life〔1971年〕,375参照)

 

「1820年の早春、美しい晴れた日の朝」に起きたあの出来事ほど、直接の啓示によって神の権能が現されたことの意義深い例は他にないでしょう。その日、少年ジョセフ・スミスは森に入って行き、祈りました。そのときの様子を描いたジョセフの言葉には、圧倒的な力があります。「わたしは筆紙に尽くし難い輝きと栄光を持つ二人の御方がわたしの上の空中に立っておられるのを見た。すると、そのうちの御一方がわたしに語りかけ、わたしの名を呼び、別の御方を指して、『これはわたしの愛する子である。彼に聞きなさい』と言われた。」ジョセフ・スミスー歴史1:14,17

 

 

 

Joseph’s First Vision by Jorge Cocco Santangelo

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)