「わたしに従ってきなさい」の聖句学習 -106ページ目

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約23:1

見よ、わたしはあなた、オリバーに少しの言葉を語る。見よ、あなたは祝福されており、何ら罪の宣告を受けていない。しかし、あなたは誘惑に陥ることのないように、高慢に気をつけなさい。

 

「わずかな年数で」2024年10月、デビッド・A・ベドナー、十二使徒定員会

皆さんやわたしが,自分には高慢による傲慢さを避ける十分な強さと忠誠心があると思い込んでいるなら,すでにこの致命的な霊的な病におかされているかもしれません。簡単に言えば,高慢に悩まされ苦しむことはないと信じているなら,無防備で,霊的な危険にさらされているということです。わずか数日,数週間,数か月,数年で,1杯の「あつもの」にも劣るもののために霊的な生得権を失うかもしれません。創世25:29-34 参照)

 

しかし,高慢に悩まされ苦しむ可能性があると信じているなら,わたしたちは,「小さな,簡単なこと」を常に行うことにより1ニーファイ16:29アルマ37:6-7教義と聖約64:32-33参照)守られて,「子供のように従順で,柔和で,謙遜で,忍耐強く,愛にあふれた者となり,……主がその人に負わせるのがふさわしいとされるすべてのことに喜んで」従えるようになることでしょう。モーサヤ3:19「やむを得ずへりくだるのではなく,自らへりくだる人々は幸い〔なのです〕。」アルマ32:16

 

ベンソン大管長の助言に従い,主がモルモンにヒラマン書の要約の中にその記録や勧告,警告を含めるよう霊感を与えたのはなぜかと自問するなら,これらの教えが今日のわたしたち個人の生活や家族の具体的な状況に当てはまるかどうかが分かると,わたしは約束します。この霊感された記録を研究し,深く考えるとき,祝福として,見る目,聞く耳,理解する知性,モーサヤ2:9参照)また「誘惑に陥ることのないように,高慢に気をつけなさい」教義と聖約23:1という学ぶべき教訓を理解する心を授かるでしょう。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約20:18-19

また、神は人を創造された。すなわち、御自分の形に、御自分に似せて、男と女に創造された。

そして、神は彼らに、唯一の生けるまことの神である御自分を愛し、御自分に仕えるようにとの戒め、また御自分が彼らの礼拝すべき唯一の存在であるとの戒めを与えられた。

 

「救い主はわたしたちのために何をしてくださったのでしょうか」2021年4月、ダリン・H・オークス、大管長会

あの姉妹はこう尋ねました。「イエス・キリストはわたしのために何をしてくださったのですか。」天の御父の計画の下で,主は「天と地を創造し」教義と聖約14:9,わたしたちが神聖な行く末を求めるために必要な,この世の経験を得られるようにしてくださいました。御父の計画の一部として,イエス・キリストの復活が死を克服して,すべての人の不死不滅を確実にしました。イエス・キリストの贖いの犠牲は,罪を悔い改めて聖められ,天の家へ戻る機会を与えてくれます。主の戒めと聖約はその方法を示し,主の神権はわたしたちの行く末を実現するために不可欠な儀式を執行する権能を与えます。そして救い主は,弱さのあるわたしたちを強める方法を知るために,この世のあらゆる痛みと弱さを進んで経験されました。

 

イエス・キリストがこれを行われたのは,神のすべての子供を愛しておられるからです。愛はすべての動機であり,時の初めからそうでした。現代の啓示の中で,神はこう告げられました。「神は人を……御自分の形に……男と女に創造された。そして,神は彼らに……御自分を愛し,御自分に仕えるようにとの……戒めを与えられた。」教義と聖約20:18-19

 

わたしはこれらのことを証し,すべての人が救い主のしてくださったことを覚え,主を愛して主に仕えることができるように,イエス・キリストの御名によって祈ります,アーメン

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

教義と聖約20:12

これによって、神は、御自分が昨日も、今日も、またとこしえに変わることのない神であることを示しておられるのである。アーメン。

 

「偉大な神の性質」2003年10月、ジェフリー・R・ホランド、十二使徒定員会

今朝ここで,永遠の御父である神について,心からの宣言をしたいと思います。現代社会に,神についての悲しい誤解があるからです。とりわけひどい誤解は,少しは信じていても御父との間に距離を感じたり,自ら壁を作ったりする人々,あるいは心から信じていてイエスの腕の中でなら安らげると思いながらも,厳しい神に会うのは恐ろしいと考える人々の心の中にあります。(ウィリアム・バークレー,The Mind of Jesus, 1961年),特に”Looking at the Cross, ”の章で論じられている現代の傾向に関する箇所を参照) 旧約聖書でも新約聖書でも,神の御子は「昨日も,今日も,またとこしえに」1 ニーファイ10:18; 2ニーファイ27:23; モロナイ10:19; 教義と聖約20:12変わることのない御父の指示によって,常に御父の御心を行っておられます。それにもかかわらず,聖書の誤った解釈(明らかな誤訳の場合もあります)のせいで,人々は神を誤解し,父なる神と御子イエス・キリストの行動や振る舞いは懸け離れていると考えるのです。

 

このような誤解について考えると,神についての見方が書物全体を通じて一貫して変わらないという点で,モルモン書の貢献は絶大です。マラキ書とマタイによる福音書の間の時聞的空白に相当するものはモルモン書にはありません。神学的な考え方を一々調節する必要がないのです。旧約時代に始まり,新約時代に終わるモルモン書には,どのページにも熱心に,愛を込め,誠実に御業を果たしておられる神の御姿が描かれ,誤った解釈をする余地はありません。まさしく,世の人々に聖書の背景を与え,神に対する正しい理解を提供するために,神の栄光,慈しみ,特性の豊かさや深さについて一貫した見方を示すモルモン書が貢献しているのです。特に,御父の御姿を示された独り子イエス・キリストを描写したモルモン書の記述が助けになります。

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2025年版(BOX)