見よ、わたしはこれらの言葉によって、あなた、ジョセフ・ナイトに明らかにする。あなたは自分の十字架を負って、世の人々の前で声に出して祈り、またひそかにも祈り、また家族の中や、友人たちの中や、あらゆる場所において祈らなければならない。
「胸に燃ゆる」2024年4月、ジェフリー・R・ホランド、十二使徒定員会
兄弟姉妹の皆さん,わたしは証します。神はわたしたちがささげるすべての祈りに耳を傾け,わたしたちを完成させるために描いてくださった道に従って,一つ一つの祈りにこたえてくださいます。わたしの健康回復のために多くの祈りがささげられていたのとほぼ同じ時期に,多くの人々がわたしの妻の健康が回復するように祈ってくださいました。わたしも祈りました。妻のための祈りはわたしの願いどおりにはこたえられませんでしたが,どちらの祈りも,哀れみ深い天の御父によって聞かれ,確かにこたえられたのであることを証します。祈りが期待したとおりにこたえられない理由は神のみが御存じですが,祈りが確かに聞かれ,いつまでも絶えることのない神の愛と天の時刻表に従って確かにこたえられることをお約束します。
わたしたちが「道理に外れた求め方をしなければ」,(2ニーファイ4:35)いつ,どこで,何について祈るべきかについては何の制限もありません。啓示によると,わたしたちは「絶えず〔祈る〕」ようにと言われています。(ルカ21:36。アルマ13:28;34:27;教義と聖約23:6も参照)アミュレクが述べたように,「〔自分〕の周りの人々」のために,(アルマ34:27。2テサロニケ1:11;アルマ34:21も参照)「義人の〔祈りには〕大いに力が……ある」(ヤコブの手紙5:16)と信じて祈りましょう。プライバシーが確保されている場合は,声に出して祈りをささげるべきです。(詩篇55:17参照)それが現実的でない場合は,声を上げることなく心の中で祈りをささげるべきです。(モーサヤ24:10-12;アルマ34:27;3ニーファイ20:1;教義と聖約19:28参照)祈りは「胸に燃ゆる」(「祈りは魂の」『賛美歌』83番参照)という歌詞がありますが,救い主御自身が言われたように,わたしたちは常に,御子イエス・キリストの御名によって父なる神に祈るべきなのです。 (3ニーファイ18:19-21参照)
愛する友人の皆さん,祈りとは,いちばん楽しい時間であり,(「祈りは楽しき」『賛美歌』81番参照)わたしたちの「切なる望み」であり,(『賛美歌』"Prayer is the Soul's Sincere Desire"(英文)145番)最も簡素で最も純粋な礼拝です。(アルマ33:3参照)わたしたちは個人として,家族として,またあらゆる規模の集会で祈るべきです。(マタイ14:23;18:19-20;3ニーファイ18:16,21-24,30;ヒラマン3:35参照)誘惑に対抗する盾として,祈りの助けを借りるべきです。(マタイ6:13;ルカ22:40;3ニーファイ18:15;教義と聖約10:5参照)祈る気持ちになれないとき,その気持ちは神から来るものではないのは確かです。神はいつも御自分の子供たちと交わりたいと切に望んでおられるからです。実際,わたしたちを祈らせまいとする試みの中には,敵対者が直接仕掛けてくるものもあります。(2ニーファイ32:8;ジョセフ・スミス—歴史1:15-16参照)何をどう祈るべきか分からないときでも,祈りを始めて,聖霊が祈るべき言葉を与えてくださるまで,祈り続けましょう。(ローマ8:26;3ニーファイ19:24;教義と聖約50:30参照)わたしたちが敵のために,またわたしたちを不当に扱う者たちのために祈る際には,このようなアプローチが必要と言えるかもしれません。(マタイ5:44参照)


