わたしに従ってきなさい | 「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

「わたしに従ってきなさい」の聖句学習

末日聖徒イエス・キリスト教会が提供する「わたしに従ってきなさい」の聖句を学ぶために、ここではその聖句を引用している現代の預言者のお話を中心に、主に総大会からご紹介します。

今週の「わたしに従ってきなさい」

 

 

エレミヤ1:6、8、17

その時わたしは言った、「ああ、主なる神よ、わたしはただ若者にすぎず、どのように語ってよいか知りません」。しかし主はわたしに言われた

「彼らを恐れてはならない、

わたしがあなたと共にいて、

あなたを救うからである」と主は仰せられる。

しかしあなたは腰に帯して立ち、わたしが命じるすべての事を彼らに告げよ。彼らを恐れてはならない。さもないと、わたしは彼らの前であなたをあわてさせる。

 

「神からこられた教師」(英文)1998年4月、ジェフリー・R・ホランド、十二使徒定員会

教えることに伴う力について、印象深い話が預言者エレミヤの生涯を基に記されています。この偉大な人物は、たいていの教師や話者、教会役員が召されたときに感じる気持ちにさいなまれました。自分は経験、ふさわしさの面で欠けるという思い、そして恐れです。「ああ、主なる神よ」とエレミヤは叫びました。「わたしはただ若者にすぎず、どのように語ってよいか知りません。」

 

しかし主は、エレミヤを励まして言われました。「彼らを恐れてはならない、わたしがあなたと共にい〔る。〕……あなたは腰に帯して立ち、……彼らに告げよ。」(エレミヤ1:6、8、17)

 

そこでエレミヤは人々に語りました。しかし、最初はあまり成功しませんでした。それどころか、事はいっそう悪化し、しまいには投獄され、人々の物笑いの種となりました。虐待され、中傷されたエレミヤは怒り、実際、もう二度と人に教えを説かないと決心しました。相手が求道者であろうと、初等協会の子供であろうと、新会員であろうと、そして、一筋縄ではいかない青少年であろうとです。「主のことは、重ねて言わない、このうえその名によって語る事はしない。」落胆した預言者はそう語りました。そんなとき、エレミヤにとって人生の転換期が訪れました。彼が述べた証、読んだ聖句、教えた真理のすべてに対して何かが起こりました。彼が想像もしなかった何かが起きたのです。口を閉ざし、主から遠ざかろうと決心したにもかかわらず、彼は自分にはそんなことはできない、と悟りました。なぜでしょうか。「主の言葉がわたしの心にあって、燃える火のわが骨のうちに閉じこめられているようで、それを押えるのに疲れはてて、耐えることができ」なかったのです(エレミヤ20:7-9参照)。

 

これこそ、福音にあって、教師と学ぶ者の双方に起こることです。それは、ニーファイとリーハイにも起こりました。ヒラマン書にはこうあります。「そして見よ、神の聖なる御霊が天から降って、彼らの心の中に入られたので、彼らはあたかも火で満たされたかのようになり、驚くべき言葉を語ることができた。」(ヒラマン5:45)それは、マグダラのマリヤが経験した天与の喜びにも似ています。マリヤは園の墓で思いがけず、復活された愛する主にまみえました。そして、主に向かってただ「ラボニ」(ヨハネ20:16)と言いました。それは「先生」という意味です。

 

 

 

 

聖句とそれを引用した預言者たちの言葉2026年版(BOX)