まことに彼はわれわれの病を負い、
われわれの悲しみをになった。
しかるに、われわれは思った、
彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
「イエス・キリストの贖罪により強められる」2015年10月、ダリン・H・オークス、十二使徒定員会
イエスは教導の業を始められたとき,御自分は「打ちひしがれている者」を癒やすために遣わされたと言われました(ルカ4:18 )。聖書は,主が「病気」の人々を癒やされる様子を何度も描写しています(ルカ5:15 ;7:21 )。モルモン書は,主が「どんなことでも苦しんでいる」人々を癒やされる様子を記録しています( 3ニーファイ17:9 )。マタイによる福音書には,主が彼らを癒やされたのは「預言者イザヤによって『彼は,わたしたちのわずらいを身に受け,わたしたちの病を負うた』と言われた言葉が成就するため」であると記されています(マタイ8:17 )。
イザヤは,メシヤは人の「病」と「悲しみ」を担われたと教えています(イザヤ53:4 )。イザヤはまた主は人を強めてくださると教えました。「恐れてはならない,わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない,わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし,あなたを助け〔る。〕」(イザヤ41:10 )
ですから,わたしたちはこう歌うのです。
恐るな,われは汝が神
常に汝と共にあり
助け与え,強くして
わが正しき力をもて 汝れを支え,励まさん(「主のみ言葉は」『賛美歌』46番)
使徒パウロは,自身の死すべき状態の試練について,「わたしを強くして下さるかたによって,何事でもすることができる」と記しました。(ピリピ4:13 )
贖罪を成し遂げられたことにより,救い主は,死すべき状態のあらゆる苦痛や苦難を救う力―助ける力―をお持ちです。時に主の力は弱さを癒やしてくれます。しかし,主は弱さに耐える強さを授けることによって救い,助けてくださることがあるということも,聖文と経験から理解できます。※
※ジェフリー・R・ホランド, Christ and the New Covenant:The Messianic Message of the Book of Mormon (1997年),223‐234;デビッド・A・べドナー「贖罪と現世の旅」『リアホナ』2012年4月号,12-19;ブルース・C・ヘーフェンとマリエ・K・ヘーフェン,“‘Fear Not, I Am with Thee’: The Redeeming, Strengthening, and Perfecting Blessings of Christ’s Atonement”, Religious Educator ,第16巻1号(2015年),11-31,特に18‐25;タッド・R・カリスター, The Infinite Atonement (2000年),206-210
