高ぶりは滅びにさきだち、
誇る心は倒れにさきだつ。
「高ぶりを心せよ」(英文)1989年4月、工ズラ・タフト・ベンソン大管長
ルシフェルは前世の大会議で、イエス・キリストが擁護する御父の計画に反抗して、自分の考えを押し立てました(モーセ4:1-3参照)。彼の願いは、すべての人に勝る誉れを得ることでした(2ニーファイ24:13参照)。要するに、ルシフェルは高慢にも神をその位から退けようとしたのです(教義と聖約29:36、76:28参照)。
聖典には、この高慢の罪が個々の人間、あるいは民、町、国家に悲惨な結果を及ぼした実例が数多く記録されています。確かに「高ぶりは亡びに……さきだっ」のです(箴言16:18)。ニーファイ人の国やソドムの町を滅ぼしたのも、この高慢の罪です(モロナイ8:27、エゼキエル16:49-50参照)。
キリストを十字架につけたのも、この高慢でした。パリサイ人は、ご自身を神の子と主張するイエスの言葉に激怒しました。彼らにとってイエスのその言葉は、自分たちの地位を危うくする大きな脅威でした。それで彼らは、イエスの殺害を謀ったのです(ヨハネ11:53参照)。
