なにゆえ、もろもろの国びとは騒ぎたち、
もろもろの民はむなしい事をたくらむのか。
「また逢あうまで」2001年10月、ゴードン・B・ヒンクレー大管長
さて、今日、わたしたちは特別な問題に直面しています。深刻で、痛切かつ困難な問題であり、わたしたちにとって大きな関心事となっています。確かにわたしたちは主を必要としています。
昼食を取るため帰宅したとき、わたしはテレビのスイッチを入れ、しばらくの問ニュースを見ておりました。そして、詩篇にある言葉を次のように心の中で言い換えてみたのです。「なにゆえ、もろもろの国はかくも荒々しくともに騒ぎ立つのか。」(詩篇2:1参照)わたしは20世紀のあらゆる戦争を生き抜いてきました。いちばん上の兄は第一次世界大戦の犠牲者として、フランスの土に眠っています。わたしは第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、そして小規模の紛争を生き抜いてきました。紛争の中では、人は互いに大変争い好きでかたくなな民になっていました。わたしたちは主の方に顔を向け、主に頼る必要が大いにあります。わたしはキプリングの次の偉大な言葉について考えています。
はるかかなたに遠征した我らの海軍は消え去り、
砂丘と岬に戦火はやむ。
見よ、我らの昨日のすべでの華やかさは
ニネべとツロとともにある。
万国の裁き主よ、しばし我らを助けたまえ。
我らが主を、忘れぬために。
(ラドヤード・キプリング、“Recessional” Masterpieces of Religious Verse, シェームズ・ダルトン・モリソン編〔1948年〕512)
わたしたちの安全は生活の徳高さにかかっています。わたしたちの強さは義の中に存在しています。神は次のことを明確にされました。すなわち、わたしたちが神を捨てなければ、神はわたしたちを見捨てられないということです。イスラエルを見守る御方はまどろむことも、眠ることもなさいません(詩篇121:4参照)。
