それでわたしは彼らに使者をつかわして言わせた、「わたしは大いなる工事をしているから下って行くことはできない。どうしてこの工事をさしおいて、あなたがたの所へ下って行き、その間、工事をやめることができようか」。
「聖なる場所に堅く立ちなさい」2013年4月、ロバート・D・ヘイルズ、十二使徒定員会
何よりも,救い主を信じる信仰を持ってください。恐れてはなりません。熱心に福音に従うならば,わたしたちは主にあって強くなります。主の力がともにあれば,「飲み食いし,楽しみなさい。……神は少しの罪を犯すことは許してくださる。……これは少しも悪いことではない。わたしたちは明日は死ぬ身なのだから……。」(2ニーファイ28:8)と言う反キリスト者を拒むことができます。いかなる哲学や信条が,救い主を否定し,神のすべての子供たちのために立てられた偉大な永遠の幸福の計画に異議を唱えようとも,主の力があれば,わたしたちはこれらすべてに立ち向かうことができるのです。
その永遠の計画の条件について議論を挟む権限はわたしたちにはありません。エルサレムを守る城壁を築く任務を受けたネヘミヤを思い出してください。責任を放棄して下って来るよう求められても,拒否しました。独善的だったわけではありません。端的にこう説明しています。「わたしは大いなる工事をしているから下って行くことはできない。どうして……工事をやめることができようか。」(ネヘミヤ6:3)
時には避雷針になって,神の標準を守り,神の業を行うためにあざけりを堪え忍ばなければならないこともあります。神の教義を基にして生活しているのであれば恐れる必要はないことを証します。誤解や批判,さらに言われのない非難まで受けることがあるかもしれませんが,わたしたちは決して独りではありません。救い主は「侮られて人に捨てられ」(イザヤ53:3 ;モーサヤ14:3)ました。救い主とともに立つことは,わたしたちの神聖な特権です。
皮肉なことに,堅く立つことがこの世から距離を置くことや,この世から離れることを意味することさえあります。救い主は「サタンよ,引き下がれ」(ルカ4:8 訳註:「サタンよ,引き下がれ」という意味の言葉は日本語訳にはない。)と言われました。エジプトに売られたヨセフはポテパルの妻の誘惑から逃れるために走って逃げ,(創世39:7-12参照)リーハイはエルサレムを後にして家族を連れて荒れ野に向かいました。(1ニーファイ2章参照)
安心してください。わたしたちより前の預言者も皆,それぞれの時代で堅く立ったのです。
ニーファイはサタンに打たれ,兄のレーマンとレムエルから迫害されながらも,主の特別な業を成し遂げました。(1ニーファイ18章などの例を参照)
アビナダイは自分の言葉を信じない人,自分をあざける人に向かってキリストのことを証し,死をも恐れませんでした。(モーサヤ11-17章参照)
2千人の若い兵士たちは,福音を軽視する人々から家族を守りました。(アルマ53,56-58章参照)
モロナイは,自由の旗を掲げて自分の民の家族と信仰の自由を守りました。(アルマ46:11-13参照)
サムエルは城壁の上に立ち,石や槍を投げつけられながらも,キリストが来られることを預言しました。(ヒラマン13-16章参照)
預言者ジョセフ・スミスは救い主の福音を回復し,血をもって自分の証を結び固めました。(教義と聖約135章参照)
そして,モルモンの開拓者たちは,ひどい反対や苦難に遭いながらも堅く立ち,預言者に従って長い距離を旅し,西部に定住しました。
これらの神の僕と聖徒が堅く立つことができたのは,救い主とともに立っていたからです。救い主がいかに堅く立っておられたかを考えてください。
