「一握りの粉と少しの油」(英文)1996年4月、ジェフリー・R・ホランド、十二使徒定員会
疲れた足取りで町に入ると、エリヤと同じようにやつれた女性が彼を迎えました。恐らく、こののどの渇いた旅人は、申し訳なさそうに頼んだことでしょう。「器に水を少し持ってきて、わたしに飲ませてください。」彼女がその申し出にこたえようと背を向けると、エリヤはそれにさらにこう付け加えました。「手に一口のパンを持ってきてください。」
エリヤが同情すべき状況にあったことは明らかです。それに、やもめの女はそうした申し出にこたえられるように、主から備えられていました。しかし、自分自身弱り果て、打ちひしがれた状態の彼女にとって、エリヤの最後の願いは、いくら忠実な女性といえども忍耐の限界を超えていたのではないでしょうか。飢えと疲れと母親としての苦悩の中で、彼女はその見知らぬ人にこう叫びます。「あなたの神、主は生きておられます。わたしにはパンはありません。ただ、かめに一握りの粉と、びんに少しの油があるだけです。今わたしはたきぎ二、三本を拾い〔この記述は、粉が調理にほんのわずかの火力しか必要としないほどの量であったことを物語っています〕、うちへ帰って、わたしと子供のためにそれを調理し、それを食べて死のうとしているのです。」
しかし、エリヤには主の用向きがありました。このやもめとやもめの息子を含めたイスラエルの未来が危険にさらされているのです。エリヤの預言者としての義務は、彼の人間としての意志にかかわりなく、彼をさらに大胆にさせます。
「恐れるにはおよばない。」彼は言います。「しかしまず、それでわたしのために小さなパンを一つ作って持ってきなさい。その後、あなたと、あなたの子供のために作りなさい。
『主が雨を地のおもてに降らす日まで、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えない』とイスラエルの神、主が言われるからです。」
そして、やもめの女の信仰が控えめに表現されます。わたしは、これらの状況の下での信仰として、これほど偉大な姿を聖文の中に見いだすことができません。「彼女は行って、エリヤが言ったとおりにした。」記録にはそのように簡単に記してあるだけです。このやもめは、自分の信仰が自分と息子にどのような結果をもたらすかを知らずに、まず最初に小さなパンをエリヤに差し出しました。これは、たとえ十分なパンが残らなかったとしても、少なくとも自分と息子は純粋な愛のうちに死ねるという信仰の現れでした。幸いこの話は、彼女と息子にとってハッピーエンドで終わっています(列王上17:1-24参照)。
この女性は、イエスが心から称賛されたもう一人の女性と似ています。わずかな金額ながら自分の有り金すべてであるレプタ二つを宮のさい銭箱に入れた女性です。イエスは、彼女はその日だれよりも多くささげたと言われました(マルコ12:41-44参照)。
残念ながら、この二人の女性の名前は『聖書』には記されていません。でも、もし来世で彼女たちに会う機会があれば、わたしは彼女たちの足もとにひざまずき、「ありがとう」と言うでしょう。すばらしい生き方に、驚くべき模範に、そして、あなたがたの心の中にあって、そのような「清い心……から出てくる愛」を生み出す敬神の念に感謝します(1テモテ1:5)。
