「主を待ち望む」2020年10月、ジェフリー・R・ホランド、十二使徒定員会
人はこう言うかもしれません。「もしそうなら,御父はその愛と憐れみにより,わたしたちにとっての個人的な紅海を分け,渇いた地で困難を乗り越えられるようにしてくださるのではないか。21世紀のカモメを送り,厄介な21世紀のクリケットを食べ尽くすようにされるのではないか」と。
このような問いに対する答えはこうです。「はい,神は即座に奇跡を行えます。しかし,遅かれ早かれ,わたしたちは,自分の現世の旅の時と季節を定められるのが神であり,神のみであることを学びます。神は一人一人のカレンダーを個別に管理しておられるのです。ベテスダの池に入るのを待っている病人が即座に癒される一方で,(ヨハネ5:2-9参照)約束の地に入るのを待ちながら砂漠で40年間過ごす人もいます。(民数32:13;申命2:7;ヨシュア5:6参照)ニーファイとリーハイが信仰のゆえに炎に取り囲まれて神により守られる一方で,(ヒラマン5:20-52参照)火あぶりにされて焼かれるアビナダイもいます。(モーサヤ17章参照)また,バアルの祭司たちに対する証として即座に天からの火を呼び求めたエリヤが,(列王上18:17-40参照)何年間もの雨の降らない期間に耐えて,一時は,カラスが運ぶわずかばかりの食物だけで養われたエリヤ(列王上17:1-7参照)と同じ人物であるのを,皆さんは覚えているでしょう。わたし個人の推測ですが,この食べ物は「ハッピーミール」と呼べるようなものではなかったことでしょう。
わたしが言いたいことは何でしょうか。言いたいのは,信仰とは,神がわたしたちのために御腕を現されるのを見るまで苦しみがあるとしても,良い時も悪い時も神を信頼することであるということです。(教義と聖約123:17参照)現代社会では難しいかもしれません。現代は多くの人が,人生の最高の善はあらゆる苦しみを避けることであり,人はいかなる苦しみも負ってはならないと信じるようになっています。(See Rankin Wilbourne and Brian Gregor, “Jesus Didn’t Suffer to Prove a Philosophical Point,” Christianity Today, Sept. 20, 2019, christianitytoday.com.)しかし,その考えが「キリストの満ちみちた徳の高さ」にわたしたちを至らしめることは決してありません。(エペソ4:13)
