そのころまで主の名のために建てた宮がなかったので、民は高き所で犠牲をささげていた。
「イエス・キリストのみ名を受ける」(英文)1985年4月、ダリン・H・オークス、十二使徒定員会
神のみ名は神聖です。主の祈りは次の言葉で始まっています。「天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。」(マタイ6:9)シナイ山から出された戒めはこうでした。「主の名を、みだりに唱えてはならない。」(出エジプト20:7、申命5:11)末日の啓示も同じように、神のみ名を権能のない者が用いることを戒めています。「この故に、世の人々わが名をいかように口に上すかを気を付けよ。……彼らは主の名を用い、空しく主の名を用いておよそ権威なし。」(教義と聖約63:61-62)
以上の聖句に共通して見られるように、多くの聖句は明らかに、「イエス・キリストのみ名」を救い主の権能を示すものとして用いています。七十人がイエスに、「あなたの名によっていたしますと、悪霊までがわたしたちに服従します」(ルカ10:17)と報告しましたが、この出来事からもそれが分かります。また、教義と聖約の中では、この神権時代の十二使徒を次のように表現していますが、これも同じ意味です。「誠心誠意わが名をその身に引き受けんと願う者たち。」(教義と聖約18:27)十二使徒は「全世界に於けるキリストの御名の特別の証人となるべき者」であり、また「教会の大管長会の指揮下に於て、天の定めに適うよう主の御名によりて職務を行う」人々なのです。(教義と聖約107:23、33)
さらに説明を加えるならば、旧約聖書には主のみ名が明らかに主の権能を表すものとして用いられている例がたくさんあります。これらのほとんどは神殿に関連するものです。
イスラエルの子らがまだヨルダンの向こう岸にいたとき、主は彼らに、約束の地に入ったなら彼らの神である主が「その名を置く」場所を設けるように命じられました(申命12:11、申命14:23-24、16:6参照)。それから何度も、主と僕たちは啓示の中で、イスラエルの神であられる主のみ名のために将来建てられる神殿について述べています(列王上3:2、5:5、8:16-20、29、44、48、歴代上22:8-10、19、29:16、歴代下2:4、6:5-10、20、34、38参照)。そして神殿が献堂されると、主がソロモンに御姿を現され、「わたし(主)の名を永久にそこに置く」ために聖別されたことをお告げになりました(列王上9:3、歴代下7:16参照)。
