ところが民はサムエルの声に聞き従うことを拒んで言った、「いいえ、われわれを治める王がなければならない。
われわれも他の国々のようになり、王がわれわれをさばき、われわれを率いて、われわれの戦いにたたかうのである」。
「自由という完全な律法」(英文)1991年10月、マリオン・G・ロムニー、大管長会
このようなことは、イスラエルの歴史の中で繰り返し起こっています。イスラエルの民は、神の定められたさばきづかさによる統治を拒み、王を与えよとサムエルに訴えました。サムエルは、国王を立てれば、イスラエルの子孫は捕虜となり、重税と夫役を負わされ、戦いに送り出されるだろうと警告しました。「ところが民はサムエルの声に聞き従うことを拒んで言った、『いいえ、われわれを治める王がなければならない。われわれも他の国々のようになり……』」(サムエル上8:19-20)
そこでサムエルはサウルの頭に油を注いで王にしました。そのうちに、サムエルが預言したように、イスラエルの民は重い負担に苦しみ、息子や娘は王の奴隷となり、戦争が始まりました。国はイスラエルとユダの二つの王国に分裂し、やがて両国の民はそれぞれ他国の捕虜になって連れ去られました。彼らは政治的な自由を失うどころか、国家として存続することすらもできなくなってしまったのです。
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自由意志を誤って用いれば、政治的、経済的、個人的な自由が失われますが、自由意志それ自体は永遠の原則ですから、なくなることはありません。しかし、自由意志はその使い方によって、適用できる範囲が広がったり狭まったりします。間違った決心をすればその度に、自由意志を使える範囲は狭まります。しかも、そのような自由意志の使い方をすればするほど、失った自由を取り戻すのが難しくなるのです。そして、あるところまでくると、もはや元の状態には戻れなくなり、惨めな奴隷となるだけです。自由意志を使うことによって、次第に自分の行動範囲が狭まり、ついには自由意志のない身動きできない状態に追い込まれてしまうのです。
