モーセは彼に言った、「あなたは、わたしのためを思って、ねたみを起しているのか。主の民がみな預言者となり、主がその霊を彼らに与えられることは、願わしいことだ」。
「証という永遠の賜物」2025年10月、ケビン・G・ブラウン、七十人
わたしは美しいジャマイカで育ちました。楽しく、すばらしい経験でした。しかし、高校に入学したとき、クラスメートや友人の中には、イエス・キリスト教会の会員になるというわたしの選びを理解できなかった人もいました。「あの教会に加わるなんてどういうこと」と聞かれたり、最初の示現について、「どうしてあんな話を信じられるの」や、モルモン書について、「あんな本を読んでいるなんてありえない」とも言われたりしました。「ほんとうに全部信じているの?」「何で人生を無駄にしようとしているの」と聞かれたこともあります。
心が痛みました。自分が大切に思っている人たちから言われたときはなおさらです。
しかし彼らが知らなかったのは、わたしが聖霊を感じる経験をしていたことです。証がわたしの心を満たしていたので、日々の心の痛みは和らぎ、証が「ひとときみ座(くら)を〔わたしに〕示」してくれました。(「証」『賛美歌』77番)
恐らく皆さんも、こういった質問やほかの事柄を尋ねられたことがあるでしょう。かつてのわたしのように、今まさに質問攻めに遭っているかもしれません。
聖霊の賜物と証は、すべての人が得られるものです。(民数11:29;ヤコブの手紙1:5参照)
