そして、モーセは主に言った、「あなたはなぜ、しもべに悪い仕打ちをされるのですか。どうしてわたしはあなたの前に恵みを得ないで、このすべての民の重荷を負わされるのですか。
わたしひとりでは、このすべての民を負うことができません。それはわたしには重過ぎます。
モーセは彼に言った、「あなたは、わたしのためを思って、ねたみを起しているのか。主の民がみな預言者となり、主がその霊を彼らに与えられることは、願わしいことだ」
「永遠の神が定めだもうだ大計画」(英文)1984年4月、ニール・A・マックスウェル、十二使徒定員会
しかし過ちを犯しやすい私たち人間のために、この憐れみの計画には、過ちを認めて修正し、中断された進歩を回復する機会も与えられています。
失ったものを取り返し、精錬する場は備えられています。勇敢なペテロは、躊躇したために渦巻く波間に沈みかけましたが、どなたを目指して生きるべきかを知っていて、「主よ、お助けください」(マタイ14:30)と叫びました。温厚なモーセは、イスラエルの民の悪と指導者としての重圧と闘っていました(民数11:11,14,29参照)。またニネベに行かずにタルシシに行こうとしたヨナは、やはりニネベに行くことになりましたが、そのことで思いやりに関して偉大な教訓を得ました。
過ちを犯したオリヴァー・カウドリ、マーティン・ハリス、そしてトーマス・B・マーシュは、霊性を回復し、西部に渡って再び教会に加わり、赦しを得、救いの計画とそれを宣言した末日の預言者たちを支持して、自らの悔い改めを証明しました。
兄弟姉妹、このように神に最も忠実で洗練された人生の最高の期間は、往々にして最も暗い時期のさなか、あるいはその直後に来るものなのです。
したがって、まさに主の訓練の段階にある人が主に対して不平を言うのは、何と皮肉なことでしょうか。この死すべき世を信仰によって歩まねばならないという現実に怒りを覚える人も同じです。しかし、実利的でしかも霊的であったブリガム・ヤング大管長はこう言いました。「事実を認識するだけでは救いに通じる信仰は得られない。」(『ブリガム・ヤング説教集』p.154)
