イスラエルの人々は海の中のかわいた地を行ったが、水は彼らの右と左に、かきとなった。
「愛をもって人と語る神」(英文)1992年10月、マリオン・D・ハンクス、名誉教会幹部
「神が人と交わられたのは遠い過去の時代だけであり、神が生きておられ、啓示を与え、人と言葉を交わされる証拠は聖書だけであるとする教義の中では、活力のある宗教は育たない。かつて神が語られたのであれば、今も語っておられるはずである。神は『わたしは有る』というお方であって、『わたしは有った』というお方ではない。」(「永遠の世界のひらめき」)
この言葉は根本的な真理をよく表しています。私たち自身がこの原則について理解していることは、神はその子供たちに語りかけ、神の王国に関する偉大で重要な事柄について、これまでも、現在も、そして将来も啓示されるということです。(信仰箇条1:9)
ユダヤ人は、イスラエルの民の歴史的なエジプト脱出と紅海の横断を記念する過越の祭りで、詩篇を朗読する美しい習慣を持っています。このユダヤ人の伝統により、私たちは神の本質をうかがい知ることができます。
イスラエル人は紅海のほとりにたどり着いた時、後続のエジプト軍に追いつかれてしまいました。神はモーセを通して海を分け、「イスラエルの人々は海の中のかわいた地を行った」(出エジプト14:22)のです。エジプト人も彼らの後を追って海の中に入りました。その時モーセが再び手を海に向かって差し伸べると、海の流れが戻りました。イスラエル人は助かり、エジプト軍は海中に沈みました。
民は勝利に酔って主を賛美する歌を歌い始めました。ところが全能の神は民をたしなめて言われました。「わたしの子らが大勢海に沈んでしまったのに、なぜ喜びと賛美の歌など歌えるのか。」
この出来事を記念して、ユダヤ人は過越の祭りの後半に、祝いの一つとして要約した短い詩篇を朗読します。
確かに、神から出る光は全世界を照らしてきました。私たちはそれを喜び、へりくだって証します。すなわち、神は今もなお生きておられ、啓示を与え、人と言葉を交わされる御父なのです。
