そこでモーセはイスラエルの長老をみな呼び寄せて言った、「あなたがたは急いで家族ごとに一つの小羊を取り、その過越の獣をほふらなければならない。
また一束のヒソプを取って鉢の血に浸し、鉢の血を、かもいと入口の二つの柱につけなければならない。朝まであなたがたは、ひとりも家の戸の外に出てはならない。
主が行き巡ってエジプトびとを撃たれるとき、かもいと入口の二つの柱にある血を見て、主はその入口を過ぎ越し、滅ぼす者が、あなたがたの家にはいって、撃つのを許されないであろう。
あなたがたはこの事を、あなたと子孫のための定めとして、永久に守らなければならない。
「わたしを記念するため、このように行いなさい」(英文)1995年10月、ジェフリー・R・ホランド、十二使徒定員会
人類の歴史の意味を変えるような時が、間もなく来ようとしていました。それは永遠の時の中間、すべての奇跡のうち最大の奇跡であり、またこの地上に住むあらゆる老若男女の幸福のために、創世の前に備えられていた計画が成就するときでもありました。贖いの犠牲の時がやって来たのです。肉体をまとって来られた神御自身の御子、神の独り子が世の救い主になろうとされていたのです。
場所はエルサレム、季節は過越の祭り、すなわちこれから起ころうとしていたことの象徴に満ちた祭りのときでした。昔、エジプトで奴隷の境涯に置かれた悩めるイスラエルの人々は、家のかもいと入口の柱に子羊の血を付けることにより、「過ぎ越し」され、助けられ、ついには解放されました(出エジプト12:21-24参照)。
これは、アダムとそれ以降のすべての預言者が世の始めから教えられてきた事柄の、単なる象徴的な繰り返しにすぎません。すなわち、イスラエルの群れの初子の中からささげられた清く汚れのない子羊は、これから来ようとしているキリストの大いなる最後の犠牲の「ひながた」「しるし」「予型」であったのです(モーセ5:5-8参照)。
