まことに、犬はわたしをめぐり、悪を行う者の群れがわたしを囲んで、わたしの手と足を刺し貫いた。
「聖餐と贖罪」2014年10月、ジェームズ・J・ハムラ、七十人
聖餐の儀式は「教会における最も神聖な儀式」(『歴代大管長の教え―ジョセフ・フィールディング・スミス』88。「聖餐会は教会のあらゆる集会の中でも,最も聖別された,最も神聖な集会であると,わたしは考えています。」(『教え―ジョセフ・フィールディング・スミス』87))と呼ばれてきました。聖餐の儀式は,わたしたちにとってさらに神聖なものとなる必要があります。イエス・キリスト御自身が,この儀式を設けられました。わたしたちを贖うために主がなされたことを思い起こさせ,どのようにイエスの贖いの効力を受け,それによって再び神とともに住めるかを教えるためでした。
裂かれ,砕かれたパンによって,わたしたちはイエス・キリストの肉体,すなわち,あらゆる苦痛と苦難と試練にさいなまれた肉体(アルマ7:11参照),あらゆる毛穴から血を流す(ルカ22:44;モーサヤ3:7;教義と聖約19:18参照)ほどに激しい苦しみの重荷を負った肉体,十字架上で肉が裂け,心臓が砕かれた肉体(詩篇22:16;ヨハネ19:33-34;20:25-27;3ニ―ファイ11:14;教義と聖約6:37;ジェームズ・E・タルメージ,Jesus the Christ,第3版(1916年)669参照)を思い起こすと表明します。その同じ体が,死んで葬られたものの,墓から再びよみがえり,二度と再び,病気や衰え,死を経験することがなくなったことを信じると表明するのです。(マタイ28:6;ルカ24:6,39;ヨハネ20:20;教義と聖約76:22-24参照)聖餐のパンを取るときに,キリストの死すべき体と同様,わたしたちの体も死の縄目を解かれ,勝利のうちに墓からよみがえり,永遠の霊に回復するということを認めるのです。(ヨハネ6:51-59;アルマ11:42-44;40:23;3ニ―ファイ27:13-15参照)
小さなカップに入った水によって,わたしたちはイエスが血を流し全人類のために霊的な苦しみに耐えられたことを思い起こすと表明します。苦痛によりゲツセマネの園で多くの血が滴ったことを思い起こします。(ルカ22:44;モーサヤ3:7;教義と聖約19:18参照)捕らえた者たちに殴られ,むち打たれても,耐えられたことを思い起こします。(イザヤ53:5;マタイ26:67;27:26,29-30;マルコ14:65;15:15,19;ルカ22:63-65;ヨハネ19:1;モーサヤ15:5参照)カルバリの丘で,その手,足,脇から血を流されたこと思い起こします。(マタイ27:35;マルコ15:15;ルカ23:33;ヨハネ19:16,33-34参照)また,御自分が受けられた苦しみに関する次の御言葉を思い起こします。「これらの苦しみがいかにつらいか,あなたは知らない。いかに激しいか,あなたは知らない。まことに,いかに堪え難いか,あなたは知らない。」(教義と聖約19:15)水を飲むとき,わたしたちはイエスの血と苦しみがわたしたちの罪を贖ったことを認めるとともに,福音の原則と儀式に喜んで従い受け入れるならばイエスがわたしたちの罪の代価を支払ってくださることを認めます。
