この時、神は夜の幻のうちにイスラエルに語って言われた、「ヤコブよ、ヤコブよ」。彼は言った、「ここにいます」。
「へりくだる者が聖壇でひざまずく」2025年10月、ジェレミー・R・ジャギ、七十人
アブラハムは祭壇を作って一人息子のイサクを縛り、犠牲としてささげようとしましたが、彼の手は止められ、主が宣言されたように、「はい、ここにおります」(創世22:11)と宣言しました。「わたしは有る」という御方または主の預言者は、これまで何度「ここにおります」と自ら進んで言われたことでしょう。(創世31:11;46:2;出エジプト3:4;サムエル上3:4-10;イザヤ6:8;アブラハム3:27参照)
山上の垂訓の中で救い主は、祭壇に行く前に兄弟姉妹と和解するように言われました。(マタイ5:23-24参照)イエス・キリストの贖罪を通してわたしたちは、祭壇で「きよめられ〔る〕」(ヘブル10:10-14参照)とパウロは教えています。
預言者リーハイは「自分の家や……貴重品を後に残して〔出て行き、〕……〔それから〕一つの祭壇を築き、主にささげ物をして、主……に感謝をささげ」(1ニーファイ2:4、7)ました。
聖書とモルモン書は、祭壇で神の御子を礼拝するよう教えています。なぜでしょうか。
わたしたちの最初の先祖であるアダムとエバは、祭壇を築き、そこで礼拝しました。(モーセ5:5;『聖句ガイド』「イエス・キリスト、予型」の項参照)エデンの園から追い出された後も礼拝していましたが、「多くの日」の後、天使が訪れて、心に響く質問をしました。「あなたはなぜ主に犠牲をささげるのか。」これは、わたしたち一人一人への問いかけかもしれません。
アダムは答えました。「わたしには分かりません。」
分からないとアダムが謙遜に認めると、天使は驚くべきことを言いました。「これは、御父の独り子の犠牲のひながたである。……したがって、あなたが行うすべてのことを御子の御名によって行いなさい。また、悔い改めて、いつまでも御子の御名によって神に呼び求めなさい。」(モーセ5:5-8)
聖餐のテーブルと神殿の聖壇は、イエス・キリストの犠牲とその無限の贖罪を象徴しています。
聖約を交わして尊び、教会で聖餐の儀式を受け、神殿でエンダウメントと結び固めを受けることで、わたしたちは救い主に結びつき、主の憐れみと守り、(『総合手引き—末日聖徒イエス・キリスト教会における奉仕』27.2)聖め、癒し、安息を受けるようになります。
