エジプト全国に七年の大豊作があり、
その後七年のききんが起り、その豊作はみなエジプトの国で忘れられて、そのききんは国を滅ぼすでしょう。
後に来るそのききんが、非常に激しいから、その豊作は国のうちで記憶されなくなるでしょう。
「あのね,大変だったんだよ」2008年10月、クエンティン・L・クック、十二使徒定員会
聖典や近代の預言者は、収穫の少ない年もあれば豊かな年もあると断言しています。(創世41:29-31参照;ゴードン・B・ヒンクレー「若い兄弟たちに,そして成人の兄弟たちに」『リアホナ』1999年1月号,56)主もわたしたちに、やがて訪れる問題の多くに備えるようにと望んでおられます。主は「備えていれば恐れることはない」(教義と聖約38:30)と宣言されました。何年も前、シエラネバダ山脈を横断するときに、あの大吹雪の中で心に傷となって残るような経験をした原因の一つは、あのような突然の出来事にわたしが備えていなかったからでした。聖文から得られる偉大な祝福の一つは、予期しないときにしばしば起こる問題について警告してくれていることです。そういう状況に備えができていることはすばらしいことです。そのような備えの一つが、戒めを守ることです。
モルモン書には数多くの場面で、民は「もし彼らが戒めを守れば」(2ニーファイ4:4参照)その地で栄えると約束されています。この約束には大抵、もし神の戒めを守らなければ御前から絶たれるであろうという警告が伴います。(アルマ36:30参照)御霊の祝福、すなわち聖霊の働きかけを受けるということは、その地で真に栄え、備えをするためには、明らかに不可欠な要素なのです。
試練がどのようなものであるかを問わず、現在豊かに頂いているわたしたちが、頂いている祝福をきちんと認識しないとしたら、感謝の心が足りないと言われても仕方ありません。開拓者の受けた艱難がどれほどつらいものであったかを十分知ったうえで、ブリガム・ヤング大管長は、感謝することについて、その重要性を次のように語っています。「わたしは、赦されない罪を別にすれば、忘恩の罪以上に重い罪を知りません。」(『歴代大管長の教え―ブリガム・ヤング』195)
