主がヨセフと共におられたので、彼は幸運な者となり、その主人エジプトびとの家におった。
「思いやり」2001年4月、トーマス・S・モンソン、大管長会
わたしはミュージカル「キャメロット」に思いをはせました。より良い世界、理想的な人と人とのつながりを夢見ていたアーサー王は、円卓会議の目的を心に描いてこのように言いました。「暴力が強さでもなければ、思いやりが弱さでもない。」
この言葉を感動的に描写する出来事が旧約聖書に見られます。ヨセフは父ヤコブから特別に愛されていたため、兄たちは反感と嫉妬を覚えていました。そしてヨセフを殺す企みが仕組まれました。その企みが実行され、ヨセフは深い穴に投げ込まれて、命をつなぐ食物も水も与えられませんでした。そこを通りかかった隊商を見た兄たちは、飢え死にさせるよりも売ってしまった方がよいと考えました。ヨセフは引き上げられ、銀20シケルで商人に売られました。ヨセフは最終的にエジプトのポテパルの家に引き取られました。ヨセフはそこで繁栄しました。「主がヨセフと共におられた」(創世39:2)からでした。
豊作の年が続いた後に、飢饉の年がやって来ました。この飢謹が続いた年のさなかに、ヨセフの兄たちは穀物を買うためにエジプトへやって来ました。彼らは好意的なエジプト人、実は自分たちの弟から多くの穀物を与えられました。ヨセフは以前に冷淡で無慈悲な仕打ちをした兄たちに対して仕返しをすることもできました。しかし彼は兄たちを親切にまた寛大に扱い、このような言葉と行いによって彼らの好意と支持を勝ち取ったのでした。
「しかしわたしをここに売ったのを嘆くことも、悔むこともいりません。神は命を救うために、あなたがたよりさきにわたしをつかわされたのです。… …
神は、あなたがたのすえを地に残すため、また大いなる救すくいをもってあなたがたの命を助けるために、わたしをあなたがたよりさきにつかわされたのです。」(創世45:5、7)ヨセフは思いやりという徳をすばらしい方法によって示したのでした。
