ある日ヤコブが、あつものを煮ていた時、エサウは飢え疲れて野から帰ってきた。
エサウはヤコブに言った、「わたしは飢え疲れた。お願いだ。赤いもの、その赤いものをわたしに食べさせてくれ」。彼が名をエドムと呼ばれたのはこのためである。
ヤコブは言った、「まずあなたの長子の特権をわたしに売りなさい」。
エサウは言った、「わたしは死にそうだ。長子の特権などわたしに何になろう」。
ヤコブはまた言った、「まずわたしに誓いなさい」。彼は誓って長子の特権をヤコブに売った。
そこでヤコブはパンとレンズ豆のあつものとをエサウに与えたので、彼は飲み食いして、立ち去った。このようにしてエサウは長子の特権を軽んじた。
「神権の力を得るための代価」2016年4月、ラッセル・M・ネルソン、十二使徒定員会
兄弟の皆さん,わたしたちの中のある人々は,ある日目覚めて,神権の真の力に気づき,神の力を行使する方法を学ぶよりも,人の上に立つことや職場で昇進することにあまりにも多くの時間を使ってきたことを深く悔やむことになるかもしれません。(教義と聖約121:36参照)ジョージ・アルバート・スミス大管長はこう教えました。「わたしたちがここにいるのは,ぶらぶらと過ごすためではありません。また,この世の時間が過ぎれば昇栄の世界に移れるというわけでもありません。そうではなく,御父が来世で用意しておられる地位を得る資格を毎日証明するためにここにいるのです。」(ジョージ・アルバート・スミス,Conference Report,1905年4月,62;The Teachings of George Albert Smith,ロバート・マッキントッシュ,スーザンマッキントッシュ共編(1996年),17も参照)
アブラハムの全ての祝福を受ける可能性があるにもかかわらず,人生を無駄に過ごしてエサウのあつもの(創世25:29-34参照)に満足する人が,一体どこにいるでしょうか?(創世12:3;17:2-8;ガラテヤ3:29;1ニーファイ15:14-18;アブラハム2:9-11参照)
今すぐわたしたち一人一人が神権を担う者としての特権にふさわしくなるようにと願います。来るべき時代では,神権を本気で受け止め,主から教えを受けることを熱心に求める人でなければ,他の人を祝福し,導き,守り,強め,癒やすことはできません。神権の力を得るための代価を支払う人でなければ,愛する人に奇跡を起こすことも,この世から永遠にわたって結婚と家族を安全に守ることもできません。
