信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。
信仰によって、他国にいるようにして約束の地に宿り、同じ約束を継ぐイサク、ヤコブと共に、幕屋に住んだ。
信仰によって、サラもまた、年老いていたが、種を宿す力を与えられた。約束をなさったかたは真実であると、信じていたからである。
「忠実さから生まれる従順」2014年4月、L・トム・ペリー、十二使徒定員会
使徒パウロは,「さて,信仰とは,望んでいる事がらを確信し,まだ見ていない事実を確認することである。」(ヘブル11:1 )と教え,アベル,エノク,ノア,そしてアブラハムの例を用いて,信仰について教えています。パウロは忠実な者の父アブラハムの例を強調してこう述べています。
「信仰によって,アブラハムは,受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時,それに従い,行く先を知らないで出て行った。
信仰によって,他国にいるようにして約束の地に宿り,……
信仰によって,サラもまた,年老いていたが,種を宿す力を与えられた。約束をなさったかたは真実であると,信じていたからである。」(ヘブル11:8-9,11 )
わたしたちは,アブラハムとサラの息子のイサクを通じて,一つの約束がアブラハムとサラに与えられたことを知っています。それは,「天の星のように,海べの数えがたい砂のように」繁栄するという約束でした(12 節参照;創世 17:15‐16 も参照)。そして,アブラハムの信仰は,わたしたちが想像もできないような方法で試されたのです。
わたしはこれまで多くの機会にアブラハムとイサクの物語について熟考してきましたが,アブラハムの忠実さと従順さについて完全に理解できてはいません。恐らく,アブラハムがある日の朝早く,信仰深く荷造りをして家を出る光景を想像はできるかもしれません。しかし,どうやって,息子のイサクを従えて,3日の行程を,モリヤの山のふもとまで行くことができたのでしょうか。どうやって燔祭のための薪を山の上まで運んだのでしょうか。どうやって祭壇を築いたのでしょうか。どうやってイサクを縛り,祭壇に横たえたのでしょうか。イサクに自分がささげものなのだということをどう説明したのでしょうか。そして,息子を殺すために刃物を上げる力をどうやって得たのでしょうか。アブラハムはその信仰によって,あの奇跡の瞬間まで神の導きに厳密に従う力が与えられていました。そしてその時,御使いが天からアブラハムを呼び,つらいい試験に合格したことをアブラハムに告げたのです。そして,主の天使はアブラハムの聖約に伴う約束をもう一度繰り返しました。
