これらの事の後、主の言葉が幻のうちにアブラムに臨んだ、「アブラムよ恐れてはならない、わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは、はなはだ大きいであろう」。
アブラムは言った、「主なる神よ、わたしには子がなく、わたしの家を継ぐ者はダマスコのエリエゼルであるのに、あなたはわたしに何をくださろうとするのですか」。
アブラムはまた言った、「あなたはわたしに子を賜わらないので、わたしの家に生れたしもべが、あとつぎとなるでしょう」。
この時、主の言葉が彼に臨んだ、「この者はあなたのあとつぎとなるべきではありません。あなたの身から出る者があとつぎとなるべきです」。
そして主は彼を外に連れ出して言われた、「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい」。また彼に言われた、「あなたの子孫はあのようになるでしょう」。
アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた。
「自分の思いを主の御心に添わせる」2024年10月、ウリセス・ソアレス、十二使徒定員会
愛する友人の皆さん,利己的なことを追い求めるよりも,神を人生の中で最も強い影響力とするとき,わたしたちは弟子として成長し,思いと心を救い主と一致させる能力が高まります。しかし,生活の中で神の方法を優先しなければ,御霊は離れてしまいます。そして,主の導きがなければ,何をするにしても,しないにしても,「これが自分のやり方だから」と正当化し,自分のしたいことをしてしまうかもしれません。
あるとき,救い主が御自分の教義を教えておられると,一部の人々,特に独善的なパリサイ人が主の言葉を拒み,自分たちはアブラハムの子孫であると,つまり,血統により,神から特権が与えられていると主張したのです。パリサイ人は,そのような考え方で自分の知識に頼り,救い主の教えを信じませんでした。パリサイ人のイエスに対する反応を見ると,おごり高ぶった彼らの心の中に救い主の言葉や神の方法を受け入れる余地がなかったことは,明らかです。それに対しイエスは,もし彼らがほんとうにアブラハムの聖約の子であるならば,今まさに「アブラハムの神」が目の前に立って真理を教えておられることを理解し,アブラハムの業をするであろうと,賢明にまた雄々しく宣言しました。(箴言3:5;ヨハネ8:33-42参照。アブラハムのわざも参照:アブラハムはほかの人々を福音に改宗させ(創世12:5),争いを避け(創世13:7-9),神に従い(創世12:1-9;15:1-6;22:1-19),天からの使者を迎え(創世18:1-8),途方もない信仰を働かせました(創世22:1-19))
兄弟姉妹の皆さん,御覧のとおり,「いつも主の御心にかなう」行いではなく,「自分のしたいこと」を正当化することは目新しいことではありません。これは何世紀にもわたり蔓延してきた考え方であり,しばしば自分を賢いと思う者を盲目にし,(箴言3:5-7参照)神の多くの子供たちを混乱させ,疲弊させています。この考え方は実は,昔からサタンが使ってきた策略であって,間違った道であり,神の子供たちを真実かつ忠実な聖約の道から巧みに引き離します。(2ニーファイ28:21-23,26参照)遺伝的,地理的,身体的,精神的な問題といった個人的な状況も,確かに人生に影響を与えますが,ほんとうに大切なことについては,主がわたしたちの人生に用意してくださった規範に従うかどうかを自由に選択(『聖句ガイド』「選択の自由」の項,「福音ライブラリー」参照)できる余地があります。まことに主は,「光と命の道を示し」(「高きに満ちたる」『賛美歌』112番)てくださったのです。
