あなたがたはイスラエルの全会衆に言いなさい、『この月の十日におのおの、その父の家ごとに小羊を取らなければならない。すなわち、一家族に小羊一頭を取らなければならない。
小羊は傷のないもので、一歳の雄でなければならない。羊またはやぎのうちから、これを取らなければならない。
そこでモーセはイスラエルの長老をみな呼び寄せて言った、「あなたがたは急いで家族ごとに一つの小羊を取り、その過越の獣をほふらなければならない。
「イエス・キリスト:わたしたちの魂の介護者」2021年4月、ウリセス・ソアレス、十二使徒定員会
イエスは自ら進んで全人類の罪を引き受け,残酷にも十字架に釘で打ち付けられ,3日目に死を克服して勝利することにより,(イザヤ53:7; 1ニーファイ11:21,33; 13:40; モーサヤ14:7参照)古代のイスラエルに与えられた過越の儀式にさらに神聖な意義を加えられました。(出エジプト12-13章,特に出エジプト12:21,43参照)その預言を成就する際に,主は自らの体と尊い血を「大いなる最後の犠牲」としてささげられ,(アルマ34:14参照)主の過越の祭に用いられる伝統的な象徴が正当なものであることを示されました。※ キリストはその過程において,人間には理解できない肉体的,霊的な苦しみを経験されたのです。救い主は自らこう言われました。
「見よ,神であるわたしは,すべての人に代わってこれらの苦しみを負い……
その苦しみは,神であって,しかもすべての中で最も大いなる者であるわたし自身が,苦痛のためにおののき,あらゆる毛穴から血を流し,体と霊の両方に苦しみを受けたほどのものであった。そしてわたしは,その苦い杯を飲まずに身を引くことができればそうしたいと思った。
しかしながら,父に栄光があるように。わたしは杯を飲み,人の子らのためにわたしの備えを終えたのである。」(教義と聖約19:16,18-19)
キリストは,憐れみに満ちた無限の犠牲を通して,御父の御心を喜んで成し遂げられました。(ヨハネ6:38-40; 3ニーファイ27:13-15参照)主は,堕落がこの世にもたらした(2ニーファイ2:22;モーセ6:48参照)肉体と霊の死のとげを克服し,(1コリント15:55-56:2ニーファイ9:6-24;モーサヤ16:7-8;アルマ22:14参照)永遠の救いという輝かしい可能性をわたしたちに与えてくださいました。(アルマ11:40;教義と聖約76:41-42参照)
※犠牲の小羊(出エジプト12:3,5,21参照),種入れぬパンを苦菜と一緒に食べること(出エジプト12:8,15;レビ23:6;民数9:11参照),犠牲の小羊の血を入口の柱とかもいに塗ること(出エジプト12:7,13,22-23参照),祭では急いで食べること(出エジプト12:11参照)など,過越には,イエス・キリストの贖罪を示す要素があります。
