この引用文に見るとおり、数々の書物が開かれ、またもう一つの書物も開かれました。それは命の書でした。しかし、死者は数々の書物に書かれていることに基づき、彼らの行いに応じて裁かれました。したがって、ここで言われている数々の書物とは、彼らの行いの記録が載せられている書物のはずであり、地上で記される記録を指すに違いないのです。また、命の書であるとされた書は、天で記される記録です。この原則は、わたしが自分の居所を立ち去る前にあなたがたに書いた手紙に載せられている啓示の中であなたがたに命じられた教義にかなっています。あなたがたの記録するすべてのことについて、それが天でも記録されるためなのです。
「齢を重ねた男女」2003年4月、ボイド・K・パッカー、十二使徒定員会
わたしたちはもはや年老いています。そのうちに幕の向こう側に召されるでしょう。抵抗はしません。長年にわたって学んできた有益なことを,家族であるなしを問わず,若い人たちに教えるよう努力するのです。
わたしたちはかつてできていたことができなくなってます。しかし昔より多くのことを経験しています。人生から教訓を得てきました。時にはつらい教訓もありました。だからこそ,若い人たちに勧告したり,間違いを正したり,警告したりできるのです。
齢を重ねた男女には行うべきことと,果たすべき役割が多くあります。隠居して,楽しみを求める生活に入らないでください。場合によっては,それは無益なことで,自分勝手なことでさえあります。皆さんは伝道に出て,解任され,自分は教会での奉仕を終えてしまったと思っているかもしれません。しかし福音に活発であることから解任されることなど決してありません。主は言われました。「あなたがたは神に仕えたいと望むならば,その業に召されている。」(教義と聖約4:3)
年を取り,弱くなってからやっと,最も偉大な使命は自分の家族を強め,ほかの人の家族を強め,世代と世代を結ぶことであると分かるのかもしれません。
今わたしはまことの原則を教えています。教義を教えています。「この原則は,……啓示の中であなたがたに命じられた教義にかなってい〔る〕」と書かれています(教義と聖約128:7)。
1835年に出版された最初の末日聖徒の賛美歌集には,「主のみ言葉は」という賛美歌が収められました。その中にこのような歌詞があります。
人,皆老いて証せん
永久に変わらぬわが愛
髪に霜を置ぐ時に
小羊のごと わが胸に抱かれて
生まれ出でん
(賛美歌46番「主のみ言葉は」,6節)
回復された福音の証と,贖いに対する証の炎を赤々と燃やし続けて,皆さんの子供たちが皆さんの信仰の炎で手を暖めることができるようにしてください。それこそ,齢を重ねた男女のすべきことなのです。イエス・キリストの御名により,アーメン
